第10話 愛別


 ユウジンとフェイロンの兄弟は、早くに親を亡くした孤児みなしごだった。

 しかし、その秘めたる魔力の大きさと聡明さ、さらにその美しさとを買って、かのバクリョウが手元に置き、育ててくれたのだった。

 そこに至るまでの間には、二人は相当に苦労したことだろう。男子とは言えそこまで見目のいい子供なら、なおさらのことである。

 が、フェイロンはそこはさらっと流して、すぐに次の話に移った。


「当時のキリアカイ殿を知る者は、だれもが驚くことでしょう。ただ今の四天王キリアカイ殿は、当時とはまるで違うお方にしか見えませぬゆえ」


 ユウジンとキリアカイの蜜月はしばらく続いた。

 やがて彼女は子を宿し、幼い子を囲んで笑いあう兄と義姉は、弟の目から見てもまことに微笑ましい限りだった。

 フェイロンは清廉で実直な兄を愛していたが、兄よりはるかに人を疑うことを知り、奸智にも長けていたがゆえに心配もし、これからもしっかりとそばで兄を支えようと心に誓ってもいたのである。


「しかし。破綻は、思うよりもずっと早くに訪れたのです」


 フェイロンの声が、ごく静かに部屋に響いた。

 彼としては若造なりに、十分に目を光らせていたつもりだった。けれども結局、キリアカイの父親の、もと部下だった者たちの奸計に気付くことができなかったのだ。

 ユウジンの厚意によって魔術の修練を積み、その扱いに長けてきたキリアカイを見て、もと家臣らはつい不埒な夢を抱いた。このまま、うまくユウジンを亡き者にし、このキリアカイを担いで南側の支配を逃れ、元通り、北東の国を自分たちで支配できるのではあるまいかと。


 このとき、キリアカイがそのもと家臣たちと通じていたと見る者は多い。

 しかし、フェイロンの考えはそれとは違う。あれは単に、もと家臣らによる先走った計画に過ぎなかった。キリアカイは恐らく、心から兄を愛していた。それは、仲睦まじい二人をずっとそばで見ていた自分だからこそ分かることだと、フェイロンは言った。


「結局、我ら兄弟はその家臣らの計略に掛かりました。兄は暗殺され、わたくしは傷を負って逃亡せざるを得ず……。キリアカイ殿とその御子おこがどうなったかは、その時にはわからなかった」


 どうにか騎獣に乗って逃げたものの、重傷と疲労のためフェイロンはその背の上で寝込んでしまい、無意識のまま数日間、騎獣まかせに放浪した。そのフェイロンを救ったのが、当時の魔王に仕えていたルーハンだった。

 兄を喪ったことによる精神的な痛手と傷のため、彼は何日も意識不明の状態だったという。ルーハンはそんな彼を手厚く看病してくれたのだ。


 やっと意識が戻ったとき、事態はすっかり進展してしまっていた。

 キリアカイが北東の四天王として己が名を宣言し、国境を自軍で固めて、あらゆる侵攻を拒絶していた。以降、北東の地は半ば鎖国のような状態になり、隣国との交流などは最小限にとどめられて、現在に至っている。


「兄の子がどうなったのかは、分かりませぬ。その後なんの話題にもならないところを見ると、どうやらどこかの時点で死んだものとは思いますが──」


 北東の領主として立ったキリアカイは、なぜか以前とは比べものにならないほどの魔力をその身に宿していた。それだけではない。聞くところによると、その気性の激しさや懐疑的なものの見方、ねじくれた性根などなど、とても以前と同一人物とは思えないほどの変貌ぶりだった。

 彼女の身に何が起こったのか。それを知るのは彼女のみだろう。

 彼女を担ぎ上げようとして奸計をめぐらした者どもは、ほとんど父親の側近だった者たちだった。だがそれらはみな、その後彼女自身の手によって惨殺されたのであるらしい。

 それも、生半可なやり方ではなかった。

 はりつけ、車裂き、鋸引のこぎりびき。

 凄まじい拷問の果てに、ありとあらゆる残忍な処刑法でもって、彼らは命を絶たれたらしい。

 それはまさしく、残虐無比な女帝の誕生だった。

 その根底にあるのは、キリアカイのとめどもない怒りだろうと思われる。

 その理由は、分からない。


「……ともかくも。以降、わたくしはバクリョウ閣下のもとには戻らず、名も変えて、そのままルーハン閣下と行動をともにしてまいりました。やがてルーハン閣下が南西の領袖となられましてからは、そこにお仕えすることに。……ゾルカン殿以外には存命の事実を知らせることすらせず、そのままルーハン閣下にお仕えする道を選んだのでございます」


 一連のフェイロンの話が途切れて、俺はしばらく黙っていた。

 隣に座るギーナの顔がひどく沈んでいる。彼女には、何か思うところがあるのかも知れなかった。

 後ろで黙って聞いていたライラやレティもひどく悲しそうな顔をしてうつむいている。

 俺はしばらく考えていたが、ふと思いついたことがあって言った。


「『魔力とは、心の力』だと聞いたことがありますが」

「おっしゃる通りにございます」

 フェイロンは穏やかに微笑んで頷いた。

「もしもキリアカイ殿が、あなたの兄上様を非常に愛しておられたのだとすれば。そして、そのかたとの間に生まれたお子をひどいやり方で失ったのだとすれば。その後の魔力の大きな増大は、十分にうなずける話かと──」

「……左様にございますね。わたくしも、まったく同じ思いにございます」


 その思いが強いほど、魔力は強力な顕現を見る。

 人の思いの中で最も強いものは、怒りだと聞いたことがある。激しい怒り、憎しみ、妬みなどが引き起こす魔力は、それだけ凄まじいものになるだろう。

 もしもキリアカイが自分の意に反して、目の前で愛する夫と子を奪われたのだとすれば。そこまではごく平凡なものに過ぎなかった彼女の能力が一気に、爆発的な「開花」を遂げてしまったと考えるのは、ごく自然なことではないか。

 ……いや、「開花」などという甘い言葉で表現するには、あまりにも胸の痛む話だけれども。


 以降、彼女は人の心を信じなくなったのだろう。

 信じられるのは金銀財宝。また、それに愛着する者の、偽りの「忠誠心」のみ。

 ただ、それだけ。

 そう思い切り、あとの物への愛着のすべてを捨てて、あの北東の地の領袖として、孤独な女帝として立つことにしたのなら──。


 顎に手を掛け、そう考えた時だった。

 脳の中に、ガッシュの声が響いた。


《ヒュウガ。なーんか、やべえ。キリアカイのオバハン、戻ってやべえことになってるみてえ》


「なに……?」


 そのあとに続いた言葉を聞いて、俺は席を蹴って立ち上がった。


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