第4話 暴言

「そんなわけないだろうさ」


 するりと入って来たのは、静かなギーナの声だった。

 これまで、ただ黙って話の流れを見ていた彼女は、ここへ来てずいと俺の隣に進み出てきた。


「あたしなんぞが口を挟むのもおかしいんでしょうけどもさあ。ひと言、言わせてもらってもよろしいかしらね? キリアカイ様」

「なに……? なんなのよ、あんた──」


 キリアカイが今度はギーナを睨む。が、ギーナは殺気のこもった彼女の視線など意にも介さない顔だ。顔の前で一度、手にした煙管きせるをくるりと回す。


「ああら。名乗りが遅れちまって申し訳ありませんわ。あたしはギーナ。もとは人族の世界で『勇者ヒュウガの奴隷』だった者ですが、今はこの魔王陛下、ヒュウガ様のもとにお仕えしている女のひとりにございますわ」

「……その女が、あたくしに何の用なの」


 キリアカイが唸るように言う。

 ギーナはやっぱり、いつもどおりの平気な顔で軽く笑った。


「余計なことでしょうけどもさあ。そりゃ、おあしは大事ですわよ? あたしらだっておアシが全然なけりゃあ、一日だって口をのりすることもできやしないんだしね。そこは確かに、綺麗ごとじゃない。それにはあたしだって、大いに賛成なんですけれどもさあ」

 言いながら、ギーナはゆらゆらと艶めいた腰つきで二、三歩キリアカイに歩み寄っている。

をしてた女から言わせてもらうとさ。あたしらだって、なにも『金さえもらえば、どんなことでも引き受ける』なんてこたあないのさ。……こんなあたしらにだって、最低限の矜持ってもんがあるんですからね」

「…………」


 キリアカイが、ちょっと不思議そうな目になってちらりと俺を見た。

 要するに、「この女は何者だ」という目である。それに答えたのはフェイロンの方だった。


「ギーナ様は、ただいまヒュウガ陛下の正妃として、魔王城にて陛下にお仕えになっている女性にょしょうです」

「ああ……思い出したわ。ふうん、あんたが」

 言って女は、じろじろと不躾な視線で、ギーナの頭の先から足の先までを観察したらしかった。

「もともと『勇者の奴隷』で、今じゃ魔王陛下の妃に収まってるって幸運をつかんだっていう女のことなら、話には聞いてるわ。……で? その、もと売女ばいたの踊り子だったご正妃様が、あたくしに何の説教をなさろうとおっしゃるのかしら」


 ことさらに、その「売女」のところを強調して、くいと顎を上げる。瞼を下げ、「ふふん」と鼻先で笑っている。ギーナを見下しているのは明らかだった。

 俺は思わず、一歩前に出た。


「キリアカイ殿──」


 が、続く俺の言葉は即座にギーナの手によって制された。「黙ってな」と言わんばかりだ。

 ギーナは他人からそんな扱いを受けることには慣れっこなのか、一筋も動じる風がない。嫣然と微笑んだまま、まっすぐにキリアカイを見ているだけだ。


「ですから、さっきから申し上げているじゃございませんか。こんなのあたしらだって、金さえ積まれりゃあ何でもやるってわけじゃない、ってさあ。それよりも大事なもんは、いっくらでもあるんだよ。こんなあたしらにだってね」

 そこでなぜか、ギーナはちらりと隣の俺と、背後のレティやライラを見たようだった。

「変な客なんて、ほんとに掃いて捨てるぐらい居たさ。種族も違うのに大きな図体で、まだほんの子供の子をわざわざ指名してきて、めちゃくちゃしようって変態から、『あとで<治癒ヒール>を使ってやるから、とにかく体を端から切り刻ませろ』なんて『ニセ紳士』までさあ」

「…………」

 レティとライラがぞっとしたように青ざめて、自分の肩を抱き、互いに顔を見合わせた。

「もちろん、そうなったらあたしの出番だったわけさ。女の子たちを売りもんにならない身体や心にされちまったんじゃあ、あたしらだって商売あがったりじゃないか。『あとで<ヒール>さえしとけばいい』なんて、そんな単純なもんじゃないんでねえ──」

 それを聞いて、今度はシャオトゥが複雑な顔になって目を伏せた。

「ですから、そんな簡単に言ってほしくないんですわよ、キリアカイ様。人の心も、矜持きょうじなんてもんも……そんな簡単に、金で売り買いできるようなもんじゃない。それぐらいのこと、本当はあんただってわかってるはずさ」

「な……にを、偉そうに──」


 キリアカイが、ぎりっと唇を噛みしめる。彼女の怒りや憎しみは、いまやギーナ一点に絞られてしまっているように見えた。

 ギーナは構わずに続ける。


「もし、これまで金銀財宝に目がくらんで、何でも貴女あなた様の言いなりになる者しか周りにいなかったってえんなら、つまりはそれが、貴女様のご器量の程度だったってことでしょう」

「んなっ……!」

「今回のこれがいい例さ。いざとなったら、貴女様を心から守ろうなんて臣下はいやしない。みいんな、あんたを放り出して一目散に逃げるだけ。ヒュウガとはえらい違いさ。……と、つまりはそう言いたいだけですよ、あたしは」

「な……んですってえ!」

 キリアカイの目が吊り上がり、再び燃え上がった。

「下賤の女が、たまたま魔王陛下に引き上げて頂いたからって調子に乗るんじゃないわよ? なにが器量よ。あんたみたいな売女風情にそんなこと、言われる筋合い──」

「キリアカイ閣下」


 俺はとうとう、我慢できずに口を挟んだ。

 抑えようと思ったのに、思った以上に自分の声に棘が含まれてしまったことには気づいていた。


「どうか、そのあたりに。あなた様にこの者をさげすまれるいわれはございません。この者は自分にとって、大切な存在の一人です。それ以上の暴言は、どうかお慎みを」

 キリアカイが不満いっぱいの顔で「むぐう」と口を閉ざす。ギーナはギーナで、ちらっと俺を不思議な目で見やって黙った。

「それよりも、よろしいでしょうか。この事態を収拾するため、我ら魔王軍と、こちらゾルカン殿、フェイロン殿の軍をしばらくこちらに置かせていただいても?」

「えっ……?」


 キリアカイの目が、またもや驚愕に見開かれた。



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