第8話 現実世界


 それを聞いて、俺はふたたび半眼になった。

 そして「いや、どちらにしてもお前はほとんど後宮にいりびたっているだけの、ただの『自称・引きこもり魔王』だったんだろうが」と、つい心の中で突っ込んだ。

 俺のその顔を見て、真野は「ぶっくくく」とこらえきれずに笑い出した。


「なーんかお前、そんな格好になっても変わんねえのな。ゾルカンに聞いたぜ? オレが使女たち、そっくりそのまま召し抱えたんだって? 物好きだねえ──」

 俺はじろりと真野を睨んだ。

「失礼な発言はよせ。今では彼女たちは、ここで女官としての正当な仕事をきちんとこなしてくれている。以前の『仕事』は、お前に強制されていただけのことだろう。今後、侮辱するような物言いは、この俺がいっさい許さん。いいな」

「わ~かってるってば。そんな、怒んなよ。おお、こっわ……」


 そう言いながら、真野は皮肉な笑みを消しはしない。

 俺は思わず、腰の<青藍>に手をかけた。「怒るな」が、聞いてあきれる。こいつのせいで、レティもライラも、そしてここにいるギーナもまことに酷い目にあった。その挙げ句、こいつは俺を無理やり魔王にまでしたのだから。

 俺の殺気を察知して、真野はぴゅっとヒエンの後ろに隠れた。子ネズミのような素早さだ。


「おおっと、気をつけろよ? オレを斬ったら、この子供だって死ぬんだぜ? ま、確かにオレも消えてあっちに戻っちゃうんだけどさ。いいの? こいつ、まだこんなガキなんだぜ? かわいそうじゃね?」

「…………」

「それに、お前は俺から聞きたいことが山ほどあるはずだ。あっちの世界のこと、魔王として知ってたこっちのことも、色々な。ちがうかよ」

 なかなか痛いところを突いてくる。確かにその通りだった。

「そう思ったから、オレもわざわざこっちに来てやったんじゃないか。親切だろ? ま、『北壁』を抜けて『マノン』に変わったとたんに、あのマインが飛んで逃げちゃったのには参ったけどさあ──」


 それは逃げるだろう。

 こいつは、もとの純真そのものの優しい少年マルコとは、雲泥の差どころではないのだから。そこにいるピックルだって、よくぞこれまでそばを離れずにいたものだ。とはいえ今も、少し離れた場所から唸り声をあげつつ真野の様子をうかがっているだけだけれども。

 俺は呼吸を整えると、<青藍>のつかから手を放した。改めて真野を睨みつける。


「語りたいことがあるなら聞こう。が、こちらからわざわざ頭を下げてまで訊く気はないから、そのつもりでな」

「おーお。おっきく出たねえ」

 真野はけらけら笑っている。が、相変わらずヒエンの鎧の腰当ての後ろからは動かない。ヒエンはやや困った顔をしている……ような気がする。

「本当にいいのかよ? 自分の身体が今どうなってんのかとか、気になんないの? あと、家族がどうなってるのか、とかさあ──」

「家族……? まさか」


 俺が思わずそう言ったら、真野はなぜか、俺のそばにいるギーナをちらっと見て苦笑した。


「なーんか。笑っちゃうんだよなあ。その女、ちょっとそっくりすぎるんだもん」

「なに……?」

「だから。レナたんにそっくりなんだよ、そこのお姉さん。ダークエルフで、紫の髪にピンクの瞳」

 ギーナが驚いて俺の顔を見る。俺もただ愕然と、彼女の瞳を見つめ返すしかできない。

「けど、知ったときには驚いたよ。オレの好きなゲーム、お前の弟くんも好きだったなんてさあ。しかも、まで一緒なんてさ。こんな偶然、あるんだな」

「なんだと……?」


 まさか。

 ゲームの好きな俺の弟といえば──


「お前より、ちょっとひょろっとしてるけど。結構、顔は似てんのな。たしか『リョースケ』とか言ったっけ?」

「…………」

「可哀想に、泣いてたぜ? 鬱陶しいアニキの説教、もうちょっと真面目に聞いとけばよかったー、ってさ──」


(泣いていた? 良介が……?)


 一瞬、眼前が暗くなる。

 では、俺はどうなったんだ。

 あの時、真野と一緒に事故に巻き込まれたのだとして、意識がこちらに来てしまった以上、まともな状態だとは考えにくい。そうは思いながらも、事実を確認する手段もなく、ずっと考えまいとしてきたのだが。

 動きを止めてしまった俺を、じっくりと奥底まで探るような目つきをして真野が見ている。


「心配すんなよ。死んでねえ。……、な。けど、いつまでもお前自身が体から離れたまんまじゃ、多分、いつかはそうなるんじゃね?」

「それは……つまり」

「要するに、あれ以来、意識不明のまんま、ずーっとベッドにいるってことだよ。詳しい容体とかは知らないけどさ。あっちでは今、事故から大体三週間ちょっとってところみたいでさ」

「三週間……?」

「そ。どうも、あっちとこっちじゃ時間の進み方も違うみたいでさ。ざっと計算すると、大体十分の一ぐらいかな? オレも最初は驚いた」


 俺は絶句して、幼い少年の姿をした真野を呆然と見返した。

 こいつの言うことが真実ならば、確かに俺が彼から聞いておかねばならない話は山ほどあった。

 しかし、あいにく時間は取れなかった。真野が急に、なにかそわそわし始めたのだ。


「あ、悪い。……あっちが目を覚ましそうだ」

「いや、待て。真野……!」

「悪いって。こうなると、オレにもどうしようもないからさ。ええっと……次まで最低でも、こっちの時間で七日ぐらいはかかるから。その時にまた、この子供に<誘眠スリープ>かけてみてくれよ。……そんじゃな」


 そう言って、真野はあっという間に目を閉じた。そうしてヒエンの足につかまったまま、ずるずるとそこにへたり込んだ。



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