第4話 過去


(『デュカリスが幸せそうか』……か)


 そんなこと、分かるわけがない。俺は神様でもなんでもないのだ。いや、目の前のフリーダだってそんなことは百も承知だろう。

 だから彼女が本当に訊きたいのはそういうことではないはずだった。俺はどう答えたものかと、そこからしばらく考えた。


「……うまく申し上げられませんが。自分は決して、そんなに長くデュカリス殿と共にいたわけでもございませんし」

「……うん」

「しかし、マーロウ殿の魔法や魔法薬ポーションの効果が切れるとき、あの方はひどくお苦しみになるのです。それは見ていて、こちらもお気の毒になるほどです」

「…………」

 フリーダの目が食い入るように俺を見ている。

「これは自分ではありませんが。同行されている方のお一人が、こうおっしゃっておりました。『それは恐らく、今は忘れておかなければならないを、心底想われるゆえであろう』と。……はなはだ僭越なことながら、自分もそのように拝見していた次第です」

「…………」


 フリーダは無言のまま、俺の瞳をぎゅうっと睨みつけるようにした。形よい桜色をした唇が、かすかに震えていた。ほんの一瞬、その顔がくしゃっと崩れそうに見えたのだったが、どうにかそれは持ちこたえたようだった。


「……わかった。ありがとう。下がってよいぞ」


 それは、わずかも揺らすまいと努力した上で出されていることが十分伝わるほど、固すぎる声だった。

 俺はなるべく静かに立ち上がり、そのひとに向かって低く一礼をしてから部屋を辞した。





 その後の詳しい聴取は部下の兵らのみによって行われ、俺たちは宿へ戻った。道みち、俺はフレイヤやマリアたちの口から、初めてフリーダとデュカリスのことを聞くことになった。


「デュカリス様は、現皇帝、ヴァルーシャ陛下の甥御様おいごさまにあたられるお血筋なのです」

 そう言ったのはマリア。

「甥……? と言うと、あのフリーダとは?」

 「まさか兄妹とか言うまいな」と一瞬危惧したのだったが、マリアはあっさりと否定してくれた。

従兄妹いとこ同士、ということになりますわね。親御さま同士が兄、妹の間柄であらせられます」

「……ああ、なるほど」

「ただ、デュカリス様はすでに王族としてのご身分を返上しておられます。従って正式に従兄妹とも申せませんが。ただ今は臣下として、王家にお仕えになっておられます」

「そうなのですか……」

「もともと、陛下には先に王位を継がれるはずだったずっとお年上の兄君さまがおられたのです。ただその方は、三十路を待たずに身罷られてしまったのでございますが。デュカリス様はその御子としてお生まれになった方にございました。……ただ、そのお血筋に問題がありまして」

「問題……?」


 それはまあ、ありがちと言えばありがちな流れだった。

 デュカリスは、先帝の長子だった父親が下働きの娘に手をつけて産ませた子であるらしい。いわゆる妾腹めかけばらというやつだ。もしも正妃か、あるいはせめて側妃の子であったなら、いま帝位にいたのは間違いなく彼であったはずだった。

 しかしあの容姿と才能は、幼い頃から大いに周囲の目を引いていたらしい。現皇帝が生まれるずっと前から、心優しく文武に優れ、清廉な気質のデュカリス少年はすっかり臣下の心を掴んでいたのである。

 その後もなかなか御子にめぐまれなかったこともあり、皇太子の亡きあとは「次期皇帝はデュカリス殿下なのでは」という巷間こうかんの噂は相当にかしましいものだったらしい。

 そこへ生まれたのが、現皇帝ヴァルーシャだった。


「……いや。少々お待ちを。デュカリス殿はまだ、十分にお若いのでは。陛下がそれよりもかなり若年じゃくねんということですと──」

 俺の疑問に、マリアは例によってふんわりと笑って見せた。

「おっしゃる通りにございます。そう言えば、先日お目通りをした際、陛下はちょうどデュカリス様によく似たお姿でいらっしゃいましたわね。……ですがその実、陛下はまだ、ほんの小さな少年であらせられるのですよ」


(なんだって──)


 俺は思わず、あのヴァルーシャ宮で見た美々しい青年皇帝の姿を思い出した。あれが周囲の魔術師たちによる<幻術イリュージョン>の賜物であることは聞かされていたけれども。

 どうやらその後、デュカリスと会った時、皇帝の姿が彼に非常によく似ていると思ったのはあながち間違いでもなかったらしい。少年皇帝には彼なりに、何か思うところでもあるのかも知れなかった。


「陛下は大層、あの年の離れた甥御さまを慕っておいでのようでしたから。それこそ、まことの兄君さまのようにです」

「ああ、なるほど……」

「ただし。もちろんこれは、ここだけのお話ですわよ。どうか決して口外はなされませんように。陛下が諸外国の高官たちから侮り見られるようなことがあってはなりません。そのための、あの処置なのですからね」

「は、はい……」

「お二人も、よろしいですわね」


 マリアが見ると、ライラとレティが神妙な面持ちでうなずいた。

 ちなみに「もと緑パーティ」の三名とギーナには、まったく驚く様子が見られない。彼女たちはもともと帝都ステイオーラに縁のあった人であるため、これら王族の過去のあれこれをある程度は知っていたということらしかった。


「皇帝陛下は、今は亡き兄上さまからは何十歳も年下であられます。当然、母君さまも違います。先の王妃さまは非常にお若くして身罷られてしまいましたので。陛下は第二王妃様の御子でいらしたわけですわね」


 ちょっと話がややこしいが、このあたりの理解も「まあそうなんだな」という程度で構わないのだろう。王家の血族などというものは、大体がそんな風で、ひどくいりくんでいるものだ。

 要するに、デュカリスは皇帝ヴァルーシャの甥。ただし現在は野に下って臣下となり、王家をお守りする立場だったということだ。

 対するフリーダはヴァルーシャの姪。彼女の母親がデュカリスの父親の妹だったということで、つまり二人は従兄妹同士。


「実は一時期、若君さまとデュカリス様のどちらを担ぐかという問題で諸侯が二分し、権力争いに発展しかねなかったことがありまして。飽くまでも水面下でのことではありましたけれどもね。しかしデュカリス様はそうした争いをお嫌いになり、国の行く末を憂慮され、自ら野に下るご決意をなさったと聞いております」

 そう説明したのはフレイヤ。

「そうして、まもなく近衛騎士団にお入りになった。……あの騎士団長様のもと、副団長として王家にお仕えになっていたのです」

「近衛騎士団……? そうなのですか」

「はい」


 ということは、騎士団長フリーダのもと、デュカリスも副長として側にいたと?

 本来であれば団長はデュカリスが拝命すべきところなのだろうけれども、「すでに臣下となった以上は」とその立場は固辞して、フリーダに譲ったという経緯であるらしい。なるほど、あの青年らしいと思った。



 翌日になって改めてフリーダの部下の武官が宿を訪れ、今後の調査予定を文書にしたためて持ってきた。

 そこには今後の日程と、ここから北方にかけての各地域を分割した地図が載せられていた。その各地域をあちら近衛部隊と俺たち青のパーティー、そして赤のパーティーに割り振られている。予想していた通りだったが、近衛隊と赤のパーティーとの担当地域はひどく離れた設定になっていた。


「はあ? なんであたしが。めんどくさ!」


 側にいたミサキが早速、ぶつくさと不平を鳴らす。その背後では、デュカリスがややほっとしたような、しかし悲しげな目をして俯いているのが見えた。

 それを後目しりめに、俺はひとこと「了解しました」とだけ言って、使者に一礼したのだった。


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