LⅢ それぞれの闘い
「ガーネット、落ち着け。お前の言っていることは確かに正しい。だが、相手にそんな正論が通じると思うか。」
妹の肩に手を置いて、オニキスはさっきより少し強い口調で言った。ガーネットは渋々口を閉ざすも悔しそうに、今にも噛みつきそうな表情で睨みつけている。
そんな小柄な少女の視線を真っ向から受けてアレスはただ鼻で笑った。
「面白い。小娘が、剣で私に敵うと思うか。」
「バカにするのも大概になさい。目に物見せてやりますわ。」
言うが早いがガーネットは剣を構えて突進した。アレスは全く動かない。その時、二人の間に飛び込んだ薄紅の影がガーネットの剣を弾き上げた。
「ローズ!? あなた……!」
「もともと気に入らない女だと思っていたけど、お兄様の敵だったなら当然ね! あなた如きにお兄様を煩わせる訳にはいかないわ、あたしが相手よ。」
短剣を手にしたドレス姿の少女は、女騎士にさらに突きかかる。動きにくいドレスを巧みに捌いて立ち回る彼女に、ガーネットはニッと笑った。
「嬉しいわ、これで遠慮なくあなたをコテンパンにできる。騎士として鍛えている私に勝てるなんて思わないことね。」
「あら、あたしだってお兄様から直々に手解きを受けているのよ?」
二人の少女たちは軽やかに舞う。常日頃から騎士として腕を磨くガーネットは流石なもので、喋りながらこれだけ動いているにも関わらず息を切らしてもいない。ローズは少しだけ苦しそうだが、一歩も引かず女騎士に食らい付く。
「お兄様! この女はあたしが抑えます、お邪魔はさせませんわ。」
「それはこちらのセリフよ! お兄様、ミカエル様、イリス、その男はお任せしますわ!」
「言われなくとも。」
彼女たちの言葉に、残りの面々は改めて剣を構えなおす。
「数を頼るのは性分ではないが……三対一か。いかに君でも少し不利ではないか?」
ミカエルが言うと、アレスは不敵に笑う。
「さて、どうだか。私にもう手札が無いとでも?」
「何?」
訝しむミカエルからアレスはすっと視線を外す。彼はじっとある人物を見て、言った。
「私が言った事は覚えているだろう? お前を使う時が来た。その剣を私の為に振るえ、イリス。」
「なっ!?」
ミカエルは考えるより早く咄嗟に、自分に迫る剣を受け止めた。驚く彼の視線は、剣を自分に向ける騎士に釘付けになる。剣を合わせたまま、イリスは泣きそうに歪んだ顔で主人を見つめていた。
「イリス、どうして……!」
「申し訳ございません、ミカエル様。でも……でも僕は、この人に逆らうことは出来ない。」
苦しそうに言う。自棄になったように闇雲に襲いかかる剣を、貴公子は次々といなしていく。
オニキスが叫んだ。
「ミカエル様! 助太刀を……」
「要らん!」
彼は吼えると同時に、受けた剣を相手の身体ごと弾く。
「一騎討ちが、騎士を相手としての礼というものだろう。それに、お前には他に役目がある。」
「そうだオニキス、お前の相手はちゃんと用意してある。」
アレスの、暗い笑いを含んだ声が何処か不気味に響く。
「来い。お前が決着を付けるべき相手だ。」
姿を現した男に、オニキスの目はまた驚愕に見開かれた。
真っ直ぐな黒髪に、闇より深い黒色の瞳。だいぶ時を経たが面影は確かにその中に残っている。一目見て分かった。
「アロン……?」
オニキスは信じられない思いでその名を口にする。あの日、自分の前からいなくなってしまった親友。幼き日の大切な友人。その、懐かしい名を。
しかし。
「私はアロンではない。」
異国の男は冷たく言い放った。
「そんな名前、もう無くした。それは父が私を呼んだ名だ。親しい者からの呼び名だ。他には誰も、私をその名で呼ぶ者は……」
「私がいる!」
オニキスは思わず叫ぶ。
「私とミカエル様は、君をその名で呼んでいた。アロン、私たちは親友だったじゃないか。私は、君がいなくなってから今日まで、君を忘れたことはなかった。あの日のことを思わない日はなかった。ずっと悔やんでいたよ。」
「ならどうしてあの時、僕を信じてくれなかった! 今更悔やんだって、そんなことを言ったって何の意味がある。僕の苦しみが君に分かるのか、オニキス!」
彼は泣いていた。言葉に詰まったオニキスをさらに攻め立てる。
「ミカエル様は、使用人たちの手前ああおっしゃるのは仕方ないと思う。今は納得しているよ。けど君は……君だけは、何があっても僕を信じてくれると思っていた。親友だったから。僕は君を本当に信じていたんだよ。なのに君は裏切ったんだ! どうして……? 僕が火をつけたって、嘘を言っているって疑った? 僕が異国人だから信じられなかった?」
「違う!」
「だったらそう言ってくれていたら……! 僕がそんな人間じゃないと一言だけ言ってくれていたら、僕はどれだけ救われたか分からないよ。」
彼は俯いて言葉を切った。立ち尽くし歯を食い縛るオニキス。やがて、騎士はぽつりと言った。
「すまない、アロン。私は……私は、弱かったんだ。」
「……言う事はそれだけか? そんな言葉なら、もう聞きたくない。」
異国の青年は自らの剣を抜き放つ。
「君の知っているアロンはもういない。私はリー。アレス様に従い、このお方の手足となる。」
ハッという気合とともに、リーの剣は容赦なくオニキスに襲い掛かった。
「くっ……!」
彼は顔を歪めてその剣を受ける。ノエルは思わず叫んでいた。
「オニキス!」
「人の心配をしている場合か?」
気付けば、アレスが剣を構えてこちらを見ていた。
エディがすっと立ち上がる。
「ほう、その短剣で闘うつもりか? そんな物では人は殺せないぞ。」
「殺せなくていい。勝たなくたっていい。……ただ、負けなければいいんだ。」
「エディ!」
ノエルの声に振り向いたエディの目は、深く澄み切って静かだった。ノエルが知っていた少年のものとは違う輝き。
「大丈夫だよ、ノエル。」
彼は、後ろに庇う少女に笑いかけた。
「言ったろ、「僕が守る」って。」
振り下ろされた剣が短剣とぶつかり、金属同士の高い音が響いた。エディは全く臆せずに長身の男に立ち向かう。その背中を見ていることしか出来ないけれど、不思議なことに不安はあまり感じなかった。
「……エディ。分かった、あなたを信じるよ。」
呟いたノエルを、その視線の先のエディを優しい瞳で見つめるサーヤ。そして彼女は周りを見回した。それぞれが闘っている。闘いは嫌いだけれど、攻撃ではない、何かを守るために必死になる彼らは、美しいとさえ思った。その中心となっているのはミカエルと、エディだ。
サーヤはそっと心の中で囁いた。
(姉様。私たち、どちらも素敵な息子を持ったわね。)
その時、大きな音が響いた。
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