第2話 タオクー砦


 その関所は、魔都から北東へ数百キロも飛んだところにある。とはいえドラゴンの翼を借りれば、せいぜい小一時間というところだ。

 北へ、北へと飛ぶうちに、積もった雪に覆われた部分が増えていく。北側に広がる広大な山地からのびている大河には、まだ分厚い氷が張っていた。

 しかしそれでも、春はそこまで来ているのだ。

 氷は所どころで溶け、水際には雪を押しのけて早くも芽吹いた緑がちらほらと覗いている。氷の下では、すでに清い流れの音が聞こえているはずだった。


《あそこだ、ヒュウガ》


 ガッシュの声で目をやれば、丸太と石を組み合わせて作られた高い柵の間に、黒々とした石造りの砦があるのが見えた。

 魔王領とキリアカイ領との境、タオクー砦である。あれがそのまま、双方の領土を行き来する人々を調べるための関所ともなっているのだ。常駐する兵や文官は、合わせて数十名。

 その向こうに目をやれば、むらむらと蟻のようにうごめく灰色の帯が、蛇行しながらはるか遠方まで連なっているのが見えた。


 人だ。

 それは、人々の帯だった。

 俺は<視力強化スコープ>の魔法を使ってさらによく見た。これを使えば、普通の人間の数十倍の視力が得られる。ちょっとずるいが、要は魔力による生体望遠鏡だと思えばいい。白魔法で言うところの<遠視とおみ>と同じだ。

 家族みんなで大荷物の乗った荷車を押している者。赤子を抱え、幼子の手を引いた貧しい身なりの母親。足の弱った親を背負った青年。荷物をくくりつけたロバのような駄獣を引いて、とぼとぼと歩く痩せた少年。

 だれもかれも、やせ細ってぼろをまとった貧しい姿だ。みな、よろよろとゆっくり歩く。中にはそうすることすら困難な者もいる。長旅で疲弊しているためだけでなく、病人や、生まれつき足の悪い者もいるのだろう。みな疲れきり、うつろな目をして、それでもどよどよと南へ、南へと歩いてくる。


 目をこらすと、その上空にぐいぐいと空気を掻いて飛び回る影がいくつもあった。キリアカイ配下のドラゴン部隊だろう。一部はすでに砦の北側に舞い降りて、兵士らが隊列を作り、人々が砦へ入るのを厳重に阻止しているようだ。

 よく見ればもっと遠くの方には、人々の中から無理やりに女性や子供をひきはがし、その首元に槍を突き付けて家族の者を脅しつけている兵らの姿もあった。

 子供の母親らしい女が泣き叫び、その兵士の足にすがりついている。だが兵士らはその顔をためらいもなく蹴り飛ばしていた。何か汚い言葉を叫び散らして唾を吐きかけるような者もいる。

 おおかた、「貴様ら、戻れ」「戻らねばこやつらの命はないぞ」とでも脅迫しているのだろう。


(おのれ……!)


 俺は拳を握りしめた。

 つくづく、やることが下衆げすの極みだ。

 人を人とも思わない兵らの態度はそのまま、これまでのキリアカイの治世の在り方を映す鏡そのものだった。


《ガッシュ。砦の真上まで飛んでくれ》

《うーっす》


 一応、同じ魔族といえども魔王領と四天王領とは別の国という位置づけだ。昔の日本で言うなら、藩と天領の違いに近いのだろうか。

 ともかくも、俺がキリアカイの許可もなしにこの領域を勝手に越えることは許されない。それは直ちに内政干渉、あるいは侵略と見なされても仕方がないのだ。それどころか、そのまま戦闘が開始され、内戦にもつれこむ恐れさえある。

 俺たちが砦の真上に来ると、後ろのヒエンやドラゴン部隊もそれに倣った。

 キリアカイ軍の兵士たちは、「一体なにごとか」とこちらを見上げている。

 俺はそこで、場にいる皆に聞こえるように<念話>の内線を大きく開いた。


《魔王、ヒュウガである。一同の者、まずは聞け》


 はるか下方で、「ええっ!?」とか「うおっ?」というような、なんとも言えないどよめきが起こった。


「ヒュウガ様? あ、あれが魔王さまか……?」

「本物かい?」

「あのお姿、まちがいねえ!」

「それに、あの黒いドラゴンは、魔王さま御用達ごようたしのもののはずだぜ」

「魔王さま」

「魔王さまっ……!」


 キリアカイ側の領民たちが、つぎつぎと地面に膝をつき、こちらに向かって頭を下げ始めた。中には泣き叫び、両手を組み合わせて神仏に祈るようにしている者もいる。キリアカイ兵たちは完全に戸惑って、互いの顔を見合わせる様子だ。

 途端、いかにも得意げなガッシュの思念が飛んできた。


《へっへーん。みんな見てる、見てるぜ~、ヒュウガ! ほらほら、カッコいいってよー! オレがいてよかったろ~? あっちの兵どもの顔、見ろよ! はっはは! なっさけねー!》

《わかったわかった。ちょっと黙っていてくれるか》


 俺は苦笑してそう返すと、あらためて皆に向かって思念を送った。


《こちらに集まっている民たちは、我が領内への移住を求めている者らだと聞いているが。それに相違ないか》


 すると、まるであぶくが湧き立つように、眼下の人々の群れからどよどよっと、多数の声の混合物が浮き上がってきた。


「ま、まちがいありませんです! 魔王さま!」

「わたしどもは、魔王陛下の翼のもとに庇護を求めて参った者です」

「どうか、わたくしどもをお助けください……!」

「わたしどもの中には、老人も、子供もおります。病人たちも多数おります」

「皆で必死に、ここまで歩いて参ったのです」

「それもこれも、魔王様にお助けを仰ぐため!」

「やっとの思いでここまでたどりついたというのに、キリアカイ様の兵士たちが砦へ行かせてくれないのです……!」

「どうかお助けを!」

「お助けください、魔王さま……!」


 民らの声は大体そのような内容であり、その場の空気を振動させるようにうわんうわんと渦巻いた。その声は男のもの、女のもの、小さな子供のものから老女、老人に至るまで様々だ。それらがみんな合わさり、うねって、俺のところにまで立ちのぼってくるようだった。

 右隣り、ヒエンの乗るドラゴンにはシャオトゥとマルコが、そして左隣り、ギガンテの駆る黒いキメラにはライラとレティが、それぞれ乗せてもらっている。皆はじっと、俺の動向を見守っていた。


《わかった。皆、少し待っていてくれ》

 俺は民たちを見下ろしてそう答えると、前方のドラゴン騎士団へ目を戻した。

《キリアカイ殿の兵らに告ぐ。そちらの責任者はだれか。その者と話がしたい》

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