第7話


「遅い。待ちくたびれた」


 ドアが開き、姿を現すなり彼は不満げな表現で開口一番に言い放った。


「仕事が長引いたんですよ」


 赤坂は子供に言い聞かせるように、説明しながらも、慣れた様子で室内へと入って行く。ゆらぎもその後へ続いた。


 コンビニで購入した缶ビールや焼きスルメ等の晩酌セットが赤坂の持つレジ袋の中で、かさりと揺れる。


 赤坂とゆらぎはお酒を嗜まない為、この晩酌セットは黒瀬用にわざわざ購入して来たものだ。マネージャーというのは、ここまでしなければならないのかと、正直呆れてしまった。


「明日の仕事に支障をきたさないようにしてくださいよ」


「分かってるっての」


 黒い革張りの高級そうなソファに、どかりと腰を下ろして、黒瀬は先ほどまで使用していたのだろう、ノートパソコンの画面を閉じる。


「また、エゴサですか? 懲りない人ですね」


「今日のは違う。ネットショッピング。そろそろ、イベント用の衣装を新調しないといけないからな。同じ服ばかり着回してると、『黒瀬さま、着る服ないのかな』とか、ネットで呟かれるだろ」


 止まらない赤坂のお小言に特に気分を害した様子もなく、黒瀬はコンビニ袋を受け取る。早速、袋の中身をがさがさと漁り、缶ビールを取り出してタブを引く。


「ああ、それは困りますね」


「……あの、どういうことですか?」


「それは……」


 二人のやり取りを静観していたゆらぎは、脳裏に浮かんだ疑問を呟く。だが、その問いに言い淀んだ赤坂の代わりに黒瀬が答えた。


「つまりは、自分は常に見られる側の人間だということを覚えておけ、ってこと。そんなことより、今日はこの映画を観よう」


 この話はこれで終わりだと言うように黒瀬は話題を切り替えて、DVDプレイヤーの電源を入れた。


 上手く誤魔化されてしまった気がするが、業界においての何か暗黙の了解があるのかもしれない。ゆらぎはこれ以上追及することは止めて、黒瀬の洋画観賞に付き合うことにした。


 映画は吹き替えではなく、字幕表示の作品だった。もしかしたら、ただ単に黒瀬が字幕に慣れているだけなのかもしれないが。


 そして、今は何より、眠い。


 ゆらぎが苦手とする流暢な英語が、シアター用スピーカーから永遠に流れてくる為、彼女は今、拒絶反応の如く、もの凄い眠気に襲われていた。


 眠気を悟られないように、必死に欠伸あくびを噛み殺す。


「白石くん、眠いなら部屋へ戻ってもいいですよ。後は私がなんとかしますから」


 ゆらぎの隣に腰を下ろしていた、赤坂は彼女の異変に気がつき、こっそりと耳打ちをする。


「……いえ、平気です」


 英語さえ乗り切れれば……。そう、脳内では思っているものの、正直に言うとツラい。

 最早、宇宙人の会話にしか聞こえなくなってくるのだ。


 ふと視線を黒瀬に移すと、彼は缶ビールを片手に真剣な眼差しで、映画に観入っていた。手にしている物が缶ビールではなく、ワイングラスだったならば、実に絵になるような雰囲気だった。


 まあ、もう片方の手には焼きスルメが握られているわけで、それが全てを台無しにしているのだが。


 映画観賞を終えた後、赤坂とゆらぎは無事に黒瀬から解放されることとなった。


 黒瀬の意外な一面というか、新たな一面を見ることが出来て、ゆらぎはこんな日も悪くはないと思いながら自室へ戻った。


 ……はずだったのだが直後、呼鈴が室内へ響き渡る。


 気怠けだるげに玄関のドアを開くと、黒瀬がそこにいた。


「……なんですか」


「連絡先聞くの忘れてたからさ。教えてよ」


 ほろ酔い加減の彼はニコニコ笑顔で携帯を軽く振り、ゆらぎの連絡先を催促さいそくする。


「はぁ、分かりました……」


「あ、そう言えば名前なんだっけ?」


 彼から半ば強制的に自室に招き入れておきながら、お互いに自己紹介らしきことはしていなかったなと今更ながらに気づく。


白石護しらいし まもる……です」


「白石護、か。うん、覚えた。ちなみに俺のことは黒瀬先輩って呼んでくれてもいいからな」


 簡単な自己紹介を交わして、連絡先を交換し終えた黒瀬は、満足げな表現で自室へと帰って行った。


 いや、何が黒瀬先輩ですか。もう、そう呼ぶこと前提ですよね。


 少しばかり悪態をつき、ゆらぎは部屋の扉をしっかりと施錠した。

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