第6話 爆発


 女はもともと青い顔をさらに青ざめさせ、唇をわなわなと震わせた。


《ですが、キリアカイ殿。領民たちを取り戻す方法はございます。しかも、かなり簡単な方法が》

《は……?》

《要は、お国が彼らにとって、逃げだしたいと思うような治世でなくなればよいのです。俗吏を廃し、清廉潔白な官吏を置いて、貧苦にあえぐ人々を憐憫の心をもってお救いになってください》

《…………》

《貧しい家の子らに学問を授け、税率を下げ、地方の治水や防災、医療や福祉にも力を入れてくださればいいのです。容易いはずです。これまであなた様が蓄えてこられた莫大な資産がありますれば──》


 キリキリと何かの音が聞こえた気がした。

 何かと思えば、キリアカイが奥歯をきしらせているらしい。

 その燃え上がった目を見るだけで、彼女の心の声はもう十分、耳元に聞こえてくるようだった。


(何を言ってるのよ、この青二才)

(冗談じゃないわ。あたくしがこの百数十年、必死にため込んできた金銀財宝。豪奢な衣装に、麗しい宮殿! だれが……だれが、汚い平民どもに分け与えてなんかやるもんか。ビタ一文、ビタ一文だってやるもんですか──!)


 ガッシュはわざわざそれを「通訳」してくることはなかった。彼は完全に辟易へきえきして、もはやそっぽを向いている。「耳が穢れる」と言わんばかりだ。

 俺は少し間を置いてからまた言った。


《どうか、キリアカイ殿。お間違いのなきように。これら我々の<念話>はすべて、眼下の領民たちにも聞こえております。お言葉は十分、ご慎重に発されよ》

《えっ……。う──》


 キリアカイがぎょっとして、さっと眼下へ目を走らせた。

 領民たちはどやどやと前へ進みながらも、こちらを見上げて事のなりゆきを見守っている。

 俺はそこから、沈黙を続けるキリアカイに向かってひたすらに述べたてた。


《あなた様がその腕につけておられる宝玉の腕輪、あるいは胸の首飾り。それひとつで、いくつの村が救われましょう。租税の不足を補うため、あるいは家畜の一頭と引き換えるために、娘や息子を二束三文で売り飛ばさずに済む家族が、一体どれほどいるでしょうか》

有象無象うぞうむぞうの俗吏や酷吏どもが、これまでに領民たちからむしり取ったもの。それらすべてを返納させるだけでも、相当に国庫は潤うはず。それらを民らの福利に使って、何がいけないというのでしょう》

《あなた様がそういう領主になってくださるとおっしゃるのであれば、領民たちもそちらを離れることはありますまい。自分も安心して、領民たちをお返しできます。今からでも遅くはないはずだ。……どうか、ご一考いただきたく》


 そう締めくくって頭を下げたが、返事はなかなか来なかった。

 足元のほうで、人々が俺とキリアカイを見比べているのを肌で感じる。難しい言葉のわからない者たちは先へ先へと歩くことしか考えていないけれども、若者や女性たち、商人や医者、学者風の身なりの者は、間違いなく興味をもって俺たちのやりとりを聞いているようだった。

 キリアカイはそれでもしばらく、顔を赤くしたり青くしたりして黙っていたが、周囲を取り巻く武官らと何やら二言ふたこと三言みこと交わすとこちらを向いた。

 その顔はなぜか、不思議なほどににっこりと微笑んでいた。


《……わかりました。陛下のご深慮、まことにこの心にしみわたりましてございますわ。さすがは魔王陛下にございますわね。今までのあたくしのまつりごと、お恥ずかしい限りです》

 女は一度、ふうと軽く息を吐きだし、おのが胸に手を当てた。頭をわずかに振って目を閉じる。それは、いやに芝居がかった仕草だった。なんとなく、自分の言動に酔っている芸術家か何かのようである。

《お約束いたしましょう。すべて、陛下のおっしゃる通りにいたします。私財をなげうち、手ずから領民たちを救いましょう。学問所を設立し、卑しい官吏を退けて、民の生活を安堵させてご覧にいれましょう──》

《ウソだね》

 

 にべもなく言い切ったのはガッシュだ。

 もちろん、彼の声は他の者には聞こえていない。


《あの女、相当ヒュウガをバカにしてんぜ。むっかつく。頭ん中、『この若造が』とか『いまに見ていろ』とかなんとかってえ、呪いまみれ。聞いてらんねえセリフがてんこ盛り。だーめだ、ありゃあ》

《……そうなのか》

《ってえか、もっとひでえ。いずれヒュウガを暗殺する気満々だぜ? あのオバハン。ほんと、クッソみてえ》


 俺はちょっと半眼になった。

 まあ、そんなのは予想の範囲内だったけれども。


《とにかく、『今は領民さえとりもどせば、あとから何とでもごまかせる』とか考えてんぜ。あーでもない、こーでもないって言ってるうちに、すぐに何年も経っちまう。そしたらヒュウガは、時間切れであっちの世界に戻っちゃうかもしんねえ。そしたらこっちのもんだ、ってさあ》

《なるほどな──》

《てんで信用できねえぜー。だまされんなよ、ヒュウガー》


 俺は「やれやれ」と思いながらキリアカイの方へ向き直った。


《申し訳ありませんが。ただいまのお言葉、信用はいたしかねます》

 言った途端、すうっと女の目が細められた。満面に浮かんでいた気持ちの悪いお追従笑いがすっと引っ込む。

《あら。なぜですの》

 再び般若面にもどったところへ、蛇の眼光が付け加わった。

《先ほどオイハン大佐殿にも申し上げましたが。こちらのドラゴン、ガッシュには人の心を読む能力がございます。……残念ながら、今のあなた様は彼の信頼を得られなかったということです》

《な、……ななな》

 瞬く間に、また彼女の顔が真っ赤になった。憤然と噛みついてくる。

《なにをバカなことをおっしゃるのです! そのようなドラゴン風情に、あたくしの何がわかるというのですか……!》

《お言葉を慎んでください。このガッシュは、あの伝説の始祖のドラゴン、直系の孫にあたる者。ドラゴン族の中でも最も恐れられ、最高位の能力を誇るドラゴンです。ドラゴンとしてはまだまだ若輩の部類ですが、たとえ四天王のあなた様でも、軽々しく見下せるような存在ではない。軽はずみなお言葉は、御身のためにもなりませんぞ》


 言ったら女は「ぐぐう」と変な喉声をたてて押し黙った。

 他方のガッシュはと言うと、なんとなくその目がきらきらと輝いて、俺を見つめたようだった。


《ヒュウガ……》


 ほんのかすかな思念で「あんがとよ」、などと聞こえてくる。なかなか可愛いところもあるようだ。

 「武士の情け」ではないが、とりあえずそれについては聞こえなかったふりをして、俺は再びキリアカイを見据えた。


《やむを得ませんね。では、領民たちのことは諦めていただくほかはありません。どうかこのまま、お引き取りを願いたい》

《なっ……。ま、待ってくださいまし、魔王陛下! それでは──》

《申し訳ありませんが。これ以上、この問答に時間を費やす必要性を感じません。どうか速やかにお引き取りを》

 

 その瞬間。

 キリアカイの目が不気味な赤い光を放った。


《……そうですか。でしたら、仕方がありませんわね》


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る