第52話気が休めないんですが?
鋭く尖った三本の角が迫り来る。
湾曲した二本の角と剣のようにまっすぐに伸びた一本の角を持つ魔物――『ヘラルド』。見た目は巨大なイノシシだが、毛並みは赤黒く、隆々と盛り上がった四肢の筋肉は、動物のそれとはかけ離れている。
猛然と突進してくるヘラルドの角に合わせて、ハルトは剣を構える。
真ん中の角を剣が捉える。その瞬間、体に電流が走ったような衝撃が伝わり、思わず地面を削るようにして押される。水分を多く含んだ泥沼で、踏ん張りの効かない地面ではあるが、それでもこれ以上後方に押し返されるわけにはいかない。
すぐ後ろには魔法を詠唱するユキオとモミジがいる。絶対、そこまでは行かせない。
体をほんの少し沈める。腕にかかる負担は増えたが、それでも、より足の踏ん張りがきく体勢を取ることによってヘラルドの突進が一瞬、止まる。
その一拍の静寂をマナツは見逃さない。
目にも留まらぬ速さでヘラルドとの距離を詰め、そのまま空中で一回転。回転の勢いをそのままに剣をまるで斧のようにヘラルドの右角へと叩きつけた。
鋭い金属音と同時に、バキッという何かが折れた音が鼓膜を揺らす。
ヘラルドの右角が付け根から綺麗に割れていた。
マナツは折れた角を拾い上げ、一旦後退。
角が折れ、バランスを失ったヘラルドは勢いを失い、重心が左に傾いた。
ハルトもつられて右にもつれるが、そのまま敢えて角ごと剣を右方向に思い切り倒す。
体がふわっと浮き、視界が逆さまになる。剣を引き抜き、そのまま地面に突き立てて転倒を免れる。
ヘラルドは二回転沼地を転がり、仰向けでぼでっと出た腹をむき出しにする。
マナツが即座に追撃を仕掛けようとする。
「――待て!」
ハルトは一瞬、後方を確認し、声を張り上げる。その瞬間、マナツはビタッと動きを止めて、後ろに飛びのく。
「――行くよ!」
ユキオの低い声が伝わってくる。刹那、拳ほどの大きな
遅れて、地面からふわっと浮き出た光の球体が、竜巻もろともヘラルドを包み込む。轟々と吹き荒れていた風が止み、瞬間の静寂。そして、球体が一瞬鋭く瞬いたかと思うと、次の瞬間には激しい爆音と風圧を撒き散らして爆散した。
はね飛ぶ泥を腕で受け止め、ヘラルドの行方を確認する。
ヘラルドは巨大なくぼみとなった泥沼に体を横たわらせて、ピクリともしない。二本残っていた立派な角は粉々に砕け散り、今ではただの赤毛の巨大なイノシシへと成り代わっている。
「終わった……か」
脱力。張り詰めていた肉体から力を緩め、大きく息をつく。見ると、三人もかなり疲弊しているようだ。
Bランクの魔物であるヘラルドに、まさかここまでの苦戦を強いられるとは思わなかった。正攻法の倒し方ではないから、仕方ないことではあるのだけれど……。
「だーっ! なんで角なんて必要なのよ! おかげでアホみたいに疲れたし、バカみたいに時間かかったじゃない!」
マナツがげしげしと地団駄踏む。
今回のクエスト内容はヘラルドの白いねじれ角。
本来であれば、単調な突進を避けて、赤黒の毛を纏った肉体を殴って倒すのだが、ヘラルドの角は肉体が絶命した瞬間、黒褐色に変色する。故に、生きた状態で角をへし折る必要があったのだが、これが予想以上に難儀であった。
とにかく、角が固すぎるのだ。魔法では粉々になってしまうので、前衛がとにかく動きを止め、角に打撃を叩き込むという動きを何度も繰り返す羽目になった。
できれば、今すぐに座り込みたいところではあるが、もちろんディザスター内では常に気を抜くわけには行かない。
「急いで天幕まで撤退。マナツ、角忘れずにね」
「忘れるわけないでしょー」
日はまだ高い。この分だと、夕刻までには街に戻れそうだ。
荷物を急いでまとめ、ディザスターを抜け出す。別に何も遮るものはないただの沼地から、足場のしっかりした土の地面に変わっただけで、思わず喜びを感じる。
今回のディザスターは街から三キロほどのところに存在するため、馬車を利用する必要もない。もちろん、ディザスターではないとはいえ、気を抜くわけには行かないが、常に気張っている必要もない。他愛もない会話をしながら帰路につく。
「……なんか、モミジ機嫌悪い?」
不意にユキオが疑問を投げかけた。こういうとき、ズバッと聞く性格にはヒヤヒヤもするし、羨ましくも思う。
確かにモミジは街が近づくにつれて、もともと少ない口数はさらに減り、口を尖らせるようになった。本人は不満げな顔をしているつもりだろうが、やけに可愛く見える。
「ん……。怒ってない……と思う」
マナツがスッと寄ってきて、耳打ちをする。
「あんた、何したのよ……」
「は? 何もしてないよ。ってか、街に着けば何となくわかると思うけど」
原因は多分、一昨日の
街に着き、門をくぐった瞬間、視線を感じた。好奇心に近いような、そんな視線。
周りをぐるっと見回すと、前方三軒先の出店の端からこちらを覗く黒髪の少女が目に入る。
モミジも発見したようで、出店の方をじっと見つめている。
不意に黒髪の少女と視線が交わる。彼女は少しだけ気まずそうに首を引っ込めたが、次の瞬間にはバッと体ごと出店から姿を表し、こちらに走り寄ってくる。
「お疲れ様です! ハルトさん!」
身をすっぽりと隠すような外套は、既に着ていなかった。その代わり、身丈にあった白と青のローブに近い僧衣を纏っている。
「や、やぁ、リリー。き、奇遇だね……。奇遇……だよね?」
「まさか! ハルトさんを待っていたに決まっているじゃないですか! そろそろだと思ったんですよね!」
「……嘘だろ」
「本当です!」
あぁ、モミジの殺気が痛い……。
どうしてか、モミジはリリーのことをかなり嫌っているようだ。そんなにストーカーされたことが癇に障っているのだろうか。
「ねえ、この可愛い子はハルトの知り合い?」
マナツとユキオは不思議そうにリリーを見ている。
「いや、知り合いというか……。なんだろ、一昨日会ったばかりなんだけど」
「リリーです! よろしくお願いします!」
リリーはぺこりとお辞儀をした。
「おー、いい子だね! 私はマナツ」
「僕はユキオだよ。よろしくね」
「マナツさんとユキオさんですね。よろしくです!」
リリーは続けざまに口を開いた。
「ちなみにハルトさんのお嫁さん予定です!」
あー、言ったよ。言ってしまったよ、この子……。
「んん? ハルトのお、お嫁さん?」
然しものマナツでさえも、モミジをちらっと見ながら質問を投げた。
「はい! ハルトさんには命を救っていただいてですね、それで、一目惚れなんですけど、絶対に射止めます」
リリーは弓矢を構えるようなポーズを取った。無邪気な笑顔に何故か胸が痛む。
「でも、ハルトには好きな人がいるじゃんね〜。難しいんじゃないかな」
ユキオが何となく諭す。リリーはうんうんと頷いた。
「そうなんですよねー。そちらのモミジさん曰く、ハルトさんは既にお淑やかなある女性のことが好きらしくてですね。リリーはまずは、その何処の馬の骨ともしれない女性を越えるために、日々、こうしてハルトさんに猛烈アタックをしているわけです!」
こちらからすれば、後手は明らかにリリーな気もするが、そこには触れないでおこう。
「へぇー。お淑やかで好きな人がいるって、モミジに言ったのねぇ」
マナツがジト目がやけに刺さる。
「うっ……」
助けを求めるようにユキオを見るが、露骨に目をそらされた。モミジの方は、見るのが怖くて到底向くことができない。
「あー! そろそろギルドに行かなきゃー! ほら、行くぞ、みんな。じゃあ、リリー。……またね!」
耐え難い空気に思わず、逃げ出すように歩みだした。
モミジは黙ってうつむいたまま、マナツとユキオはその様子を苦笑いしながら後をついてくる。
それにしても、本当にモミジがこんなに嫌悪感を剝きだす様子は、初めて見た。よくわからないなぁ。
「はーるーとさーん! またお話ししましょう! あっ、すーきーでーす!」
後方からのリリーの大きな声を、聞こえないふりをするというのは無理があった。
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