第14話

 気がつくとエンデレは船の一室にいた。


 目の前には血だまりがあった。血だまりの中心には目を見開いた死体の腹がある。中身がこぼれ出て、周囲に悪臭と生温かさを撒き散らしていた。


 「……うっ、ぐ……」


 吐きそうになるのを、手で押さえてなんとか押しとどめた。


 「……なんで、嫌なところばかりに」


 エンデレは溜息をつきながら天を仰いだ。


 「いつになったら俺はエルを助けられるのだろうか?」


 転がっている死体の顔を、エンデレは微かに見覚えがあった。見慣れないオレンジの服装で、あの以前に出くわしたおかしな連中の一人だろうと推測した。


 部屋はせまい個室だった。様々な物が敷き詰められて、人がもう二人か三人か入ったらぎゅうぎゅうになってしまう広さだった。


 死体は箱にもたれかかって、顔の目線はエンデレに向かっている。エンデレは気分が悪くなった。


 エンデレはとりあえず、部屋を出ることにした。


 扉を開けたところで、人にかち合った。


 これもまた微かに見覚えのある顔で、奇妙な青い服装をしていた。その人間は驚愕に目を見開いてエンデレを見ていた。


 「あ、どうも……」


 『う、うわあああああああああああ出たああアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』


 「ふん!」


 『あふん』


 猫だましをして気絶させると、エンデレは動かないそれを担いで、船内を歩いていった。




 「あなたは、確かエンデレさん……」


 「ああ……」


 いくつか扉を開けると、前に転移したと思われる場所にたどり着いた。


 相変わらずテーブルを囲んでいたが、そこにいる人間は少なくなっていた。


 エンデレは担いできた人間を扉の前で乱暴に下ろした。


 『やべえ奴きた……』


 『あいつ死んでる?』


 『誰か確かめてこいよ……』


 『多分死んでないと思う……』


 エンデレは遠巻きに群がりにきた人間たちに一瞥をくれてから、真っ先に駆け寄ってきた、エンデレを真正面から見る女に向き合った。


 「それで? あの後どうなった?」


 「……」


 愛理はエンデレを真っ直ぐにみつめた。


 「ご安心ください。殺人犯は見つかりました。そして、今はある個室に閉じ込めています」


 「ふーん……」


 「外部の人間がこの船に潜んでいたようでした。あなたの言うとおりでしたね」


 「前より人が少なくなっているようだが」


 「……殺人犯を閉じ込めるために、ある程度の犠牲者がでました。今は船で陸へ向かっているところです」


 「そうか」


 「……ええ」


 エンデレは、左手の甲を確認した。針はまだ真上近くを指している。


 エンデレは嫌そうに眉をひそめた。


 愛理はその様子を怪訝そうに見た。


 「左手の甲になにか? 以前にもそこを気にされていたようですが」


 「なんでもない」


 エンデレは、少し考えた。


 「……そう言えば、君の名前を知らないな」


 「気になるのですか?」


 「呼ぶ時に不便だろう」


 愛理は微笑して答えた。


 「愛理といいます」


 「エリ? それは……まあいいか」


 エンデレは、愛理だけじゃなく、群がる人間たちに向けて宣言した。


 「ここに来るまでに血まみれの死体を見つけた」


 「は?」


 『は?』


 『まじで?』


 『うわ』


 「狭い個室で腹を掻っ捌かれた状態で放置されてた。アレは片づけ忘れじゃないよな?」


 「……いえ」


 『おいおい……そう言えば、あのUMAが持ち帰ってきたのって一人だけだな……』


 『やばいって……やばいって……』


 『こいつがやったんじゃなく……?』


 「……あなたが持ち帰ったその人と一緒に、オレンジの服を着た人間がいたはずです」


 「ああ、そいつだな。死んでた奴」


 「……ああ」


 愛理は頭を抱えた。


 『……嘘だろ』


 『……どうやってあそこから』


 『こいつがやったんじゃなく? ねえ、こいつがやったんじゃないの?』


 『……わからん』


 重苦しい空気が部屋を包み込んだ。


 一同が恐怖の表情を浮かべていた。群がっている人間たちが一様にざわめき立つのをよそに、愛理は、必死に思考を働かせているようだった。


 エンデレはそれらを観察していた。


 『落ち着いてください……』


 しばらく時間が経って、愛理が騒ぎを落ち着かせた。


 『冷静に、冷静に行動を移しましょう。一つずつです。まず、私たちがすべきことは……』


 『することは……?』


 『……状況の確認ですね』


 愛理は、気絶している青の服装の人間を見た。




 『ト、トイレから出たら、すぐそこで待ってるはずだったのに、い、いなかったんだ……なぜか……い、いなくて……』


 青の服装の人間が顔面を蒼白にしながら、ぶるぶると震えていた。


 『それで? それに気付いてどうしたんです?』


 『探しに行ったよ……もう、殺人鬼は閉じ込められてると思ってたし……まさか、殺されてる、なんて、思わなかったし……でも、中々見つからなくて……そしたら……扉を開けようとしたら……』


 エンデレのいる方に恐怖のまなざしを向けた。エンデレは愛理たちから離れて、そっぽを向いていた。


 『……それで、俺の知ってることは終わりだよ。後は、気絶してた……』


 『死体を見てはいないのですか?』


 『み、見てない……』


 『そうですか……』


 愛理は暗い表情をして、溜息をついた。


 青い人間が、何度もつっかえそうになりながら、話を聞く人間たちそれぞれに目線を何度も移し換えながら、やっとの思いで喋った。


 『……な、なあ……本当に、本当にあいつ死んじゃったのか?』


 『……』


 愛理はとても渋い表情をした。


 青い人間が慌てて言葉を付け足す。


 『だ、だってよ……UMAが言ってただけじゃん。皆、それ鵜呑みにしてんのかよ? 嘘言ってるかもしれないし、それに、それに……』


 『本当だったとして、あのUMAが殺したかもしれないしな』


 『まずは確認だよなあ。死体と、殺人犯を閉じ込めているはずの部屋。並行して対処も進めないと……』


 『あのUMAどうするよ……?』


 『連れて行きましょう。他にどうしようもないでしょう? この状況だと単独行動をするのもされるのもあり得ないです。それに、あの人は多分殺人と関係ありませんよ』


 『それどこ情報よ』


 『話した感触とあの人の行動からです。それに、あの人が関係あるとすると、キャパオーバーです。対応不可能案件です』


 『……まーなー』


 『信じるっきゃないかなー』


 『あんなごつい殺人犯だけでもキャパオーバーしかけてるのに、異世界人もくるとねえ』


 『まあ、俺あの人の言葉わかんねーけど』


 『逆に心強いんじゃね? 魔法……は使えねえんだろうけど……人間一人軽く抱えられる程の力持ちだし』


 『レベル15くらいかな?』


 『役に立つ特技をいくつか覚えてそう』


 『あの殺人犯は80くらいありそうだけど……片手の一振りで4人くらい死んだからな』


 『あれじゃね? 実はあのUMAは殺人犯を追ってこの世界まで追い掛けてきた』


 『じゃあUMAに全部任せたいね』


 『ほんとな』


 『……魔法を使えないとは確証を得ていませんが』


 『使えないってことでいいじゃん。もうこれ以上考えることを増やしたくない』


 『じゃあ愛理よろしく。UMAに一緒に来てって頼んでよ』


 『……わかりました』


 『キャー! 愛理ちゃんカッコイイ!』


 『よろよろ』


 『……』


 愛理はおほんと咳払いをして、くるっとエンデレの方を向いた。


 エンデレはずっと離れた場所で壁にもたれかかっていた。愛理はそこへずんずんと歩いていった。


 エンデレは、近づいてくる愛理を半眼で睨んだ。


 エンデレの前に立ち、愛理は友好的な笑顔を浮かべる。


 「あー……エンデレさん?」


 「なんだ?」


 「あなたが見たとする死体を確認したいのですが……良ければ案内をしていただけませんか?」


 「あの青い服の奴が知ってるだろ。俺とかち合った部屋だよ」


 「……エンデレさん。承知だとは思いますが、今この船には殺人鬼が潜んでいるかもしれないのです。今単独行動をすると、あなたも危険かもしれないんですよ」


 「自分の身は自分で守るからいい。君たちだけで行くといい」


 「……あなたを一人にできるほど、私たちはあなたを存じ上げていませんので……」


 「知らないな。そんなことは」


 エンデレは不快そうに、愛理を睨みつけた。


 「……思うんだが、あいつらは俺をバカにしてるんじゃないのか? やたら俺を半笑いで見てるんだが」


 「決してそんなことはありません。それは被害妄想という奴ですね」


 「被害妄想? なんだそれ」


 「他者に自分が貶められていると、事実無根の妄想に囚われることです」


 「はん。だったら、何であいつらは俺を半笑いで見る?」


 「笑顔は友好の証ですよ? もうすでに最大値の半分程度はあなたに信頼をよこしているということです」


 「お前も今俺の事を明確に馬鹿にしているよな?」


 「すみません」


 愛理はふー、と息を吐いて、落ち着こうとした。


 「……気が立っているようで……少し攻撃的になってしまいました。許してください」


 「ふーん」


 エンデレは気の無い返事をした。


 愛理はちらりと後ろを向いた。そこにはワイワイと内輪で騒いでいる集団がいた。


 「……あいつら、私をあなたの交渉係に任命した気になっているようでしてね。もう、イライラして。あいつらもこの言語喋れるくせにああクソ」


 「ああそう……もういいよ」


 エンデレは気分が落ち込んできた。エンデレは妹とエーリ以外には攻撃的な気持ちを抱くことがあり、その度に深い自己嫌悪に陥って、死にたくなるような惨めな気持ちになるのだった。


 「……それで? 何して欲しいって?」


 「私たちと一緒についてきて欲しいのです。ついてきてくれるのですか?」


 「いくさ。もう疲れててね」


 「奇遇ですね。私ももう限界近くまで疲れているんですよ。負荷がこれ以上かかると、もうどうでもいいやって、思いそうになって」


 「あ、そう」


 「はームカムカする」


 「大丈夫か?」


 「はやく家に帰って、のんびりと本を読みたいですよ」


 「あ、そう」


 「大体、私は旅行とか嫌いなんですよ。家で引き籠って本を読むのが一番いい」


 「ははは。君もひきこもりか。じゃあ、なんでここにいるんだ?」


 「現代社会にはいろいろとしがらみがあるのです。異世界の人にはわからんでしょうが」


 「異世界? よくわからんがこっちにもそれ相応の奴があると思うぞ」


 「そうですか」


 「前からちょっと気になってたんだが、君たちは何をする人たちなんだい?」


 「学問を修める人たちです。未熟な身ですがね」


 愛理はきらりと眼鏡を持ち上げた。


 「学問ね。魔法とか?」


 「残念ながらこの世界では魔法の研究がろくにされていなくてですね。代わりに科学が発達しているのですが」


 「科学?」


 「例えばこの船。今この船は馬よりも早く水上を滑っています。風の力も借りていません。動力源によってスクリューがくるくる回っているのです。確か。これも科学の力です。あなた方の世界で、船はこの速度で動けますか?」


 「さあ、知らん」


 「興味ないです? ならあなたの空間転移とやらの話をしてあげましょうか? 私、実は空間転移の研究をしたことがあるのです。興味あります? 私の理論によるとあなたの空間転移は本来ありえないのです」


 「興味ないし……」


 「そうですか。タイムトラベルの研究の過程で色々齧っているのですがね。私はタイムトラベルありだと思うんですよ、実現可能っていうんですか? まあこのことをあいつらに話すといつも馬鹿にされるんであまりしないんですけど、あなたはこの話信じますか?」


 「まあ俺時間移動してるし」


 「ほほーっ。今何と?」


 「だから時間移動してるって」


 「ほほほーっ!」


 愛理ははあはあと息を荒くして、じりじりとエンデレに近づいた。


 エンデレは愛理に引いていた。


 「いや、今こんなことしてる場合じゃないだろ?」


 「待ってください待ってください。え? 時空間移動ですか? どういった具合で? 異世界って割と時空間移動できる方なんですか?」


 「いや、俺もよく知らないんだけど」


 「詳しく! 話を聞かせてください……!」


 エンデレは躊躇したが、ぎらぎらとする愛理の目が怖かったので、なすがままに今までのあらすじを喋った。




 「……ふんふん。なるほどですね」


 愛理は何度もふんふんと口に出しながら、グルグルとその場を歩いて回った。


 「……時間と空間が相互に関連し合っていることはご存知ですか?」


 「いや……知らん」


 「とても噛み砕いて言えば、時空間と称される通り、二つは一緒くたにまとめられる概念なのです」


 ピタッと止まり、愛理はしっかりとエンデレに向き直る。


 眼鏡をくいっと上げて、エンデレを見る。


 「であれば、空間を一瞬で自在に動こうとすれば、当然そこに時間も関連してくると思いませんか?」


 「はあ……」


 「何が言いたいかというと、パラドックスです」


 「パラドックス?」


 愛理はギラリと目を光らせた。


 「時空間を瞬間移動しようとすれば、パラドックスが生じるのです」


 「はあ……」


 「非常に面白いですねえ。推測が浮かんできましたよ……根拠はありませんが」


 「説明できるのか?」


 「説明して欲しいですか!」


 「……まあ、事情知れるんなら助かるけど」


 愛理はふんふんと鼻息を荒く鳴らした。


 「時間と空間の瞬間移動は、因果関係の破綻を生み出します。例えば、時間遡行をし、自分の親を殺した時、パラドックス、つまり自分の存在に関する矛盾が生じます」


 「……うん。まあ、そうだな」


 「多かれ少なかれ、同様なことが全ての時間移動に言えます。小さい移動も大きい移動もです。空間の移動も、まあおおまかに言って時間移動するようなもんですから、同様にパラドックスが生じます」


 「……それは論理の飛躍じゃないか? 別に場所移動するくらいなら」


 「あー、蒙昧。蒙昧ですねえ。そんな訳ないでしょ。いきなり別の場所に移動しだしたら明らかな因果関係の破綻が生じますよ。物理的にも、状況的にもね」


 「うん……まあ、それで破綻したからって、どうなるんだ?」


 「それは、私にも分かりません」


 「……」


 「しかし、破綻しないようにしたいのが人情でしょう。それは、あなたが今かかっている魔法の設計をした人も、同じことを思っているはずです」


 「……」


 「その人の考えは多分こうです。転移すると、因果関係が破綻する。破綻したままだとなんか世界的にヤバい。でもどうしたって、破綻してしまう。なら、逆転。壊せるってことは、造り変えられるってことである」


 愛理はウインクをしながら指を鳴らした。


 「……うん」


 「だから、エンデレさんが最初から妹さんと一緒に登っていればよかったんですね」


 「はあ?」


 愛理はまたうろうろと歩きまわりながら、喋り続ける。


 「そうすれば、ほら。因果関係が満たされたまま、エンデレさんは木の上にいられる」


 「いや、いや……おかしい、なんかおかしくないか、それ?」


 「言ってしまえば、瞬間移動なしに、瞬間移動をするのが、この魔法なのではと思うんですねえ」


 「???」


 「つまりは、事実の改変です。改変前と改変後で擬似的な瞬間移動を実現するのです」


 「……事実の改変?」


 「そうです」


 「……それは、何か? 俺が妹と一緒に木を登るように、過去を改変すると?」


 「平たく言えばそうですね。瞬間移動を直接使わなくても場所が移るように、事実を改変するのです。瞬間移動を出した瞬間に因果関係が破綻しますから」


 「なんだそれ。いやなんだそれ。つまり、今俺は、ええと、瞬間移動のために瞬間移動をしてるってことか? 意味わからんぞ。瞬間移動のために瞬間移動するのならその瞬間移動のための瞬間移動はどうするんだ。滅茶苦茶じゃないか。そんなの鉄の棒をあちこちに殴りつけて細かく曲げようとするものだろう」


 「上手く言った頃には金属疲労で折れそうですね。じゃあ推測ですが、今世界がぐにゃぐにゃに緩んでいるんじゃないんですか?」


 「はあ??? 何言ってるんだ?」


 「人間を含めた世界は今、矛盾を許容する状態にあるってことですよ。確かに矛盾がそんなグチャグチャに発生したら私たちもこうして普通に暮らせませんからね。だから、まるで外科手術時の全身麻酔のように、手術に適した状態に今世界は陥っているわけです。メスで肉を切っても死なない。狂った世界です。多分、魔法的なサムシングでしょう。とんでもないスケールです」


 「……魔法的なサムシング?」


 「詳しくはわかりませんって。患部を取り除くときのように、必要な部分を破壊し、修復する。終わったら、麻酔を解く。それが、今のエンデレさんの時空間移動を説明できる比喩なのだと思います」


 「意味分からんし、無茶苦茶だろ……」


 「一は全、全は一です。部分が全体に及ぶこともありましょう」


 「???」


 「ま、エンデレさんの目的をかみ砕いてあげますと、妹さんと一緒に木を登るのを躊躇した理由がなんであるかを気にしてればいいのでは? 私の推測によると、それを解決するのが、今のエンデレさんの目的かと思われます」


 「……」


 「総括すると、破壊こそが創造の手始めなのです」


 「訳がわからない……」


 「……にしても、破壊の帳尻をどうやって取っているのか……」


 「……そうだよ。意味わからんぞ」


 「どうやって世界の因果関係の状態を管理しているのでしょう? 影響の抑え方が気になります。干渉するのがエンデレさんであるというのもよくわからない」


 「俺もずっと意味わかんないままだけどな」


 「まあ、今までの話は、ご参考程度にどうぞ」


 「……どうも。ところで、そろそろ時間なんだ」


 「おお! というのは、そろそろ時空間移動をするということですね!」


 「うん、まあ、そうだけど」


 『え? 行っちゃうの?』


 『ちょいちょいちょいちょい』


 『まてや』


 エンデレの体が光りだして、掻き消えた。

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