シエスタ
荒城美鉾
シエスタ
昔から、顔を覚えられやすい方ではあったんよ。食べ物屋さんとかで。
美味しそうに食べるからって?
まぁそれもあるかもやけど、女子大生があんまり駅前の焼き芋屋さんとか、和菓子屋さんとか、行かへんやろ。珍しかったんかなぁ。
大学を卒業して入った会社がここで、はじめは飛び込み営業をしたんよ。お客さんができるまでね。顔を覚えられやすいなら営業に向いてるんちゃうんって? それがそうもいかんのよ。私の方がひとの顔を覚えられへんでな。
まぁほんで、九時から六時までみっちり飛び込みをするんやけど、きつかったよー。一日同じことを繰り返して言うてると、だんだんどこからその声が出てるのかわからんようになったりするわけ。もちろん自分の口からなんやけど。もう毎日くったくた。
お昼だけがほんまオアシスやったの。お昼だけ、どの会社も業務がぴたーっと止まるのが、不思議でならんかったわー。風が凪ぐみたいに、電話も止まるわけ。仕事の荒波が止むみたいな感じ。スペインの風習にシエスタってあるやん。ちょっとあれにも似てるなぁって思ってた。ま、どこの国でもお昼は休むんやろうけどさ。
いつやったかな、玉造かどこかでお昼に小さなカフェに入ったことがあってん。玉造って意外に住宅も多くて、足ばっかり疲れる上に成果が見えへん。へなっへなやってな。やっとお昼になって入ったそのカフェでオムライスを食べたんやけど、それがめっっちゃ旨かった。ほんまに、こう、手のひらが震えた。びりびりびりって。ジャズかなんか知らんけど音楽のかかった薄暗い店内で、死んだみたいになってる自分の、舌だけが生き返ったみたいやった。
今思えば、デミグラスソースのかかった、ふっつーのオムライスやの。簡単に言うてしまうと、空腹は最高のスパイスってことなんやと思うんやけど……。でな、とにかく美味しかったから、それを伝えようと思って、ペーパーナプキンに「美味しかったです」とだけ書いて置いてきてん。直接言うのは、ほら、私って人見知りやし。ちょ、なんで笑ってんねんて!
んで、次の日、またそのエリアを回ってる時に、お客さんから電話があった。業者さんが間違って、指示とは違うとこに納品してもたん。よそに頼んだから、おたくのはもういらん、てえらいけんまくでなぁ。
うん、泣いた。バス停に座って、えんえん泣いた。悲しかった。なんでこんなうまくいかんのやろう? わざわざ私の納品を失敗せんでもええやん? って。でも、ずっとそこに座ってるわけにもいかん。成果がなかったら怒られるしな。とりあえずこの泣き顔だけなんとかせなあかん、と思って、カフェに入ったんやわ。それがあのカフェ。アイスコーヒー頼んで、ほうけてた。そしたら声が降ってきた。
「チーズケーキ、好き?」
顔をあげると、店員のお兄さんがこっちを見てた。頷いたら、お兄さん、奥からチーズケーキのお皿を持って出てきはってん。
「もらいものやけど」って。
おいくらですか、て聞いたら、
「この前、美味しいって言うてくれたお礼」
って。
私、人の顔は忘れるけど、その時のその人の顔は忘れへんかったわー。
チーズケーキ、めっちゃ美味しかった。まあ普通のチーズケーキなんやけどね。でも、なんていうんかなぁ、体に美味しかった。手は震えへんかったけど、心が震えた。
店員さんがイケメンやったんでしょ、て? ばれたか。なんちて。いや、そんなことはないよ。ほんまやって。
まぁそやけど、そのときのチーズケーキが励みになったことはほんまやね。
私も嬉しかったんやけど、多分、あの人も誉めてもらって嬉しかったんやろね。
人って結局、誰かに優しくしたりされたりして、生きていけるんやと思ったわ。
私の旦那? そやで。飲食店経営やで。いやいや、小さい喫茶店やー。うん、ジャズが好きでな。私はようわからんけど。
え? それが今の旦那かって? それは内緒。ほら、しょうもないこと言うてんと、はよ食べ。ほら、もうすぐ一時や。また飛び込み再開するで!
シエスタ 荒城美鉾 @m_aragi
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