L     最後のはじまり

 ロビンの鋭敏な感覚はいち早く『何か』の気配を捉えた。彼は注意深く動いて小道から外れ、木陰を回り込む。二人はまだ気付いていない。気付かなくていい……邪魔したくない。

 相手もロビンの存在に気付かない。そのまま一歩動いた……ノエルの方へ。

 させるものか。彼は飛び出した。

 人と人がぶつかり、もつれ合う鈍い物音に、ノエルとエディは驚いて目を上げた。

「ロビン!」

 ノエルが金切り声をあげる。

 小柄な少年が男と取っ組み合っていた。いや、一方的にむしゃぶりついていた、と言った方が正しいだろう。ロビンは男の腕にしがみつき、男が彼を振りほどいてノエルの方へ近づこうとするのを、全身の力で食い止めようとしていた。

 その相手の男を見て、ノエルは蒼褪める。見覚えのある長い黒髪、不思議な形の服……ノエルははっきり覚えていた。あの、全てが始まった時。彼女が令嬢ローズと出会った時、ローズを「お嬢様」と呼んでいた男だ。あれは、がノエルに仕掛けた最初の罠。つまり。

(この男も、アレスの仲間か!)

 ロビンが叫ぶ。

「逃げて、ノエル! お屋敷の方へ走って、誰かに知らせて!」

 と、黒髪の男……リーは急に一旦引くような動きを見せた。変化について行けずによろめいたロビンの小さな体をその腕が捉える。体格差と力の差に敵う筈もなく、立場は逆転した。微動だにせず立つ男、必死にもがく少年。細い首を腕が締め付ける。

「ロビン!」

 後先見ずに駆け寄ろうとしたノエルを、エディは慌てて押し止めた。低く無感動な声が二人に告げる。

「アンヴェリアル伯爵家令嬢ノエル様。この子供を無事に解放して欲しければ、貴女お一人で私を追って来ることです。そうして頂ければこの子供になど用はない。すぐに解放しましょう。」

「駄目だノエル! 来ちゃ駄目! 僕は、平気だ……っ!」

 腕がますます強く彼の喉を圧迫し、ロビンは苦しそうに身をよじる。リーはそれを冷たい目で見下ろし、息を呑み動けずにいるノエルに視線を戻した。

「決断はお早くされた方が賢明かと。『無事』がお約束できなくなります。そして、貴女がお一人でいらっしゃるという約束を守らなかった場合、こちらの約束も破られる。その意味する事はお分かりですね? よくお考えください。」

「貴様……!」

「では、失礼。」

 ロビンを腕に抱えたまま、リーはさっと踵を返し背後の木立へ姿を消す。この奥はちょっとした森を通って、ろくな壁や境もなしに敷地の外へとつながっている。そのままリーを追って走り出そうとしたノエルの腕を、エディは強く掴んだ。

「エディ……! お願い、離して。行かせて。ロビンが……ロビンが……。」

「駄目だ、危険だよ。せめて僕も一緒に行くから。」

 ノエルはエディの手を振りほどこうともがきながらかぶりを振る。その濃紺の瞳を潤ませて悲鳴のような声で叫んだ。

「聞いてたでしょう? あたし一人で行かなきゃ。あいつの言うこと、きっと本当よ。あの男が……マーヤを殺した奴が、少しでも躊躇ったりすると思う? ロビンも殺されちゃう!」

「そうして追って行ったら、君が殺されるんだぞ!」

 ノエルはエディを突き飛ばすようにして走り出した。走りにくいドレスを両手で持ち上げたその後ろ姿はみるみる小さくなっていく。

「ノエルー!」

 エディの声を背中に聞き、ノエルは一度だけ振り向いた。

「エディは今あったことをそのまま母様と兄様に伝えて! それと、『あたしは大丈夫』って!」

 それだけ言うと、彼女は返事も聞かずに木立の中へと姿を消した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る