『夏バテしてたとき』の夢による狂想曲

亀虫

第1話 

 私は荻原おぎわらシノ。昨日まで夏バテだった女子高生だ。月曜日にダウンして、火曜、水曜と二日も学校を休んでしまった。これから友達に授業ノート写させてもらわなくちゃいけない。高校に上がってからというものの、勉強が大変なのだ。ちゃんと真面目にやってないとテストで赤点をとってしまう。病み上がりということもあるし、ちょっと面倒くさいなあと思う私だった。

 私がいない二日の間に何か変わったことあったのだろうか? 私の知らない間に席替えとかビッグイベントがあったらどうしよう。それに、暑いのは私だけじゃない。彼やみんなも私みたいに倒れていやしないだろうか? 少し心配だ。と、様々なことに思いを巡らせ、ドキドキしつつ通学路を進んでいくのだった。


「あっ、シノっちじゃん。ちーっす。夏バテ大丈夫?」

 途中で後ろから女の子に話しかけられた。聞き慣れた声。きっとサキちゃんだ。でも、いつもと感じ違くない? と思いつつもとりあえず私は後ろを振り返った。

「おはようサキちゃ……ってええええええ!?」

 そんな、あの真面目な優等生だったサキちゃんがこんな格好をしているなんて!

 サキちゃんは一応制服ではあるのだけど、めちゃくちゃ着崩している。夏真っ盛りとはいえ、ちょっとブラウスの前ボタン開けすぎじゃない? ブラ見えそうなんだけど。しかもその靴下、ぶかぶかのルーズソックスじゃん。暑そうだけど大丈夫なの? クラスのヤンキー女ですら履いてるところ見たことない。そしてスカート短すぎ。これじゃもはやパンツ見せてあげるって言ってるようなものじゃない。とにかく彼女は私の知ってるサキじゃない!

「うん? シノっち、どうかした? あたしの顔なんかじっと見て。何かついてる?」

 サキは怪訝けげんな顔で訊ねてきた。自分の見た目がおかしなことになっているのに、何の関心も払っていないみたいだ。

「あ……うん……い、いえ……なんでもないよ……」

 言えない、とてもじゃないけど言える雰囲気じゃない。どうして自慢するでも恥ずかしがるでもなく平然と話しかけてくるの。何かついてるどころか、メイクもいつもと全然違うじゃない! なんでガングロなのよ! 『美白のサキ』と男子の間でひそかに人気があることを知らないの? それを台無しにするようなこの真っ黒メイク。どうしてこんなことになってるのよ。これだけ変わっていればじっと見るに決まってるじゃない!

「変なシノっち。それじゃ学校行こうか。遅刻しちゃうよ」

 彼女の金色に輝く髪が風になびいて、日の光が反射してきらりと光った。サキは元々黒髪ロングの大和撫子やまとなでしこ的な存在だったはず。金髪に染めるようなキャラじゃない。どうしてこんなギャルファッションになってしまったのだろう……。


 彼女はあくまでも普通に登校するので、私も合わせて普通を装う。内心気が気じゃないけど、そんなこんなで道中の言葉も少なく学校に到着したのだった。

 でも、なんだか様子がおかしい。校門が閉まっている。確かにもうすぐ夏休みの時期ではあるのだけど、まだのはず。夏休みフライングなの? それはそれで嬉しいけど、なんだか不思議だ。

「ねえ、サキ。なんで門が閉まってるのかしら」

 私はそれとなく訊ねた。サキはフンと短く息を吐いてやれやれといった感じで答えた。

「ああ、サキは知らないよね。校長の思いつきで、学校のセキュリティ強化したんだってさ。だから合言葉を言わないと通してもらえないのよ」

「え、合言葉? あたしそんな話聞いてないんだけど」

「急に決まったの。嫌んなっちゃうでしょ?」

 サキは私に言葉を無視して迷いなく門の端っこにある呼び鈴を押す。すると、そこから声がした。男の先生の声だろうか?

「合言葉を言え。トマト、ピーマン、トウモロコシ」

「ナス、カボチャ、ズッキーニ」

 野菜? サキは言い慣れた言葉のようにスラスラと合言葉を答えた。

「よし、通れ」

 そしてガチャッと音声が切れ、門が開いた。もしかして、途中でサキと合流してなかったら私学校に入れなかったの?

「こういうことよ」

「は、はあ」

 私はなんとなく納得がいかずにモヤモヤした気分だった。


 学校の内装は至って普通、私の知っている学校そのものだ。私はちょっと安心した。もしここまで変わってたらどうしようとドキドキしてた。私は教室の扉を開けた。中に広がっているのは、もちろんいつもの教室の風景……。

「あれ、荻原じゃん。もう夏バテ大丈夫なのか?」

 クラスの男子、石塚いしづか。出席番号一番で、クラスで一番小柄なやつ。お調子者タイプで、すぐに人をからかう性格。でも、持ち前の明るさでなんだかんだみんなから好かれているやつだ。

「うん、夏バテは大丈夫。石塚も気を付け……ってええええええええ!?」

 私は思わず叫んでしまった。右から見た石塚はいつもの見慣れた石塚。少なくともサキみたいな明らかな変化はない。顔も髪型も普通、制服は多少着崩してはいるけど、いつも通り。おかしいのは、左側から見たときの様子だ。

「なあ、石塚さあ、流石にその手邪魔じゃね?」

 サキが軽い調子で石塚に言った。石塚は右手で頭をポリポリ掻きながら答えた。

「んー、まあ右利きだし、字を書いたりするわけじゃないから言うほど不便でもないな。それに、俺が望んでこうしたんだから何も問題ないぜ」

 石塚は左手を机の上に置いた。いや、それは左手なのか? 流石におかしくない? 私の知ってる左手じゃない。っていうか腕って何だっけ。それほど現実離れした見た目をしていた。何その怪腕。どうやったら左腕だけそうなるの? 悪魔と契約でもしたの!?

 それは膨大に膨れ上がった筋肉の塊。何故か左腕だけそうなっている。北〇の拳とかジョ〇ョみたいな漫画で見るような戦う男の太い腕。何故か左腕だけ。リンゴを握力だけで10個くらい同時に潰せそうなパワフルな腕。何故か左腕だけ。石塚は頭を掻いていた右手もおもむろに机の上に置く。二本の腕が同時に並ぶ。比べて見てその差は歴然、右腕を四、五本くらい束ねたように太い、何故か左腕だけ。華奢きゃしゃな身体の石塚が急にたくましくなったような気がした。何故か左腕だけ。

「ど……どうしたの石塚。その腕」

 私は思わず聞いてしまった。サキのようにあまりにもすさまじい変化を遂げていたからだ。

「あ、そっか、荻原は知らないんだったな。実は俺、身体が小さいのがコンプレックスでさ。密かに鍛えてたんだよ。で、まずはちょっと弱いなーと思っていた左腕から重点的にトレーニングしたわけ」

「それでそんなになるの!?」

 さも当然のように説明する石塚に私はまたもや驚いた。またまた御冗談を……とは言えない雰囲気だ。でもこれだけは言わせてほしい。お前のような片腕だけデカい高校生がいるか! 明らかになんかおかしいもん! 鍛えるにしてもあまりにもアンバランスすぎる!

「あっ、シノっち。そろそろ時間だから席に戻ろうよ」

 サキが言った。よかった、これはいつもサキが言う言葉だ。こんなどこかの部族のような恰好かっこうをしていても、言葉遣いが変わっていてもやっぱり本質は変わらず真面目で優等生ないつものサキだった。やっぱり変わらないものがあると少し安心する。


 予鈴が鳴って少し経つと、瀬川せがわ先生が入室した。

 担任の先生、瀬川はがっしりした体型から誤解されがちだが、体育教師ではなく、理科の生物を教えている。教育熱心で、その熱の入った指導は他の教員や保護者からも大人気だ。でも、実際に授業を受ける私たちにとっては暑苦しすぎてちょっと面倒くさい。まあ、そんなことは別にいいのだけれど。

 私は入ってくる先生に目を向けた。

「えええええええええええ!?」

 私は瀬川先生を見て、驚いてまた叫んでしまった。か、身体が、身体の半分が……み、見え……中身の内臓が見えている!

「どうした荻原! なんかあったのか!」

 瀬川先生がいつもの熱心そうな声でたぶん本気で心配して聞いてきた。

「い、いえ! ご、ごめんなさい!」

 先生の迫力に圧されて思わず謝ってしまった。いや、でも流石にこれはビビる。身体の左半身が透けてるんだ。内臓見え見えだよ? もうこれ人体模型だよ! お願いだから理科室に帰って! 怖いから!

「もしかしてまだ夏バテ治りきってないのか? 辛いようなら先生に言えよ。遠慮しなくていいんだぞ?」

「いえ、大丈夫です! 本当に失礼しました!」

 辛くなっても人体模型には相談するものか。私は心の中で固く誓うのだった。


 朝のホームルームが終わり、サキに先生に一体何があったのかと聞いてみた。するとサキから驚きの事実を告げられる。

「あー、それなー。あの先生、教育熱心でしょ? それが高じて、「俺自身が人体模型となり、生徒たちの見本となる」とか言って張り切っちゃってさ。それでこの前の日曜に手術したらしくて。それで、体内の様子が半分見えるようにしてもらったんだって」

「そんな技術がいつの間に日本に!? っていうか普通にグロすぎでしょ! 発想の源から狂ってない?」

「そうだよねー。でもまあ、いいんじゃない。本人の自由だし」

 この前代未聞の大事件を「本人の自由」で済まされてしまった。いつの間にこの世の価値観が変わっている。やっぱり今日はおかしい。私が寝ている間に一体何が起こったのか。狂っているのは私なのか、それとも世界なのか。

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