私の高校時代のお話

 その日、私はたまたま傘を忘れた。

 私の家は高校から離れていたため、いつもバスを使っていた。しかし学校からバス停まで、そしてバス停から家まで少し距離がある。そのため、傘の有無に関わらず、雨の日は憂鬱ゆううつ極まりなかった。


「はぁ……」


 学校の昇降口を今まさに出ようとする所で、深いため息をひとつ落とす。


「……雨より速く走ればいいだけ。そうすれば私は濡れない」

 およそ不可能であろうことを、まるで自分にはできるというように豪語ごうごし、ひと呼吸つく。

 そして私は50メートル走のように短期決戦で終わらせると強く意気込み、思いっきり助走をつけて走り出――


「あの」


 ――そうとするもあえなく失敗、水たまりに足を取られて大胆に滑って転ぶ私。

 うわぁ、制服が水浸しになってしまっている。……いやそれより、顔面から水たまりに突っ込んでしまった方がダメージが大きい。顔が泥だらけになっているのが分かる。それに口に泥が入ってきて、ザラザラした食感を味わってしまった。めちゃくちゃ不味い!……そりゃそうか。

 全く、誰だこんな時に私に話しかけたのは……。


「……何ですか」


 苛立たしげな態度になるのも仕方ないだろうと思い、苛立ちを隠さずに返事をし、私は顔面と制服を水びたしにしたまま声の主を見上げる。

 ……わぁお、儚げな美青年ではありませんか!

 彼は同じ学校の制服を着ている。

 ちなみに、私の通う学校はネクタイやリボンの色で学年が分けられている。1年生は赤、2年生は緑、3年生は青といった具合だ。

 彼のネクタイを見る。色から察するに……同い年?

 こんな人いたっけ……?

 そう思いながら私は彼の顔を凝視する。


「……タイミング悪く声かけちゃってすみません。傘、使いますか?俺は折りたたみ傘あるんで」


 彼は私に向かって手を差し伸べ、私が立つのを手伝ってくれた。


 ……なんたる少女マンガ、なんたる王道!!


 脳内で大きくガッツポーズを決め、しかし顔にはそれを出さず(というか出ず)、いいんですか、と問う。


「はい。またいつか返してくれれば、それで」


 そして彼は、儚げに笑う。


「あ、あとこれも。制服や顔を拭いてください」


 彼は可愛げも色気も、飾り気もない真っ白いタオルを私に差し出した。


「……ありがとう、ございます」

 私はありがたくそれを受け取った。

 とはいえ、人様から借りたタオルで泥だらけ、水びたしの制服やら顔やらを拭くのも気が引ける。


「いえ、もとはといえば俺が声をかけたせいですし。遠慮せず使っちゃってください」


 まるで背後から花が浮いているかのような、春の陽気のような、そんなポカポカして儚げで、彼以外には出せないであろう笑顔に、私は恋した。

 ――もちろん、タオルはありがたく使わせてもらった。



 次の雨の日、私は彼と再会した。

 昇降口で傘をたたみ、傘をふるふると降って雨粒を払っていると、隣に彼がいたのだ。

 反射的に「おはよう」と言うと、彼は笑って「おはようございます」と返してくれた。


 その時にタオル(ちゃんと洗った)と借りた傘を返すと、彼は素直にそれを受け取った。そして傘を傘立ての一角に立てた。

「また忘れてしまった時のために、一応俺の傘立てにこの傘入れときますから。使ってもらっていいですよ」

 と。……まぁ、なんたるイケメン!

 私は感動のあまり、彼の手をぎゅっと握りかけた。危ない危ない。とんだ変態だと思われるところだった。



 それ以来、私は雨の日を心待ちにした。

 彼は、晴れの日はどうしても体調が優れないので外に出れないとか。

 だから、彼と会える雨の日が好きになった。名前も知らぬ彼と会える、唯一の日だから。

 同じ学校とはいえ、名前も知らない人ならば会おうにも会えないから。

 雨が降ると分かっている日の朝、彼に傘を返し、放課後また彼から傘を借りて一緒に帰る。……とはいえ、一緒なのはバス停までなのだが。

 それでも幸せだった。彼が隣にいたから。

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