哲学的ゴリラのクオリアよ

笹熊美月

第1話 ゴリラ

プロローグ


 まだまだ太陽からの直射日光が猛威を振るう昼と、肌を突き刺すように冷たい風が吹き荒れる夜との、落下するような寒暖差が激しい十二月。


 いい加減に昼と夜とで気温を統一してくれないから、いつも僕は昼に軽装で外出してしまい、夜になってから凍てつくような寒さを受けて後悔するはめになる。そして今日も例に漏れず軽装なのだが、むしろ今はズボラな自己管理能力の低さに感謝したい。


 夜風を切る指先は悴み、おそらく赤らんでいるだろう鼻先はモゾモゾする。だが、それに反して口から吐く息は、空気中に留まるほど白くて熱いくらいだ。


 今日だけが特別に寒いわけではない。ただ、久しぶりに慣れない運動をしたせいで、僕の血肉が沸騰したかのように熱を帯び、体温が著しく上昇しているのだ。


「モタモタするな!」


 どこにでもある小さく静かな駅前で、僕はキャバクラの前にいる黒服たちを掻い潜りながら、変態コスプレ野郎の手を引いて街中を疾走していた。その変態コスプレ野郎は危機感を自覚していないのか、呑気に自業自得すぎる文句を垂れている。


「こうも暗がりだと、視界が悪くて……」

「変なサンバイザーを付けているからだ! さっさと外せ!」

「サンバイザーじゃなくてヒーローマスクだ! ここで素顔を晒すくらいなら死んだ方がマシだっつーの!」

「言ってる場合か! 捕まったら本当に殺されるぞ!」


 道が複雑に入り組んでいる駅裏の商店街にまで行けば、暗闇に乗じて逃げ切れる自信があった。それなのに、どれだけ走っても後方からは追手の声が聞こえてくる。


「右に曲がった! 二手に分かれろ!」


 商店街の人たちが苦労して街頭に飾り付けたイルミネーションよりも、派手で目立つ格好をしている変態コスプレ野郎のせいで、僕たちが逃げようとしている方向は筒抜けだった。


 おそらく、スマホのコミュニケーションアプリを使用し、そこから共有した情報で追跡しているのだろう。頭に血が上っているように見えて、彼らグループの司令塔は冷静だ。


「こんなはずじゃなかったのに……」


 まるで将棋のように追い詰める相手と比べ、変態コスプレ野郎は心ここに在らずといった様子だ。今からでも遅くはない。こいつを見捨てて自分だけでも助かろう。


 一瞬、保身的な甘い考えが脳裏を過ったが、慌てて打ち消すように戒めて頭を振る。そもそも、僕が変態コスプレ野郎を手助けしようと思ったのには、ちゃんとした理由があるのだ。その目的を達成させるまでは、どんなに馬鹿でも見殺しにできない。


「弱音を吐くな! いいから走れ!」


 追手から逃げ切ろうにも、僕たちが逃げ込める場所が無いのは明白だった。もう自棄になって、どうとでもなれと思うが、どうにもならないからピンチなのである。だからこそ、諦めてはいけない。最後まで足掻き続けよう。


 僕が僕であるために。



第一章


 あれは幼稚園生の頃だったろうか?


 大好きな従姉弟が我が家へ泊まりに来た際、タイミング悪く実の母親が産気づいて病院へ運ばれたのである。父も母に付き添いで救急車に乗り込んだため、家には僕と従姉弟の二人だけが残された。


 子どもたちだけで夜を過ごすなんて不安でしかなかったけど、それと同時に僕は従姉弟と初めて冒険めいたことができると思って嬉しかった。一人で孤独に夜明けを待つより何倍もマシだったし、頼りになる従姉弟と秘密を共有できることを期待した。


 しかし、あっさりと従姉弟は足手まといにしかならない僕を見離した。そして怖気づいたまま自分の家へと帰り、僕は一人で寂しく父親の帰りを待つしかなかった。いつもより広く感じたリビングのように、あの時から僕の心に隙間は生まれていたのだろう。


 きっと僕の愛は重すぎた。



 あれは小学生の頃だったろうか?


 僕はバスケットボールクラブに入っており、ただ単純にバスケットボールを楽しんでいた。それが小学校を卒業する前くらいの時期に、将来の夢という作文でプロのバスケット選手になりたいと書いたら、担任に現実を見ろと強く否定された。どうやら日本人がプロのバスケット選手として活躍するには、肉体的な才能が乏しくて可能性として難しいらしい。


 他の夢が思いつかなかった僕は仕方なく、漠然と父親の職業である美容師になりたいと書き、授業参観で将来の夢を発表した。内容はうろ覚えだが、体裁を気にして社会に貢献したいみたいなことを書いたら、そのことを母から聞いた父が偉く感動していた。


 その時から僕は罪悪感に苛まれ、気まずさで肉親との距離が開いたように、社会から望まれている若者像と、何者かになりたい自分との乖離が進んでいった。


 きっと僕の夢は空っぽだった。



 あれは中学生の頃だったろうか?


 好きだったバスケットボールを辞めて無気力になっていた僕は、気分転換にレンタルビデオ屋で劇団ヨーロッパ企画の『サマータイムマシンブルース』を鑑賞した。この世にこんなにも笑えて魅力的な物語があるのかと、頭をカチ割られる衝撃を受けた僕は役者の道を志すべく、中学からは演劇部に入った。


 しかし、僕の入った部活は顧問の意向でガッチガチな保守派だった。そのため、喜劇の基礎である人間模様の擦れ違い要素を取り入れつつ、等身大の学生たちを描いた僕のオリジナル脚本は受け入れてもらえなかった。


 ならば反抗すれば良いだけの話だが、何よりもショックだったのは顧問がどうのこうのではなく、顧問から押しつけられた協調精神を重んじる部員たちの消極性である。


 それでも一人くらいは僕の書いた脚本を面白いと言ってくれる友人がいた。その友人は顧問と対立することで徐々に部内での居場所を失った僕に対し、唯一と言って良いほど支えてくれた存在ではあったのだが、肝心の僕は思慮が足りなくて友人のことを支え切れていなかったため、卒業後は次第に疎遠となった。


 きっと僕の友情は偽りだった。



 あれは高校生の頃だったろうか?


 すっかり大人たちに対する嫌悪感が板につき、とにかく悪目立ちしないことを目標に学校へ登校したら、挨拶をしなかったという理由だけで生活指導の教師に捕まったのだ。そして既に我慢の限界だった僕は胸倉を掴もうとする教師の手を躱し、その場で思い切り投げ飛ばしたのである。


 高校へ入学して早々、全校生徒から注目の的になってしまった僕は落ち込んでいたが、噂を聞きつけた同級生が僕をバンドに誘ってくれた。楽器はできなくとも演劇部で鍛えた声量を武器に、地元のクラブハウスや学校の文化祭で活動し、なかなか充実した青春生活を営むことができたと思う。


 ようやく三年生になってギターが人並みに上達した頃、趣味で書き溜めていた歌詞を使用したオリジナル楽曲を作成し、初めてメンバーたちに聴かせてみた。もう将来を決めなければいけない時期だからこそ、学校を卒業したらプロを目指そうと打診したのだが、どうやらメンバーたちは思い出作りのためにバンドをやっていただけのようで、リスクを冒してまでバンド活動を続けるつもりは最初から無かったらしい。


 きっと僕の世界は狭かった。



 だからこそ僕は、愛とは何か、夢とは何か、友情とは何か、世界とは何か、それらを探求するために大学で社会学を勉強した。


 しかし、本を読んで研究すればするほど、この世の絶望が重く肩にのしかかってくる。例えば、政治学者である丸山眞男が一九五六年に刊行した、『現代政治の思想と行動』という本を御存知だろうか?


 これは第二次世界大戦を引き起こした日本の支配体系を論考したものであり、日本人の政治に対する無責任な姿勢について言及している。


 そして、その中に「肉体文学から肉体政治まで」という、対話形式の奇妙な小論が収録されているのだ。近年においても内閣の席を巡る政党の思想は重要視されているが、具体的な政策の話までは詳しく取り上げられていない。


 その理由を丸山眞男は政治的精神が顔や腹などの、政治的肉体への直接的な依存を脱しないからだとし、また原因を日本では民主主義がフィクションだということが理解されていないからだとする。


 つまり、日本人は人と人との結びつきである村や国家などを伝統とし、生まれた時から当たり前のようにあるものとして信じて疑わなかった。それらの基盤は元々、人と人とが生きるために揉まれて形成されたものであって、生きやすいように制度化されたルールがフィクションだということに気づけていない。


 その法律などを作られたフィクションだと自覚し、絶対化することなく自己目的化を絶えず防止しながら、相対化できる政治への姿勢が必要なのだ。だが、社会関係が自然所与的なものとして受け取る傾向の強い日本では、便宜的なフィクションが凝固しやすい。


 ここまで説明して何を伝えたいのかと言うと、近代社会では共同体が崩壊しつつあるのにもかかわらず、組織なりルールなりの非人格を工夫して、信じやすいように人格化しているのである。


 これは社会的な規範が既知の関係でのみ通用するということであり、人々に支持されたいのなら顔を売り出して制度を実体化させるしかない。そのような日本人の意識を根本から変えたいのであれば、顔よりも肉体的でリアリティのある、死を持ってして訴える方法しかなくなる。


 ここから先は僕の勝手な考察だが、かつて世界を変えようと理想に燃えた小説家、三島由紀夫という人物が存在した。彼の場合は天皇制を支持していたとはいえ、まるで流れるように決まりゆく日米安保に危機感を抱いていたという点では、本当に日本の将来を案じていたのだろうと考えられる。


 だからこそ、彼は自分たちで変わろうとしない日本人に絶望したのではなく、その危機感を分からせようとして割腹自殺を行ったのではないか?


 いや、だとしても、それぞれの立場から複数ある内の思想にすぎないものを、たった一つの理想として抱えたまま死ぬなんて馬鹿げている。


 しかし、そうなってしまうと、不条理な世界を変えたいという欲望があったとしても、その変えた先の世界は価値のあるものだと信じられるのだろうか? そして僕は信念を貫き、希望のために命を懸けられるのだろうか?


 ……無理だ。そこまでする大義が僕には無い。僕には郷土愛も無ければ、愛国心さえ無い。僕以外の他人なんて知ったこっちゃないし、僕のことを認めてくれない社会なんて無くなってしまえばいい。


 世捨て人のように、人知れず慎ましく死ぬ。


 そう悟った時、僕の体はゴリラになっていた。


× ×


 僕たち人間が今の姿である原形を手に入れたのは、実に七百万年前だ。人間型も最初は一種類ではなく、ニ十種類の人間型がいた。僕のオススメはクロマニヨン人だが、そんな個人的な好みはどうでもいい。


 ここで大事なのは、最後に残ったのがホモサピエンスと、ネアンデルタール人の二種類だということだ。そして三万年前にネアンデルタール人が絶滅して、僕たちの祖先であるホモサピエンスが生き残った。


 どうして、ホモサピエンスだけが苛烈な生存競争を勝ち抜けたのだろう? 他の種類との違いは何だったのだろう? なぜバンド名がザ・クロマニヨンズなのだろう? そして僕はゴリラから人間に戻れるのだろうか?


 いや、正確に言えば、まだ僕は完全にゴリラ化したわけではない。人語を解せないほど知能は低下していないし、人間社会から隔離されたわけでもない。この際、どこからが人間で、どこまでがゴリラなのか、という定義づけは問題でない。


 つまり、普通に生活する分には支障が無いわけだが、僕がゴリラ化したと言うのは疑いようのない事実なのだ。


 だから精神科の病院で医師に相談し、気の毒に思われたからこそ、抽象的な比喩表現なのではないか、という変な勘違いだけはするな。さらに付け加えておくと、僕の肉眼で視認できる範囲は、まだ人間の姿を保っている。


 しかし、鏡に映った自分の姿が完全なるゴリラなのだ。無駄に凛々しい顔立ちの、インテリジェンスな服を着たゴリラが部屋に佇んでいる。これを初めて見た時は現実からの逃避を試みようとしたが、その状況が一年以上も続けば考えることすらアホらしくなってくる。


 えてして、元から自分の外見に興味の無い僕は、鏡に映った姿がゴリラになるという事実を受け入れ、その内に気がついたら人間に戻っているだろう、という能天気さで大学生活を続けていた。


 ちなみに、鏡の中にいるゴリラは他人が見ても映らないらしく、どうあっても他者からの目では視認できないようだ。それだけが救いである。


 果たして、僕のゴリラ化は人類としての退化なのか、それとも生物としての新種なのか。どっちに転んでも報われなさそうだ……。




 キュッ、キュッ、と。水性ペンでホワイトボードに書き込む無機質な音が、これまた無気力なコンピューター室に響く。そして滑りの良いペンの書き心地と合わさるように、ホワイトボードから向き直った僕の口調も滑らかになっていた。


「現代は情報化社会と呼ばれており、人々の生活も従来から大きく変化しました。なぜなら、インターネットの世界には多くの人によって集められた知識が凝縮されているからです。このことを集合知と呼びます」


 集合知と言う単語を板書しながら、その内容を口頭で説明する。


「それでは具体的に、みなさんが集合知だと思うネットのサイトを挙げてください」


 僕が質問してもパソコンの前に座っている学生たちは誰も発言せず、まるで自分が存在していないかのように非協力的な態度を見せる。なるべく導入から学生たちを授業に巻き込みたかったが、僕は面倒臭くなって時間の方を優先した。


「例えば、有名なウィキペディア、食べログなどのサイトが集合知に当たります。これらのサイトが存在することで、人々の生活に劇的な変化が起こりました。図にして説明します」


 言葉や文字だけで単調にならないよう、分かりやすく図にして視覚的に興味を引きつける工夫を行う。ホワイトボードの左に「自己」、右に「他者」と書き、その二つを割くように真ん中へ一本の縦線を書いた。


「従来の社会では自己と他者との間に、時間や距離などの物理的な壁がありました。この壁を乗り越えようとする行動力が無ければ、自己は新しい世界へ踏み入れて知識を得ることができなかったのですが、情報化社会による集合知の存在により、この人と人との間にある壁が取り払われたのです」


 このことは授業の核心を突く重要なポイントであり、けっこう力を入れて説明したつもりなのだが、肝心の学生たちはポカーンとして理解できていないようだ。さらに深く説明するのは余分だとしても、こんな所で躓かれては先が思いやられる。


「つまり、インターネットで個人が家に居ながら、特殊な集団に対してコンタクトが取れるということです。本来ならば実際に体験しなければ知識を得られないところ、集合知へ直接アクセスすれば労せずして知識を得ることができます。これが生活において何を意味するのかと言うと、個人で無数のコミュニティへと繋がることができるため、今まで特異だった情報の外部性が失われました」


 しまった、外部性という難しい単語は不必要だったか。案の定、学生たちは途中から話を聞き流しているようで、机に突っ伏す者がチラホラいた。ここらで起爆剤を投入せねば。


「例えばですね、みなさん行きたい店があるとするでしょう? でも、男性と女性で入り辛い店とかありませんか? そこで店へ行かずして、ネットで事前に検索するわけですよ。なるほど、自由恋愛という手があったか! みたいにね」


 まだ季節は陽気な春のはずだが、室内は凍えるような静寂さに包まれる。こんなにドン引きされるくらいなら、無理してお茶目さを演じるんじゃなかった……。


 後悔と恥辱を隠すため、僕は努めて平静を装い、次の内容へと授業を展開させる。


× ×


「馬鹿じゃないの?」


 大学での模擬授業を終えて翌日。同じく教職課程を履修している友人と、談話室で互いに近況を報告したところ、まさかの第一声がそれだった。


「ユーモアがあると言ってくれ」


 友人である蜂屋から発せられる罵倒に対しても、僕は情けなさが先行して力なく答えることしかできない。


「いや、その場にいたら爆笑してたけど、チャレンジャーだな」


 結局、僕の模擬授業は学生たちの共感と理解を得られないままに終了し、かろうじて先生からはフォローされるも、あまりよろしくない評価を判定された。


 それはまだ許せるにしても、最後のまとめで情報を有効活用する心構えについて、主体的に行動する態度とは何か意見を求めた際、わざと大きな声で分からないと発言した、あの顔面ブツブツ肌の厚化粧女だけは許さない。


「やっぱり、他の学部とは交流する機会が無いから、どうしても僕たちは異物として扱われちゃうよね」


 僕と蜂屋の二人は政策学部で、ゼミも同じである。その他に教職課程を履修できる学部は、商業科目の教員免許が取れて人気の高い経済学部だ。


 ちなみに、僕が在籍している政策学部は社会学やらメディア学やら、特殊な表現や創作系の授業を履修できる。だが、それらができても就職に関して何の役にも立たないため、大学内では密かにお荷物学部と呼ばれているのだ。


 そして、特殊な学部で教職課程を履修する物好きは少人数であり、四年生の時点で残ったのは僕と蜂屋の二人だけだった。お互いに立場的な苦悩を分け合える貴重な存在のため、いつの間にか利害関係が一致し、自然と友情のようなものが芽生えた。


「お前は大人しそう見えて、実は自己主張が激しいからな。たまには自分から歩み寄ってみたらどう?」

「絶対に嫌だ。あんな奴らと同じにされたくない」


 僕が模擬授業をした次に、コミュニケーション能力の高い犬神という学生が模擬授業を行った。情報モラルについて授業しているくせに、自分が肖像権を無視した画像をパワーポイントで乱用していて腹立たしかった。


 それでも他の学生たちは、下手糞に加工された画像を見て笑い、生徒へ伝えるべき授業の内容とは関係なしに高評価を付けていた。あのような集団内でしか通用しないコミュニティへ入るくらいなら、僕は自分を見失わないように孤独でいる事を選ぶ。


「そろそろ教育実習も近いし、そんなことも言ってられなくなるぜ? もう担当の先生から事前指導は受けた?」

「明日ある。そっちは?」

「バブル経済のあたりかな。模擬授業でもやったから、少し得した」


 僕も蜂屋も担当教科は高校の公民だ。本当は僕みたいに情報も取得可能なのだが、蜂屋は大学へ進学する条件として、親から教員免許の取得を義務付けられたにすぎないため、公民だけを履修している。


「いいなぁ。まだ僕は授業範囲も知らされてないから、何も準備できなかったよ」

「急に決まったんだもんな。マジでウケる」

「うるさい」


 僕は母校から教育実習生の受付を拒否されたため、期間ギリギリになるまで実習先が見つからなかった。仕方なくベテランの鳳先生に頼み込み、ようやく付属の高校へ行き先が決まったのだ。


「募金をお願いします! 赤い羽根共同募金に、どうかご協力をお願いしまーすッ!」


 談笑を断ち切るように、外から喧しい声が聞こえる。窓越しに下を覗くと、大学の学生団体が企画したらしい、謎のヒーロースーツに身を包んだ学生が募金活動をしていた。


「あれ何だっけ?」

「さぁ? あ、もう授業が始まる時間だ。急がないと」

「ん」


 蜂屋との会話を切り上げ、僕たちは急ぎ足で教室へ向かう。

 そして廊下を歩く足音と呼応するかのように、ジリジリと三週間の教育実習が始まろうとしているのを背中に感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る