第27話

 エンデレの目の前に、あの化物がいた。


 大きな家の中の一室。食卓。暖炉。うち捨てられた死体。


 エンデレは、拳を思いっきり握った。


 化物はガラス玉のような眼でエンデレを見た。エンデレは、化物を睨み返した。


 思いっきり空気を吸い込んで、エンデレは思いっきり叫んで、全力で殴りかかった。


 「死いいいいいねえええええ!!!!!!!」


 不意に現れたエンデレの拳は、まともに化物に当たった。


 殴られた化物はよろけて、鉈を取りこぼした。


 「オラア!!」


 エンデレは続けて蹴りを放った。化物はまともに食らって、後ろに吹き飛んで、暖炉にぶつかった。


 化物は弱体化していた。


 まるで猛獣に襲われたかのように体中のあちこちに大けがをして、常人なら生きているのも不思議なくらいの状態だった。


 暖炉を背に、化物は血を勢いよく吐いた。


 エンデレは続いて追い打ちをかけようとした。


 しかし、化物は素早く起き上がり、とてつもない勢いでエンデレに突撃していった。


 エンデレはその突撃をまともにくらって、後ろに大きく吹き飛んだ。


 「がはっ……!」


 勢いよく背中から壁に直撃して、エンデレは息が一瞬できなくなった。


 化物は、エンデレに跨ると、エンデレの首を絞めようとした。


 エンデレは上半身を壁にくっつけて、化物の手首を掴んで、何とか阻止しようとする。


 化物の腕の骨は折れているが、それでも首を絞めようとするその力をエンデレは抑えることができなかった。


 エンデレの手の力によって押し戻されようとしながらも、徐々に化物の手は、エンデレの首に近づき、触れようとした。


 「くそ……!」


 エンデレは、必死で抵抗したが、やがて首に手がかかり、エンデレの首は徐々に締め付けられていった。


 エンデレは、抵抗する力を強めたが、まるでビクともしなかった。


 エンデレの視界が霞み、意識がもうろうとしてきたそのとき、ボーンという大きな音がその部屋に響いた。


 暖炉のそばにある時計が鳴ったようだった。


 エンデレの目線は、化物の肩越しに時計に移り、時計の足元にある扉が、中から開かれるのを見た。扉の前に横たわっている中年の女が、扉に押され、横にずれて転がった。


 中から、赤い髪の女の子が出てきた。


 怯えきった目をし、目に見えて震えながらも、時計の中から出てきた。


 女の子は落ちている鉈に目を向けた。それを掴んで、化物とエンデレを見る。


 女の子は、化物の後ろから、鉈を持って近づいてくる。


 エンデレは必死に化物の手を掴んだ。化物はまだ、エンデレの首を絞めている。


 女の子が、化物のすぐ後ろに来て、大きくその鉈を振りかぶった。


 そして、化物の頭に鉈が振り落とされた。


 エンデレは両手の力を必死に強めた。


 頭に鉈をくらった化物は、エンデレの首を絞めるのをやめて、後ろを向こうとした。


 しかし、エンデレは絶対に手を放さなかった。


 もう一撃、化物の頭に直撃した。化物がエンデレを必死に振りほどこうとする。


 もう一撃、もう一撃。


 化物の頭から、大量の血が飛び出た。


 化物は、次第に力を失い、エンデレに倒れ込んだ。頭から流れる血が、エンデレにかかった。


 化物はもう動かなかった。


 エンデレは、もたれてくる化物をどかして、起き上がって女の子に近づく。


 女の子は、可愛らしいワンピースに身をくるんでいた。服には飛び散った化物の血がまだらになっている。


 女の子は、何もない床を、呆然と凝視していた。


 女の子の手から、ゆっくりと鉈がすり落ちた。


 「あ……」


 徐々に表情が歪み、目から次々と涙がこぼれた。


 「うわああ」


 開かれた口から、絞り切るような声が漏れ出てきた。


 「うああ、ああ、あああああ」


 赤い髪をした女の子は、泣いた。


 「うあああああああああああああああ!!」


 大声を上げて、腹の底から泣いた。


 「うわああ、ああ、ああああ、ううあああああああ!!」


 ボロボロと目から涙をこぼし、しゃくりあげながら、いつまでも泣いていた。


 「……」


 エンデレは、よろよろと、女の子に歩み寄った。


 必死にしゃくりあげる女の子を、エンデレは抱きしめた。


 女の子は、エンデレの胸に縋って、泣き続けた。


 「うあああああああああああああ!!」


 「……」


 エンデレは、女の子を強く抱きしめた。


 「……大丈夫だ。もう、大丈夫」


 「ああ、あああ、ううう」


 「……」


 「ううう、うう」


 「……」


 「うっうっううう……」


 「……」


 エンデレは、女の子の頭を撫でた。


 「……」


 「うう……」


 「……もう、大丈夫だよ」


 エンデレは、繰り返して言った。


 「……この街に……君を助けてくれそうな人が、いるんだ」


 「……うう……」


 「アリーゼって人が、この街にいるんだ。その人を頼ると、いい。少しピントがずれているところはあるけど、良識はある人なんだ」


 「うう……ひっく……」


 「初対面だろうけど……大丈夫。大丈夫だ。根気強く粘れば、あの人はそれを、きっと気に入ってくれると思うから」


 「うっく……うっう」


 「あとは、あとはグシースって街に、エーリとエルって人がいるんだ。この街から、どれだけ離れているかもわからないけど、根は優しい人たちなんだ」


 「うっ……ううう……」


 「……他にも、他にも多分、たくさんの人がいると思う。優しい人とか、怖い人とか、色んな人がいると思うけど、きっと、どこかには、君の事を、助けてくれる人もいる。だから、だから、もう大丈夫なんだよ」


 「う……うう……」


 「……エンデレって奴も、多分。多分、なんだけど……」


 エンデレは、抱きしめる力を強めた。


 「多分、少しは、いい奴になってるから……だから、もし、気が向けば」


 「……」


 「会いに、行ってやると、いい。きっと、きっと喜ぶと、思うから……」


 女の子は、エンデレを強く掴んで、ずっと泣き続けていた。






 「くらえ!」


 エンデレが最後の魔鳥を片づけると、エルが喝采を上げた。


 「やったぜ! にーさん!」


 口笛まで吹くエルに、エンデレは呆れた目を向けた。


 「馬鹿なことしてないで、さっさと下りるぞ」


 「えー?」


 「えー? じゃない。全く、俺がいなかったらどうなってたと思っているんだ?」


 「でも、にーさんいるし。だから、大丈夫なんじゃん?」


 エルはニッコリとエンデレに笑いかけた。


 エンデレは溜息をついた。


 「あ、ここからの景色良いねえ。にーさんも見てみなよ」


 「……」


 騒ぐエルが街の方向を指さし、エンデレがそれを見る。


 そこは確かに、いい景色だった。


 エンデレは、目を細めて、その景色を眺めた。


 「ここまで登ってきた甲斐が合ったねえ」


 「……お前、これから一週間エーリの店でタダ働きな」


 「えー?」


 「えー? じゃないっつってんだろ。下りるぞ」


 エンデレは木に手と足をかけた。エルも、拗ねて唇を突き出しながら、エンデレに続いて、木を下りた。


 「あ、そうだ……」


 エンデレが、よじ下りながら声を出す。


 「今度、街に行くんだ。一緒に行こうか」


 「にーさんが自分から? いいけど、珍しいね」


 「そうか? まあ、いろいろ用があるしな」


 「用って?」


 「エーリのアレとか、あとは、なんだっけな……」


 エンデレは少し考えたが、ただの気のせいだった。


 「まあ、いいや。そう言う訳で、行くからな」


 「ふーん。まあ、いいことだねえ」


 「そうだな。きっと、いいことだな」


 風が吹きつけて、エンデレは目を細めて動きを止めた。


 「……」


 エンデレは、もう一度街の方を見た。


 「……」


 しばらく見続けた後、また、エンデレは木をよじ下りる。


 木に登って見えた街には、目には見えないものの、たくさんの人が蠢いている。


 人々はざわめき合い、笑い合って、楽しそうに話をしている。


 けれど、人の喧騒は、ここまでは届いてこない。


 エンデレは、無性にそれが聞きたかった。

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パラドクス・イグジステンス 四見はじめ @shajime

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