「お前じゃないのか 」~ 珠理奈のいない夏




「松井珠理奈・・・10年前から好きでした」


名古屋ドームに掲げられた大きなポスターが風に煽られてぱたぱたと揺れていた。市内はもうすっかり選抜総選挙一色、主要な駅の構内には色鮮やかな宣伝ポスターがずらりと並び行く人々の足を暫しの間とどめる。栄のメインストリートを歩くと終日AKB やSKE の楽曲が流れ、時折各所に出没するメンバーたちが囲まれ、あちこちでファンの輪ができる。


そんな景色がここそこで見られる名古屋はもうすっかりお祭りムード。我が街の女王がまもなく誕生する


待ちきれない人たちのフライング気味の歓声が今にも聞こえてきそうだった。



 


名古屋ドームの会場内では2日後の総選挙本番に向けて準備が大詰めを迎えていた。会場設営で忙しく動き回る人々。その脇でリハーサルを繰り返すメンバーたち。そんな流れを遠い目で追う松井珠理奈の姿がみんなとは遠く離れた外野スタンドにあった。。








「はい、これ」



「・・・」



「なんか食べた方が良くない?」


「・・・・・」


「持たないよ、それじゃあ。まだ2日もあるんだから」



須田亜香里の差し出すハンバーガーセットが乗ったトレーに掌を力なく振りながら、再び珠理奈は記憶の糸をたどり始める。



10年の歳月が流れて何が変わったのか。彼女のなかで。

それを確かめるための今回の世界選抜総選挙。

言葉を変えて言うなら彼女にとっての十年目の儀式のようなもの。

ここまでアイドルとして生かされたこと、試されてる、そんな言葉だけが頭を駆けめぐる。

いまの自分が自分ではないようなその感覚。




───これは一体なんなの?


     怖いの?


     まさか




自問自答の果てしない底無し沼に身も心も沈んでゆく。


「答えはないんだよ。自分で出そうとするな珠理奈。

過ぎ行く時のなかで誰かが何かがそっとお前に告げてくれる、

あるとするならそれがお前の答えだ」


秋元康のそんな声も今の松井珠理奈には聞こえない。



「答えて欲しくはないんだよ、誰にも!!」

降り下ろした拳が差し出されたトレーに当たる。




カラァンコンカンコンコォォン・・

辺りに、まるで子猫が悲鳴をあげるような切ない金属音を響かせながらスタンドの階段をトレーが跳ねるように落ちていく。





「珠理奈・・・」




リハーサル中のメンバー、作業中のスタッフの動きが止まり、その視線が一斉にこちらに向けられる。

作業の音が止まり、ピンと張り詰めた空気が会場全体を覆うなか

その腕を止めスタンドを見上げる30人ほどの選抜の メンバーたち。


珠理奈がどうもおかしい、それはSKEの間だけではなくAKB やそれ以外のグループのなかでも静かに口コミで広まっているようだった。




のし掛かる重圧。毎年訪れるその"試される時"に身も心も苛まれる

程度の差こそあれ、それは何も珠理奈に限ったことではなかった。


その時が近づくにつれほとんどのメンバーが体調不安を訴える。

大半が体も心も不安定な10代の女の子たち。一年に一度の天の啓示ともいえるファンからの審判は容赦なく彼女たちの気力と体力を削ぎとっていく。



パンパンパン!

止まってしまった辺りの空気を動かすように由依総監督が手を叩く。


「ほらほら、集中集中!」












──総監督ってなんだろうね



以前彼女にそう言われたことがある。


暗に何もできないのならそんなものはいらない、そう言われてるようで

私は何も言えず、ただ唇を噛みながら聞いていた。



自分がAKB のてっぺんだったらこんなグループじゃなかった

私にはそうも聞こえた。


乃木坂には目の前でレコ大を持っていかれ、握手会の人気では欅坂に圧倒される。そんなAKB にしたのは誰なんだ。







────お前じゃないのか





ドームのスタンドから見下ろす痛いほどの視線がそう言っているように思えた。







6月16日 その夜、




世界中のAKBファンの目が名古屋ドームに注がれた。

10年の歳月をかけてたどり着いた場所。ひとつまたひとつと落ちていく星を見上げながら彼女は女王への階段を昇っていった。

その頂きから見た景色はどんなものだったのか。

10年の歳月をかけて、数々の犠牲と引き換えに手に入れたその景色。


それは彼女が本当に望んだものだったのか。




あつゆうの伝説の女王争い。それがあったから今のAKBがあるといっていい。さしこが優子さんを追い落とした下剋上は選抜総選挙を社会現象まで押し上げた。




耐え忍んでやっと掴んださしこへのリベンジ、


「AKBは私が守ります」


そんなまゆさんの言葉にみんなが涙したあの日は私たちの記憶の片隅にまだ鮮明に残っている。






「さくらたん、ライバルでいてくれてありがとう」


珠理奈と咲良、二人の関係がもう少し密であったなら、その言葉も私たちにはいくらか違ったものに聞こえたのかもしれない。






戦いの後はノーサイド、新女王を仰ぎ見て、すべての心は押し並べて平らになる。夢も喜び嫉妬も妬みも憎しみも白紙に戻されまた来年に向けて乙女たちは再び前を向く。


けれど今年は何かようすが違う。

悪意と善意がごちゃ混ぜになって大きな波となって新女王に襲いかかる。



「あの子のゴールは一位なんだよ。だからもしかしたらそこにたどり着いた時、燃え尽きてしまうかもしれない。」


たかみなさんはよくそんな事を言う。


けど彼女が私達の思う以上に強ければこのたかみなさんの言葉はあたらない


もしかしたら一位の呪縛から解放された珠理奈の性は私達の全く知らない穏やかで別の顔を持つ珠理奈を生み出すかもしれない。



もしかしたら・・・

そんな珠理奈を淡い期待を胸に私達は待っている。


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