第91話
「……シロクマ? 潰れたはずの緊急回線が動いたからと様子を見にきてみれば、これは何の冗談かしら」
魔法陣の上に現れた人物は、間違いなく西の魔王フィドゥシアであった。
銀色の毛に覆われた狐耳はぺたんと垂れ下がり、見るからに機嫌が悪そうである。
だが、不機嫌なのは彼女だけではなかった。
シロクマよばわりに、ベラトールもまた眉をしかめる。
「この私をシロクマだと? 貴様こそ雌狐の分際で……」
だが、その台詞が終わるよりも早くフィドゥシアが問いかける。
「それで一体何の御用かしら? こんな手の込んだ方法で呼び出したのだから、それなりの理由はあるのでしょうね?」
どこか小馬鹿にしたような口調のフィドゥシアだが、ベラトールは激怒することなく鼻を鳴らした。
あからさまな挑発には乗らないという意思表示である。
「ふん。 大した用件ではない。
ここにいる小娘が王立舞踏団に入りたいので、知恵を借りたい」
その瞬間、空気が凍った。
フィドゥシアの機嫌が急降下しているのが目に見えてわかる。
幻像を通しても感じられるフィドゥシアの怒りと魔力に、アモエナは恐怖を覚え足が震えた。
「最高位の力を持つ神二柱が四天王のわたくしに相談する内容がそれですの? お巫山戯がすぎましてよ」
怒りを押し殺した声でフィドゥシアが告げる。
すると、ベラトールがなぜか頷いた。
「そう、とるに足らないくだらない話だが、クーデルスが絡んでいる」
そう告げた瞬間、フィドゥシアの圧力が緩み、彼女は何か考え込むような素振りを見せる。
クーデルスの名は実に劇的な効果をもっていた。
彼が魔族の間では軽んじられているという話がにわかには信じられないほどに。
「クーデルスが? あの価値観を中心に頭の狂っている策謀の権化なら、たしかにそんなくだらないことにも首を突っ込みそうですわね」
迷ったのはおそらく数秒ほど。
フィドゥシアは真面目な顔になって向き直る。
「さすがは我が愚弟の事だけはある。
おおよそ、たいていの理不尽はやつの名を出すだけで通じるのだから恐ろしい話だ。
それで聞きたいのだが……この件で奴が何を考えて、いかなる策謀を仕掛けているのか、状況を説明した上で貴様の意見を聞きたい」
だが、フィドゥシアは眉間に小さく皺を寄せたまま溜息をついた。
「クーデルスが何を考えているかなんて存じ上げませんわ。
そもそも、そんな事ができればわたくしも苦労していません」
フィドゥシアが知る限り、この世でもっとも理不尽で不可解なのは先代の魔帝王である。
そしてその次に理解しがたいのが、先代魔帝王が直々に教育を施し、結局手におえなかったと匙を投げた生粋の馬鹿者にして最高傑作……クーデルスだ。
「だが、ある程度の予想はつくだろう? 聞くところによれば、幼馴染だそうじゃないか」
どこか挑発的な響きのあるベラトールの台詞に、フィドゥシアの瞼がピクリと動く。
「たしかに全くわからないとは申しげません。
ですが、あのクーデルスの頭の中身を覗きたいだなんて……悪趣味にもほどがありますわ」
フィドゥシアが扇で口元を隠しながら告げた台詞に、モラルとベラトールは苦笑にも似た感情を憶える。
いずれにせよ気持ちのいい話にはならないと知っているからだ。
「とはいえ、アレが何かを画策しているというのなら無視できる話ではありません。
乗り気ではありませんが話ぐらいは伺いましょう。
情報も無しに下手に巻き込まれたら、まったものじゃありませんから」
フィドゥシアの頭の中でどんな会議が行われたのかはわからないが、つまり協力してくれるということだろう。
「それは確かに言えている。 あの馬鹿は思いもよらぬところで人を巻き込んでくれるからな」
色よい返事に、ベラトールは牙をむき出しにして笑った。
人が普通に暮らしているところに忍び寄り、どうしようもないレベルでかき乱してゆくのがクーデルスという男なのだ。
そしてそれなりに役に立つ事もあるのが一番厄介なところである。
「さて、お互いに無駄話をする趣味はないでしょう。
そこの小娘が王立舞踏団に入団したいから相談したいということでしたかしら?
あまりにも瑣末過ぎて、どう対処してよいか見当もつきませんが」
そう。 フィドゥシア配下の暗黒教団を動かすにしても、ベラトールやモラルの配下の神官たちを動かすにしても、問題が瑣末過ぎて下手に圧力をかければ劇団ごと吹っ飛びかねない。
その社会的な影響力が強すぎるがゆえに、彼らが人に関わる際はとても慎重に動く必要がある。
「うむ。 その件に関してだが、おそらくクーデルスがどうにかするためのお膳立てをしているとおもうのだ。
それを利用しようと思うのだが、奴がどんな策を考えていたかがわからなくてな」
「情報が必要ね。
まずは、最近のクーデルスが何をしていたかを調べる必要があるわ」
そこでようやくベラトールはアモエナのほうを振り返った。
「おい、小娘。 最近のクーデルスが何をしていたか、洗いざらい喋ってもらおうか」
「たとえば、ティンファの街にくる前は何をしていたのかしら?」
突然話を振られ、アモエナは思わず身をすくめた。
当然である。
なにせ、相手は神や魔王なのだから、その視線に晒されることですら普通の人間には荷が重い。
いつも気の抜けた雰囲気を漂わせているクーデルスのほうが異常なのだ。
そして、怯えるばかりで何も言わないアモエナに、ベラトールとフィドゥシアの目つきがだんだん鋭くなる。
そして、沈黙していればこの気まぐれで強大な存在たちを怒らせるだけだということを悟ると、アモエナはつっかえながらようやく話し始めた。
「え、えっと……わ、私がクーデルスと出会ったのは……えっと、こ、今年の春のはじめごろで……」
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