21
「!」
私を見つけたダイアナは、嫌なものを見たような目で睨んできたが、それは一瞬だった。
すぐに以前よく見ていた表情になった。
「コハネ様! ああっ、よかった! 心配しておりました!」
「…………」
どういうつもりなのだろう。
あんな声で叫んでいたのに、今は心配――するフリをしている。
まだクレールがいることに気が付いたのだろうか。
「ダイアナ、あなたは聖域に入れないの?」
「!」
私が質問をした瞬間――、被っていた猫が剝がれたが、すぐに戻った。
「それはコハネ様が私を拒絶なさっているからでは? 私を入れてくださらないなんて……悲しいです」
また、私のせいにするの?
カッと頭に血がのぼり、怒鳴りたい衝動に駆られたが抑えた。
「ダイアナは私に濡れ衣を着せるのが得意なんだね」
「まあ、ひどい! 私、コハネ様のことを本当に心配しているのよ? 聖域とはいえ、女の子が森で暮らすのは不便でしょう? 一緒に城に戻りませんか?」
そう言うとダイアナは、白くて綺麗な手を差し伸べてきた。
たが……。
「きゃっ! 痛いっ!」
ダイアナの手にバチッと電流のようなものが走った。
聖域がダイアナの進入を拒んでいるようだ。
「やっぱり、ダイアナは聖域に入れないんだ……」
「!」
「……あなた、本当は聖女じゃないんでしょう?」
「…………っ!」
ダイアナが怒りと焦りが混じったような顔をしている。
今までは『疑惑』だったけれど、こうして目の当たりにして『確信』になった。
浄化をできたのはなぜか分からないが、ダイアナは聖女じゃない。
聖女じゃないのに、どうして聖女だと名乗り出たの?
聖女じゃないのに、どうしてアーロン様を私から奪ったの?
動揺で目眩がしたが、まだ話をつけていないので堪えた。
もう、あなたが本当に聖女なのか、偽物なのかなんてどうでもいい。
今後私に関わらないでいてくれたら、それでいいのだ。
「……私は城には戻りません。聖域での暮らしはどこよりも快適です」
「そんな、無理をしないで。アーロン様もあなたが帰ってくるのを待っているわ」
「…………」
――また頭に血がのぼる。
アーロン様の名前を出さないで。
ダイアナは私を怒らせるのが本当に上手い。
怒鳴りたい気持ちを抑え、冷静に話した。
「婚約破棄した相手を、まともな理由で待っていると思えない。余計に出たくないわ。それにアーロン様にはあなたがいるでしょう?」
「あら、コハネ様は何か勘違いしていらっしゃるわ。私がお二人の間にある誤解を解いてさしあげますから。さあ、一緒に城へ戻りましょう」
ダイアナが聖域の境界のところまで、手を差し出してきた。
その手を取るわけないでしょう!
私に向ける笑顔も、その手も、とても嫌なものに見えた。
やめて! 私に関わろうとしないで!
手を向けられるのが嫌で、払いのけようとした、そのとき――。
「!」
「あは」
僅かに聖域から出てしまった手をダイアナに掴まれた。
「……捕まえた」
「な、何なの……!? 離して!」
ダイアナの力が強く、手を握られて逃げられない。
聖域の中に完全に入ろうと必死に動くけれど、引きずり出されそうになる。
「コハネ!」
「ダイアナ様!? 何をなさっているのですか!」
飛びだして来たクレールとウエストリーの騎士によって、私とダイアナは離された。
聖域の中に入ってダイアナから距離を取る。
いきなり何だったのか。
「ふ……ふふ……」
呆然とする私を、ダイアナは不気味な笑みを浮かべて見ていた。
その顔を見て、私はゾッとした。
「やり直せたし、欲しかったものも取れたわ」
「…………?」
独り言を零すダイアナは、満足そうに微笑んでだ。
そして、ダイアナは近くにあった雑草に魔法をかけ始めた。
何をしているのだろう。
全員の目がダイアナに集中した。
少しすると、ダイアナが魔法をかけた雑草がグングン成長し、小さな花を咲かせた。
これは……私が使っている畑の作物を育てる時の聖魔法と似ている。
ダイアナはこんな魔法を使えたの?
「使える。大丈夫ね。本当は捕まえて、近くに置いておきたいところだけれど……。今日は帰りましょう」
何だったのかさっぱり分からないが、ダイアナは帰るようだ。
歩き出したダイアナを見て、ホッとした。だが――。
「……何者かが来たな」
クレールが私を庇って前に出た。
私もたくさんの気配が近寄って来るのを感じた。
今度は何――。
「コハネ!」
「!」
それはダイアナよりも聞きたくなかった声だった。
「アーロン様……」
現れたのは、たくさんの騎士を連れたアーロン様だった。
クレールの背後からその姿を見たが、目が合った瞬間に顔を顰めてしまった。
そんな私を見て、アーロン様は気まずそうに話しかけてきた。
「コハネ……君と話がしたいんだ」
「お断りします。あなたの婚約者とお帰りください」
「……いや、ダイアナとは正式に婚約していない……」
私とは婚約破棄が済んでいるはずだから、もう婚約しているのだと思っていた。
驚いていると、ダイアナがアーロン様に詰め寄った。
「アーロン様! どういうこと!? コハネと婚約破棄できたら、すぐに私と婚約すると言ったではありませんか! 宝石もたくさん買ってくださったし、もう正式な手続きも済んでいるはずでは……!」
「あ、いや……それは……」
こんなところで痴話喧嘩を始めないで、全員早く帰って欲しい。
周りにいる騎士たちも困惑していて可哀想だ。
……というか、ダイアナはアーロン様と私の間に誤解がある、と言っていた。
私とアーロン様の仲を取り持ちたいような発言をしておきながら、自分との婚約が成されていないことに怒るとは、どういうつもり?
きっと、ダイアナの口から出る言葉は出まかせばかりで、その場で都合のよい話をしているだけなのだろう。
「コハネ、実はダイアナの浄化が上手くいっていないかもしれないんだ……」
「…………え?」
ダイアナを騎士たちに押し付け、アーロン様が疲れた様子で話してきた。
浄化が上手くいっていないかも、ってどういうこと?
聖樹が浄化前の状態に戻ってしまったのだろうか。
「アーロン様、もう心配いりません! コハネ様の妨害を解いたので大丈夫です!」
「はい?」
騎士達に大人しくするように諭されているダイアナが、それを振り切って叫んできた。
私の妨害って何のことでしょう?
まだ私に着せいている濡れ衣があるの?
とにかく、もう私とは無関係なので他所でやって欲しいと願ったのだが……。
そんな私の想いは天に届かなかったようで、ダイアナが何かを始めた。
「これを見てくださいませ!」
ダイアナはさっきと同じように、魔法で雑草を生長させて見せた。
見守っていた騎士たちから「おおっ」という歓声が上がる。
「聖魔法を使える私は聖女です!」
「君にそんな力が……。だ、だが……!」
アーロン様が私を見た。
見られることも、私の視界の中にアーロン様がいることも不快で、思わずクレールの背中に隠れた。
「コハネ、やはり君が必要だ」
「…………は?」
この人は何を言っているの?
私はあなたに捨てられたも同然なのですが……。
「アーロン様、それはどういう意味ですの!」
ダイアナがアーロン様に掴みかかろうとしたが、騎士たちに止められた。
「ダイアナを先に連れ帰ってくれ」
「ちょっと、離しなさい!」
騒ぎ出したダイアナを、騎士達が数人がかりで連れて行く。
もう……何なの?
頭も心もぐちゃぐちゃで、段々と気持ち悪くなってきた。
ぐらりと視界が揺れ始め――これはまずい。
「コハネ!」
倒れそうになったところを、クレールが抱き留めてくれた。
「ご、ごめん。ちょっとめまいが……」
「無理をするな。戻って休もう」
「……うん。ありがとう」
クレールが私を横に抱き上げ、聖域の中へと戻り始めた。
「待て! コハネをどこに連れて行く! コハネ! 大丈夫か! こんなところではなく、城で休もう! すぐに医師を呼ぶ!」
アーロン様の叫びが耳障りだ。
頭に響くからやめて欲しいと思っていたら、クレールの足が止まった。
「コハネの体調を悪くしているのはお前だ」
クレールが頭を向け、アーロン様に向かって吐き捨てる。
「な、なんだと! 誰だ、貴様は!」
「オレは『本物の聖女』の――コハネの騎士だ」
「! クレール……」
クレールが私が「本物の聖女だ」と言ってくれた。
そして、私の騎士だと言ってくれたことが嬉しくて、涙が込み上げてきた。
「聖域にいる……聖女の騎士――」
クレールの言葉を聞いて、アーロン様は何か考え込んでいるようだ。
「だったら! 私のことも……!」
騎士に囲まれているダイアナが、クレールに向かって叫ぶ。
自分も聖女だから騎士になって欲しい?
クレールが……この聖域で一緒に暮らす仲間が、ダイアナの騎士になるなんて絶対に嫌だ!
「聖女だと名乗るなら、聖域の中までついて来い」
「…………っ」
ダイアナが何も言えずに黙っている。
クレールの言葉は、聖域に入ることができないダイアナを拒否するものだった。
そして同時に、「ダイアナが聖女だ」ということも否定している。
「ダ、ダイアナ……?」
ついて来い、というクレールの言葉に反応しないダイアナを見て、アーロン様が困惑している。
周りの騎士達もそうだ。
「立ち止まってすまない。コハネ、行こうか」
私を横抱きにしたまま、クレールは再び歩き出した。
「コハネ! 待ってくれ!」
アーロン様が私を止めようとしているが、聖域に阻まれて追って来ることができない。
なんとかしようと、騎士達と聖域に向かって攻撃を始めようとしたが――。
「ヒュルー!」
「な、何だ!?」
私とアーロン様達の間に氷りの矢が降り注ぐ。
氷の魔法……パトリス!
空を見上げると、翼を羽ばたかせて滞空し、こちらを見下ろしているパトリスがいた。
「ハーピー!? どうしてこんなところに!」
アーロン様についてきた騎士達が剣を構える。
「くそっ、魔物を討伐しろ!」
魔法を使える騎士が、パトリスを狙って攻撃しようとしているのが見えた。
「やめて! パトリス、逃げて!」
クレールの腕から飛び降り、パトリスに攻撃しようとしている騎士に飛び掛かった。
魔法を止めないと!
「…………っ」
騎士が放った火の魔法が腕を擦った。
痛みが走ったが、魔法はパトリスがいない方向へ飛んで行ったのでホッとする。
「あ、危ないのでやめてください!」
私に怪我をさせて、アーロン様の騎士は狼狽えている。
「じゃあ攻撃しないで!」
「コハネ! こっちに戻れ!」
行手を阻む騎士たちを退けながら、クレールが駆け寄ってきた。
「クレール! パトリスが!」
「副団長なら放っておいても大丈夫だ! コハネ! 早く聖域に戻るぞ!」
「え?」
騎士のパトリスへの攻撃を妨害した時に、私は聖域を出てしまっていたようだ。
「コハネは行かせるな!」
アーロン様の指示を聞き、騎士達がクレールに飛びかかって行く。
剣を持つ騎士達を素手のクレールがどんどんと倒していくが、騎士達の数が多く、思うように進めないようだ。
私から動かなきゃ! と思ったところで、私の前にアーロン様が立ちはだかった。
「コハネ……城に戻ろう」
「嫌です」
目を見て拒絶すると、アーロン様はつらい気持ちを堪えるような表情になった。
どうしてあなたがそんな顔をするの?
「……とにかく、一緒に帰ろう。俺達はちゃんと話をする必要がある」
「…………」
「ダイアナに儀式を押しつけたりしていない」「私は何もしていない」と言った私を無視したのに、今更「話をする必要がある」?
「はは……」
思わず乾いた笑みが出た。
「アーロン様は私の話を聞いてくれなかった。もう話すことなんてないよ」
「……コハネ。俺は間違っていたのかもしれない」
アーロン様が私に手を伸ばす――。
「触らないで!」
私が叫んだ直後。
「あ!」
私の前に金の獣が現れた。
光り輝く金色を見た瞬間ホッとして……涙が込み上げてきた。
「グルルルッ!!!!」
「なっ……フェンリル!?」
「新たな魔物だ! 常駐していた見張りの者も集まれ!」
騎士の一人が声を張り上げた。
聖域の周りにはたくさんの騎士がいたようで、続々と姿を現す。
「コハネ! 魔物から逃げろ!」
アーロン様が叫んできたが、私はエドの体に飛びついた。
「エド! ……来てくれてありがとう」
「パトリスが呼んでくれたんだ。遅くなってすまない」
金の毛並みをぎゅっと握りしめると、モフモフのしっぽでいつものように包んでくれた。安心する……。
私に優しい目を向けてくれていたエドだったが、視線をアーロン様へ移すと、纏う空気が鋭くなった。
その気迫に、アーロン様だけではなく騎士たちも怯んだ。
「今すぐ去れ。去らないと攻撃する」
「フェ、フェンリルが喋った……」
戸惑っていたアーロン様たちだったが、大人しくいうことを聞く様子はない。
「コハネは城に連れて帰る!」
アーロン様のその言葉を聞いて、私は思わずエドに体を寄せた。
絶対に嫌。
城なんかに行きたくない。
もう利用されるのはまっぴらなの!
その時――。
聖域の方から二つの影が飛び出し、割り込んできた。
「団長。ここに来たら痛い目に遭うってことを、この人たちにしっかり覚えて貰った方がいいんじゃないですか」
「僕、久しぶりに運動したいなあ」
「リック! リュシー!」
名前を呼ぶと、二人はにっこりと微笑んでくれた。
「うわああああっ!」
誰かの悲鳴にふり向く。
すると、そこにはクレールに吹っ飛ばされている騎士たちの山があった。
「ほら、クレール先輩はすでにはしゃいでるし。団長、いいですよね?」
「構わん。……程々にしろよ」
「「了解!」」
エドの了承を得ると、二人は意気揚々と駆け出した。
私があげた剣を持っているが……こんなに敵が多いのに大丈夫なのだろうか。
「みんな……!」
「コハネ、俺の部下は強い。心配するな」
言葉の通り、三人はとても強かった。
次々と相手を倒して行く。
三人の中で一番華奢なリュシーが心配だったが、驚くことに一番敵を倒していくスピードが早い。
そして、とても楽しそうだった……。
三人が圧倒的に強すぎて、アーロン様の騎士たちが気の毒になってきた。
パトリスも上から魔法で三人をフォローしているようで、騎士たちがおもちゃのように倒れていく。
「あの、騎士さんたちに、あまりひどいことは……」
「大丈夫だ。気絶させるくらいだ」
たしかに剣を使ってはいるが、大量に出血しているような人はいない。
大丈夫……だよね?
「団長。制圧しました」
「今の騎士って弱いんだね。つまんない」
三人はあっという間に、アーロン様の騎士たち全員を気絶させてしまった。
立っているのはアーロン様だけだ。
エドがゆっくりとアーロン様の元へ向かう。
「そんな、こんなにいた騎士が……どうなっているのだ! 魔物め、来るな!」
エドを目の前にして、アーロン様は腰を抜かしてしまった。
地面に座り込んでしまったアーロン様にエドが告げる。
「お前にコハネは渡さない」
「…………っ」
「お前はコハネに相応しくない」
「なっ……!」
「今度近づいたら容赦しない」
――グオオオオッ!!!!
エドが威嚇するように咆哮を上げると、アーロン様は転びそうになりながらも逃げていった。
その姿が面白くて、思わず吹き出してしまった。
「王子様なのに情けないね」
「もう二度と来るなよー」
「……次は畑の肥やしにしてやる」
「あははっ、みんなすごい!」
本当に、本当にみんなは凄い。
私の中にあった悲しみや怒り――黒いものがすべて吹き飛んでしまった。
みんなは最高だ!
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