ⅩⅡ    襲撃者の思惑

「もしかして、ローズの所為?」

 声が震える。ローズにとって、唯一の肉親であり彼女を守ってくれる存在である大好きな兄に嫌われることが、この世の何よりも恐ろしい事だった。

「何を言っているんだ。お前の所為などではないよ。」

「本当?」

 兄の優しい言葉に、少女の顔が無邪気に輝く。一言で不安も忘れてすっかり機嫌を直したローズは兄の腕にまとわりつき、甘えるような口調で言った。

「ねえお兄様、お菓子もお兄様の分ちゃんと置いてありますから、申し訳ないけどお一人でお茶してくださいませ。あたし、ちょっと出かけて参ります。」

「おや、何処へ?」

「伯爵様のところ! ほら、今度パーティーがあるでしょう? 伯爵様もいらっしゃるって聞いたから、今のうちからダンスのお相手をお願いしておこうと思って。」

「伯爵……。」

 何を思ったのか、不意にアレスの顔が曇る。しかしそれに全く気付かず笑顔のままのローズを見て、彼は何か言うのをやめた。

「そうか。気を付けて行っておいで。」

「はいっ!」

 元気よく返事すると、ローズは落ち着きなくばたばたと走って部屋を出て行く。そんな妹を見送るアレスの顔に、先ほど見せていた筈の優しい笑みは微塵もなかった。

「……さて。」

 アレスは窓際に戻り、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。暗い瞳はいっそう暗く、何か疲れているようにさえ見えた。彼は顔を上げることなく独り言のように、しかしはっきりと言った。

「リー、入れ。」

 その言葉に応じるように、彼の背後の扉が開く。音もなく部屋に滑り込んできたのは、異国の衣を着た無表情な黒髪の男――先程、ローズを追っているとノエルに声をかけた男だった。彼がその場に黙ってひざまずくと、アレスはやや自嘲的に言った。

「聞いていただろう、失敗したよ。たかが小娘一人始末できないとは、私も腕が悪いな。」

「失敗……」

 ぼそりと呟く声に、アレスは初めてそちらを見た。

「何だ、返答以外でお前から口をきくとは珍しいな。言ってみろ。」

「失礼ながら……。失敗失敗とおっしゃるわりには、何か喜んでいらっしゃるようにも聞こえましたので。」

 彼の言葉にアレスは一瞬ハッとしたように動きを止め、そして声を上げて笑い出した。

「いつもながら鋭い奴だ。そしてそれを素直に口には出さぬ……相変わらず食えないな。面白い。だから私はお前を気に入っているんだよ。」

「有難きお言葉。」

「お前の思った通りさ。失敗したとも言えるし、思惑通りとも言える。」

 そう言う楽しげな口調。と、アレスはにやりと怪しい笑みを浮かべた。

「オニキスが令嬢に接触した。家族との再会も近い。」

「オニキス……」

 また呟く。ただ繰り返しただけではない。きゅっと唇を噛み、顔を歪めた。それにちらりと目をやって、アレスは続ける。

「お前とオニキスとには浅からぬ因縁があるのだろう。決着を付ける時が来る。お前も、私も。」

 リーは俯いたまま、微動だにしない。何かを堪えているように拳を握った。

 アレスは椅子に深く座り直すと、背凭れに体を預けて天井を仰いだ。その眼は天井を突き抜けた遥か遠くを見ているようで、刃のような物騒な光を宿していた。

「存分に味わうがいいさ。大切なものを失う哀しみを。」

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