沖縄無残(前編)




前日から沖縄に降り続く雨の勢いは治まる様子もない。それどころか、ますますその激しさを増しているようにも思えた。会場に設定された豊崎浜の空にはまるで悪魔が手を広げたようなどす黒い雲が覆っていた。




鳴りやまない雷鳴、ヒューヒューとうなりを上げる風の音。


なぜこの時期に沖縄だったのか、不信と疑心に満ちた言葉ばかりが掛け巡る。


誰がどういう経緯で何の為に。メンバーたちの間で広がる魔女狩りにも似た犯人捜し。


代替会場も用意せずに挑んだ梅雨の真っ只中の沖縄開催。


その結果、一時は国民的行事とまで言われた選抜総選挙が一地方都市の市民会館で開かれるという事態。それもこともあろうに無観客で。


明日その場所でいくら叫んでも、立候補者総勢322名のアイドル戦士たちの想いは誰にも届かない。






「あんたらの言いたいことはよく分かるし、この日の為に汗と涙を流して来たみんなのことは私が一番よう知ってる。けど、内々でもめるのんはもうこの場で終わりにして欲しい。あんたらの胸の内のもやもやはすべて私に預けて欲しい」




 宿泊するホテルの50畳ほどの畳敷きの大広間。自主的に集まった古参や中堅のグループの主だったメンバーたちが、横山由依と指原莉乃を取り囲むように車座になって座る。予想通りその口からは運営への不満が噴出する。


総監督由依はんはそんな荒れる議論に楔を刺すべく、珍しく声を荒げる。






「考えてみいや、今ここで私らが運営がどうの、しのぶさんがどうの言うたところで何にもなれへん。


このホテルの周りにうじゃうじゃとたかってる三流週刊誌のええ標的になるだけや。


心を一つにせえと迄は言わへんけど、せめてみんな同じ方を向くべきやと思う、いろんな声に惑わされて


ああだこうだと言うのは今は違うと思う。


声を上げるのはアキバに戻ってからでも遅ないはずや」






いつもは言葉足らずで一歩踏み込めない由依はんも今日ばかりはその言葉に勢いを増す。


それはまるで前総、たかみなの魂がのりうつったかのよう。迫りくる嵐の予兆にAKBの神様が彼女に力を与えているようにも思えた。




「私は・・・」


それまでずっと腕を組み一言も話すこともなく携帯に目を落としていたさしこがボソリと口を開く。




「いい機会だと思う。言うだけの事を言ってみる、そんな機会を神様が与えてくれたんだと思う」




「さしこ・・・・」




「考えて見なよ、こんなチャンスはめったにないよ。今なら何を言っても聞いてくれる。


いつもは都合の悪い事には耳を貸さない運営も今なら押し込める。運営のピンチは私達のチャンス。


違う?由依ちゃん」




「ひとつやないんか、うちらは? 苦しい時に助け合うのに運営もメンバーもないやろ」




「ほらほら、また由依ちゃん。 まだそんな事言ってんの? あんた誰のてっぺんに立ってんのさ?


あっち側に立ってどうすんのよ。あんたがそんなんだから、だから、大人たちはつけあがるんだよ」




「私が?なにを、いつどうしたって・・・」




「わかんない? じゃあ、聞いてみさいよ、みんなに。珠理奈もはるっぴもりりぽんも、みんなこのままでは済まさないって顔してるじゃん」




確かにさしこに言われるまでもなく、先ほどからずっと続いているAKBの本店メンバー中心の議論の最中にも栄や博多や難波の面子がこちらをじっと見据えているのは肌で感じていた。


特に去年のさしこの卒業勧告の事件以来、博多とAKBの関係性は未だに良好とはいえない。


「しぇからしか!東京もんは出ていかんね!」


あの日の児玉遥の叫びはAKB メンバーの心には今も強く残ってる。




「いいですか?」




朱里が突然立ち上がり手を挙げる。けれどその目は私じゃなく広間の後方に陣取る博多勢に照準を合わしたまま。朱里の目は気持ちが入れば入るほど何故か死んだようにその色と輝きを失っていく。




「いいけど手短にね、さっきから本店ばっかりだから、喋ってんのは」」




私の言葉を待たずにさしこがそう言う。


朱里はその声に小さく頷き、意を決したように胸に手を当て呼吸を整える。


気が小さい癖に時折突拍子もないことを言う、しでかしてしまう。それが朱里という子。スキルは人並み以上のものがあるんだけど、行動が読めないのが内々の大人達には今一つ人気がない理由。




「自分達のスキャンダルの懺悔もそこそこにファンの人達に釈明ひとつしないで、


活動を平然と続けているメンバーが、そもそも上に物を言えるのかという話ですよね。」




「じゅ、朱里さん?」、傍らにいたこじまこが思わず小さく悲鳴にも似た声をあげる。室内が一瞬ざわついた後、凍り付くように静まっていく。


30名にも満たないメンバーたちの視線の波がさわさわと後方の一角に吸い寄せられていくのが手に取るようにわかった。




思わず身を乗り出す村重杏奈の肩を抑え、唇を噛みしめ言葉をその胸に飲み込むようにそっと手を上げる兒玉遥。


だけど、さしこは取り合わない。小さく首を横に振り、二人を手で制し再び高橋朱里と向き合う。




「それで、なんなの?」




「それで? それでって、それで十分じゃないですか。人に意見する前にまずは自分が襟を正す、


悪いことをしたらまずはごめんなさい、そこからでしょ、話は」




「違うんだよね、それは」




「何が違うんですかっ?」








「朱里、もうやめや」




「やめなくていいよ」




「さしこ。。」








「あんた博多に来たことある?」




「あります」




「何で?」




「旅行で」




「住んだことは?」




「・・・ ないです」






さしこと朱里のいつもとは違う艶のないこわばった声が響く。会話の合間にコツコツと窓ガラスを叩く風の音だけが聞こえてくる。周りを見渡せば不安で張り裂けそうなまるで世界の終わりを目撃しているような顔が虚ろに並ぶ。


なんでこうなったんだろう。楽しい夜のはずだったのに。胸躍る、年にたった一度の夜のはずなのに。


見るとこじまこが私を見つめて涙をいっぱいに溜めていた。隣のあんにんも今にも泣きそうに無言で何かを訴えている。




「どんな生活してるか、知ってる?」




「えっ・・・・?」




「だからあの子らが博多でどう生きてるか知ってるって聞いてるの?」




「・・・・」




「知らないよね・・・」




「・・・・・」






「そうなんだよ、日本の端っこで生きてる子なんて誰も気にも留めない。


ひがみかもしれない、博多だって他の田舎に比べりゃ大都会だし、いっぱしのテレビ局もある。


オンデマで劇場公演も見てもらえる。たまにお小遣い稼ぎに東京にだって呼んでもらえる。


でもねあの子達は隅っこでアイドルしてる現実をやっぱり拭えないんだよ」






すすり泣きが聞こえた。ひとり、ふたり・・・。それは博多の子達だけではない。


みんなこの場所に座っていること自体、奇跡なのはわかっている。


自分が抱いている夢がどんなにだいそれたことであるかも良くわかっている。


ただそれでも夢を見る。


アイドルだから。アイドルと呼ばれたい自分が好きだから。






「人間ってさ、自分が恵まれない時には何かに優しさを癒しを求めてしまうのよ。


   それは男でも女でも、どっちでもいいわけで。。。


ぶっちゃけ、私も知ってるよ、諸々をね。注意もする。でも強くは言えない。


言えないんだよ、誰になんと言われようと。




いちいち釈明しないのも謝らないのも、それは彼女達のプライド。


同じルールをそっちが被せてくるんなら、対等な待遇にしなさいよ、ってね?


やっぱり、あの子らにしたら、東京もんはせからしいんだよ、朱里・・  」








何もかもすっきりしないまま、第九回選抜総選挙の前夜は更けていく。


この日に賭けていた想いは博多や難波や栄の子達の方がより強い。


地元の劇場公演で地道に活動しながらファンを増やす。そしてその結果として年に一度の総選挙がある。そこで自分を見つけてもらう、夢を与えてもらう。何もかもがここに繋がっているという事実。


そんな、年に一度のAKB48グループの最大のイベントが正常な形で行われないという事。




終わりのはじめを誰もが予見し予感する。


始まりはなかなか始まらない。助走は長くて苦しい。飛び立つまでにはもがいてもがいて翼をばたつかせてやっと浮かび上がることが出来る。けれど終わりは突然やってくる、あっけないほどに。


それがこのエンターテインメントの世界の物づくりというものらしい。




「私は幕引きなんか務める気はないから。私達の世代では終わらせない。あの人がどう云おうと」


沖縄へ向けて東京を立つときにさしこは確かにそう言った。


時代がAKBを退け始めている。それをさしこも私も強く感じ始めていた。




もうすぐ夜が明ける。




もう夢なんか、見ていられない。










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