第9話 追跡者


 翌朝。

 俺たちは旅支度をして、宿の前でリールーとシャンティに騎乗し、空へ舞い上がった。この三日で十分に旅費も稼げ、食料その他の準備も整ったからだった。

 が、上空へあがって小一時間もしないうちに、リールーが俺に話しかけてきた。


《ねえ、ヒュウガー。まただれかさんたちが、ボクたちのこと追いかけて来てるんだけどー》

《なに?》

 思わず背後を見やったが、やっぱり何も見えはしない。あるのは晴れわたった青空と湧きあがる雲、朝の鮮やかな日の光だけだ。

《えっと、今度は二頭に分かれてきてるのー。あっちのひとが『ご主人様が止まれと言ってる』って。ヒュウガに伝えてって言ってきてるよー》

《そうなのか》


 前回とは違い、あちらの騎獣がリールーに心で呼びかけてきているということらしい。


《目的は? 何か言ってきてるか》

《そのひとのご主人サマがー、ヒュウガにお話があるみたいー。別に怒ってるとかじゃないみたいだよー? どうするー?》

《……わかった。降下してくれ。シャンティにも伝えてくれるか》

《りょうかーい》


 いま、眼下は緑に覆われた山地になっている。俺たちはその広大な森の隅に湖を擁する少し開けた場所を見つけ、そちらへ降りることにした。フレイヤたちを乗せたシャンティもリールーの指示に従って降りてくる。

 そこで十数分ばかり待っていると、やがて森の木々の向こうに二つの飛影が見え始めた。


(あれは……)


 ライオン? 

 いや、しかし──。


「うわ~、獅子のキメラですね。よく似てるし、きょうだいでしょうか。ドラゴンほど珍しい生き物ではありませんけど、あれもなかなか<テイム>するのは大変なんですよ。あっちの<調教術師エンチャンター>はだれなんでしょうね?」


 こちら側のエンチャンターであるアデルが、早速興味深そうに教えてくれた。

 それはちょうど、ライオンに大きな翼が生えたような生き物だった。ゲームなどでも「キメラ」とか「キマイラ」と呼ばれるような複数の生物の形質を併せ持った生き物があるが、ちょうどそんな感じに見える。


 大きさはリールーとほぼ同じほど。片方は全体に燃えるように紅く、もう一頭は黄金色だ。見るからに獰猛そうな顔や巨大な爪の生えた足を鎧帷子よろいかたびらに包んでいる。遠目では分かりにくいが、尻尾の先が蛇の顔のように幅広になっている。

 紅い方の翼は鳥のもの、黄金色のほうはリールーのようなドラゴンのものだ。それぞれに背中には人々が四、五人乗っている。紅い生き物の背の先頭に乗っているのは、あの「赤の勇者」ミサキだった。


 ミサキは連れの男たちとともにしれっとした顔でキメラから降りてくると、当然のような顔で俺の前にやってきた。他の女性がたはみな、やや身構えるようにして彼らを迎えている。ちなみにそっとギーナを見れば、彼女だけは少しも驚いた様子もなく、あさっての方を見てすっとぼけた顔をしていた。


(……なるほど)


 なんとなく理解した。

 どうやら彼女だけはこの顛末を予測していたものらしい。昨夜は随分と遅くまで帰ってこなかったようなのだが、いったい女二人でどんな話になったものやら。

 ともかくも、俺はミサキに向き直って軽く一礼した。


「おはようございます、ミサキさん。昨夜は失礼をいたしました。何か当方に御用がおありとのことですが」

「やめてよね、それ。『さん』付けとか、やたら敬語とかさ。かえって年を思い出して不快なんですけどお?」

 いきなりふくれっ面をされても困る。沈黙した俺を見て、ミサキはくすっと苦笑した。

「あーあー、もういいわよ、不器用少年。あんただけは『呼び捨て&タメ口』でオーケー。許してあげる。それより、ちょっと話があるの。いい?」


 「いいか」と訊きつつ、ほとんど有無を言わさぬ勢いで袖をつかまれ、俺は皆から少し離れた木のそばへ連れて行かれた。俺の連れはもちろんのこと、あちらの「奴隷」たちも奇妙な顔で互いに目を見かわしている。

 皆から十メートルほども離れたところで、ミサキはくるりと振り向いた。


「んね。確認しておきたいんだけど。あなた、本当にあの『魔王』を倒しに行くつもりなのよね?」

「……ええ」

 それが何だと言うのだろう。

「それ、ほんっとうの、本気なのよね?」

「はい」


 そこでちょっと言葉を切って、ミサキは俺の内心を探ろうとでもするようにじっとこちらの目を覗きこんできた。

 近い。

 いくら年下の「坊や」だと小馬鹿にしていても、俺も一応男なんだが。

 やがてすうっと目を細めると、ミサキは両手を腰に当ててそっくり返った。


「……わかったわ。じゃ、あたしも同行させてもらいましょ」

「は?」


 何を言われたのか理解に苦しみ、俺は何度か彼女のセリフを耳の中で再生させてみた。が、何度やってみても同じ言葉が繰り返されるだけだった。


『同行させてもらう』。


(本気か、この女──)


 どういうことだ。昨夜はあれほど「魔王を倒しに行くのなんてゴメンだ」と息巻いていたのではなかったか。


「ちょっと。何よその顔! 信じてないの? 失礼しちゃう」


 ミサキが不満いっぱいの顔になる。

 本当にこの女、よく頬を膨らませるのだ。人を「坊や」だ「少年」だとバカにするわりには、本人自身がひどく幼く見えるのは気のせいか。


「……いえ。話のつながりが見えないもので。ご説明いただきたい。昨夜はギーナとどんなお話を?」

「いいじゃないの、細かいことは。女の内緒話を聞き出そうなんて、あんたには百年早いっての」

「…………」

 相変わらず失礼きわまりない。

「大事なのは結論でしょ? もちろん、本当に魔王に会う所まで一緒するつもりなんてないんだけどさ。理由は昨日も言った通りよ。けど、ちょっと面白くなっちゃったから」


 言いながら、なぜか背後のギーナのほうをちらりと見ている。つまり「面白くなった」というのはギーナにまつわることなのか。彼女はいったい、この女に何を語って聞かせたのだろう。

 ミサキは腰に手を当てた姿勢で、「ふふん」と笑いながら俺を見た。


「<テイム>もせずに、あんたみたいなのがどこまでやるか。もしもほんとに魔王が倒せるんだとしたら、それはあたしにだって関係のあることなわけだし? 一年たったら自分がどうなるのか、あたしだって知りたくないわけじゃないんだしさ」


 どうだろうか。

 俺より三か月も早く期限の切れる彼女には、俺が魔王とどうなるかを見極めるチャンスはあまりないように思われるが。

 どうも承服しかねる顔をしたままの俺を見て、ミサキは少し肩を竦めた。


「ま、いいじゃないのよ、あたしのことは。それにあんた、なんか最近、剣を合成したばっかなんでしょ? そっちの師匠センセイが欲しかったんじゃないの? それだったらうちの誰かがレクチャーできると思うから」


(なんだって──)


 驚いた。

 それは確かに、願ってもない。


「剣の、師匠……ということですか」

「そ。で、その代わりにあたしたちはあんたについていく。悪い取引きじゃないんじゃない?」

「それは……。しかし、まことに構わないのですか」


 俺は思わず、キメラたちと共にあちらに立っている数名の男たちへと視線を走らせた。ミサキがすっと目を細めた。いかにも「してやったり」の顔だ。


「ここで嘘いってどうなるっての。あたしが命令すれば、彼らはちゃんと従うわよ。誰にするかさっそく決めちゃう? どの男がいい? 得物で選ぶんだとしたら<聖騎士パラディン>の彼……デュカリスが一番近いかなと思うんだけど」


 彼女の視線の先にいるのは、先日最初に俺に噛みついてきた長い銀髪のハイエルフだった。

 そう言うからには、彼女はギーナからある程度、俺の武器に関する情報も得ているということのようである。


「見たところ、得物は長剣ということでしょうか」

「まあ、そうかしらね。あっちの体の大きな男だったら、体技も色々できるわよ。ガイアっていうんだけど。彼は傭兵あがりだから、色々な武器が扱える。戦術や用兵にも詳しいわ。個人的には戦斧や棍棒が好きみたいだけど、得物はなんでも持てるはず」

「……なるほど」


 言われて改めてそちらを見る。

 彼女のパーティーの中でひときわ体の大きなその男は、赤い髪を短く刈り込み、整ってはいるもののかなり野性味のある顔立ちをしていた。見たところ、体は大きいがヒューマンのようだ。鼻の頭に一文字の刀傷があり、非常に屈強な体躯をしている。ミサキに言わせると「あれで結構すばしっこく動けるのよ」とのことだった。

 

 俺はしばらく考えてからミサキに自分の希望を伝え、二人でみなの所へ戻った。

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