第5話 提案


「えっ……?」


 キリアカイの目が、またもや驚愕に見開かれた。


「ともかくも、今のままではまずいでしょう。この三領地の連合軍をもって、自分はしばらく、こちらの治安が安定するまでの援助を申し出たいと言うのです。いかがでしょうか」

「そっ……そんな、勝手なこと……!」

「とは申せ、義姉上さま」

 割って入ったのはフェイロン。

「このままでは、いずれ貴女様の後釜あとがまを狙う、小狡こずるい臣下の何某なにがしが乗り込んでこないとも限りません。実際、そのうちの何名かがすでに結託して、私兵を集めているとの情報もございますれば」

「なんですって? それは本当なの?」

 キリアカイが表情をより険しくした。

「はい。この場で偽りを申しても仕方がありませぬ。奴らの目的など、明らかでありましょう」


 それは事実だった。俺もそれについては、すでに臣下の者やガッシュから聞いて知っていた。だからこそ、こうして急ぎ、こちらに向かったのだ。

 すでに今回連れてきている手下のドラゴン部隊は、ガッシュと共にこの城の周りを旋回して警戒にあたってくれている。俺は、彼らをこのままここに残し、必要とあらば増援部隊を送ることもすでに考えに入れていた。

 フェイロンはそれらについても説明し、説得を続けている。


「魔王陛下は、義姉上もご存知のとおり、民らがみずから住む地を選ぶ権利をお与えになった。もしも今後も、こちらが今まで通りの厳しき統治を続行するということになれば、彼らが土地を捨てて逃げる流れは次の冬まで一向にとどまらぬ、ということになりましょう。となれば、北東の地が疲弊の一途をたどるは必定ひつじょう──」

「…………」

「私腹を肥やすことにのみ執心している貴族連中、支配者階級の武人たちが、互いの権益を守ろうと争いあい、あるいは流出し……この国は、まさに大混乱ということになるやも知れませぬ」

 キリアカイは顔色をなくし、今や何も言えずに拳を握りしめて立ち尽くすばかりである。

「それとも、義姉上にはこの混乱をおさめる秘策がおありでしょうか。しかも、素晴らしい魔力と財力をお持ちだとは言え、たったお一人、この孤立無援の状態で……。いかに?」


 フェイロンのその言葉を最後に、場にはしばしの沈黙が訪れた。

 キリアカイはもともと青いその顔を、もはや黒ずんだ紫色にして、ぶるぶると震えている。恐怖のためというよりも、それは怒りのためだと見えた。

 きっかけを作ったのは俺だったけれども、飽くまでもこれは彼女自身が身に招いたことである。彼女がもう少し、臣下や領民に対して恩愛の情をもって接していたなら。こうまですぐに人心が離れ、領民たちが逃散ちょうさんすることもなかっただろうに。

 とはいえその原因になったのであろう過去の事件を考えれば、ただ彼女ひとりを責められるものでもないのかも知れなかったが。


 キリアカイの視線はぎょろぎょろと周囲をせわしなく動き回っている。その脳裏で必死に、様々な情報を考え合わせているのだろう。

 俺はしばし、そんな彼女を見つめていた。

 だが、遂に口を開いた。


「……キリアカイ殿。もし、貴女あなた様がお望みになるのであれば、ですが」

 彼女がぴくりと顔を上げ、俺を見据える。

「あなた様がお逃げになる間、我らで少しの時間稼ぎをいたしましょう。どうかご自身の騎獣をお呼びよせください。幸い、警護の者も逃げ散っていることですし、この混乱に乗じれば、誰の目にも触れずに城を抜け出すことは可能のはず」

「な……んですって」

「ただ、こちらの領土の支配権、および宝物庫の中身については諦めていただくほかはないでしょうが。……それでも、お命ばかりは助かるかと」

「待ってちょうだい!」

 キリアカイはその目をくわっと見開いて叫んだ。

「支配権と、宝物庫……!? そんな重大なことを、勝手にさっさと決めないで! 第一、支配権って、どうなさるおつもりなの? これからここを、誰に統治させようというのです!」

「……それなのですが」


 言って俺は、ついと片足を引き、先ほどから無言のまま、ずっと背後に立っていた男を見た。黒々としたたてがみを持つ、堂々たる獅子顔の将軍を。


「こちらにおります、ヒエン将軍ではどうかと考えております」

「は……」

 さすがのヒエンも、少しだけグリーンの目をみはったようだった。

「いえ、陛下。急に、左様なことをおっしゃられましても──」

「いや、実はさほど急でもないんだ」

 俺はヒエンに顔を向け、少し笑って見せた。

「このところ、ずっと考えていた。北西ではあのダーホアンに代わり、南西ルーハン卿の側近だったフェイロン殿が統治することになった。それならこちら北東では、南東ゾルカン殿の側近が統治するのがふさわしいのではないか、とな。ヒエンなら、十分にその任を果たしてくれよう」

「いえ、しかし」

「ふむ。なるほどねえ」

 ごわごわの髭をひねって、ヒエンの言を遮ったのはゾルカン。

「それならあのルーハンの野郎と俺と、うまくバランスも取れようってことだあな。なるほど、そいつぁ、案外と悪くねえ。考えたねえ、陛下」

「いやっ……! いやよ!」


 と、そこで突然、女の悲鳴が割って入った。


「統治のことは、まあいいわよ。裏切者の家臣どもに勝手をされるぐらいなら、そこの獅子顔将軍にくれてやったって構わない。けど、宝物庫のものはイヤっ! あれは全部、ぜ~んぶ、あたくしのものなんだからああああッ!」

「…………」


 話がなにやら振り出しに戻る。

 俺たち一同は半眼になり、みんなで「やれやれ」とばかり、この追い詰められた女帝を見つめた。さすがのフェイロンですら、困ったような笑みを浮かべて肩をすくめ、沈黙するばかりだ。

 とその時だった。ヒエンよりもさらに後ろから、さも面倒臭そうな少年の声がした。


「な~、おばちゃん。もういい加減にしねえ?」


 とことこと、少年が前へ進み出てくる。その肩に、いつも乗っているピックルの姿はなかった。その生き物は、とっくにシャオトゥの腕の中に避難している。

 少年は、がしがしと後頭部を掻いたりしながら、さも「仕方なく出てきました」という気分満載の顔で言葉を継いだ。


「オレが言うのもアレだけどさあ。『引き際』って大事よ? あ、これは一回、めちゃめちゃ下手を打っちまったオレだから言えることなんだけどさあ」


 言うまでもない。マルコの姿をした真野だった。


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