『桜の木の下で』⑧
作戦決行の当日、俺たちは昼過ぎから集まり、作戦の最終確認を余念なく行っていた。
ところが、ここに来て篠山凌太が「イヤだ、イヤだ」と駄々を捏ね始めた。しかし、やつはもう女装を済ませていたこともあり、返ってその仕草が可愛くもあった。
俺たちはどうにか篠山凌太をなだめすかし、
「もしも十条寺泰久が襲い掛かって来たら、その時は迷わずパンツを脱げ」
とだけアドバイスして送り出した。
時刻は夕方五時。待ち合わせ場所に三十分も前から来ていた十条寺泰久の元へ、篠山――ササキリョーコは足取り重く向かって行った。
この時、俺と数名の猿軍団員は、近くのファミレスから二人の様子を伺っていた。もしも本当に篠山凌太が危機に陥った際には、この猿軍団を使って十条寺泰久をボコボコにし、篠山凌太を奪還しなければならない。
ちなみに、マシバとサコツは十条寺泰久に顔を見られているので、この場にはいない。ロッテはお供である二名の猿と共に、とある場所に潜伏している。
それとは別に、一名の猿にビデオカメラを持たせ、十条寺泰久とササキリョーコの二人をこっそり撮影させていた。これは、今この場にいないマシバとサコツ、作戦に参加していないその他の猿軍団員への手土産だ。
また、別の猿一名にはデジカメを持たせ、ロッテたちに随伴させている。やつの役目は、この後の展開で起こるであろう十条寺泰久の決定的瞬間を激写させることと、作戦の進行状況を見守るこの俺と電話で連絡を取り合うことだ。やつがめでたく撮影に成功した折りには、その一大スクープ写真を一通の添え書きと共に封筒に入れ、匿名で西中に送り付けてやるつもりだ。
肝心の作戦の方はどうなっているかと言うと、晴れてササキリョーコと対面を果たした十条寺泰久は、それが男であるとも知らず、真っ赤に紅潮させた顔を挙動不審にがくがく動かしていた。
一方のササキリョーコ=篠山凌太も自身の行いが恥ずかしくて堪らないのか、こちらも頬を赤く染め、俯きがちに視線を落としてきょろきょろしていた。が、むしろそれがウブに見え、見ているこっちまで口元が緩む。
尚、興奮した十条寺泰久の鼻の穴が広がっていく様は、遠目からでもはっきり見て取れた。
その後、作戦の方は滞りなく進行し、二人は買い物をしたり、ゲーセンでゲームを楽しんだりしていた。
その際の注意事項として、篠山凌太にはマシバから事前に「どんな時でも、主導権は十条寺泰久に与えておけ」という指示が出ていた。その理由は、ゲームなどに熱中するあまり、女のササキリョーコの中から男の篠山凌太が出て来ることを防ぐためである。篠山凌太の役目は、その数時間、あくまでも女のササキリョーコであり続けることなのだ。
それとまた、十条寺泰久のようなオラオラ系は適当におだてておけば、いい気になって一人で勝手にバカやっててくれるので扱いやすい、ということだそうだ。
そうこうしている内に、時刻は午後七時半を少し回っていた。
適当な店で夕食を済ませた二人は、いよいよここから盛大なフィナーレへ向けて歩を進めることになる。
「ど、どうしよっか? これから。ま、まだどっか、寄ってく?」
視線の定まらない瞳を宙に飛ばしながら尋ねてくる十条寺泰久。
それに対し、ついにササキリョーコが積極的に打って出る。
「……行きたい場所があるんだけど、いいかな……?」
十条寺泰久は無言で頷くと、ササキリョーコに付いて歩き出す。
二人は街で一番高いビルの展望フロアに登り、そこから夜景を眺めていた。
まずは、ムード作りこそ肝要だ。しかし、二人は一体どんな思いでこの夜景を眺めているのだろう? きっと、今の十条寺泰久にはこのちっぽけな街の夜景にも百万ドルの価値があるのだろうが、篠山凌太にとっては、自分の家がどこにあるかを探す立体地図ほどの価値しかあるまい。
それなのに、二人の距離はどんどん近付いていく。
「……や、泰久君……」
ササキリョーコが十条寺泰久の顔を見つめて言う。
「……なに?」
「私、泰久君のこと……す、……す、……」
ササキリョーコの唇が震えている。
それに向き合う十条寺泰久は、今や完全に瞳孔が開き切っており、ふがふがと鼻息荒く、その様はまるで、バナナの山を見付けたゴリラのようだ。
そんな十条寺泰久を前にして、ついにササキリョーコがその台詞を口にする時が来た。
「……す、好きになっちゃいました!」
薄暗い展望フロアに、ササキリョーコの声が静かに染み渡る。
篠山凌太は人生最初で最後になるであろう、同性への愛の告白という大偉業を成し遂げた。俺たちはもう、篠山凌太に対して一生頭が上がらないことだろう。
「お、俺も、りょ、リョーコちゃんのこと、す、好きです……!」
ある意味では、このバカにも一生頭が上がらないことと思う。こんな哀れなやつの顔を、面と向かって直視できるものか。
十条寺泰久はササキリョーコの両肩をがっしと掴み、おもむろにそのゴリラ顔を近付けてきた。
ササキリョーコはそんなゴリラの唇を手の平で制すと、顔を背けて小さく言った。
「ダメ――。そういうのは、もっと、ちゃんとした場所で……」
字面にすると不覚にも興奮してしまうような場面だが、こいつらは実際男同士なのだ。十条寺泰久にその自覚がなかったとしても、篠山凌太にしてみれば堪ったものではない。
後に、篠山凌太はこの時のことを振り返り、
「全身に悪寒が走り、生きた心地がしなかった」
と述べ、青白い顔で身震いした。
さて、展望フロアを後にした二人は、夜の繁華街を人気のない方へ歩いて行く。目的の場所は近い。ロッテたちもすでにスタンバイに入ったと聞く。
「え……? ここは……」
その、安っぽい洋風建築的意匠を取り入れた奇抜な外観を淫靡なピンク色の照明でライトアップした、一見しただけでは入口がどこにあるのかわからないきな臭い建物=ラブホテルを前にした十条寺泰久は、動揺して声も出ないと見える。
ササキリョーコは十条寺泰久の右腕にしがみつくと、その先を促すように、小さな額をやつの背中にコツンと押し当てた。
普通に考えれば、中学生の身分でこんなシチュエーションあるわけないのだが、十条寺泰久のように脳みそが下半身に付いているようなやつは「ヤるか」「ヤらないか」でしか考えようとせず「ヤられる」ということについてはまったく頭を働かせようとしない。
大体「据え膳食わぬは男の恥」なんて言葉は、女に騙されたバカな男が悔し紛れに思い付いたみっともないただの屁理屈だということを、世の多くの男性は未だに知らず終いでいる。実に情けないことだ。
さて、十条寺泰久は覚悟を決めたのか、覚束無い足取りでラブホの前まで行き、ドアの取っ手に手を掛けた――。
「おい、ちょっと待てこらあ」
十条寺泰久の背後から声が飛ぶ。
「え、え……?」
そこに現れたのは、身長百八十五センチを超す色黒天パの大男――ロッテは顔を隠すために掛けた妙なサングラスと、一週間伸ばし続けた中途半端な無精ひげのせいで、時代錯誤のクラブDJみたいな見た目をしている。
そいつが二人の屈強な猿を両脇に従え、十条寺泰久の前に仁王立ちしているのだ。
「てて、てめえ、人の妹に、なにしてくれてんだあ? ああっ!?」
緊張しているのか、ロッテは後半、声が裏返っている。
いやそんなことよりも、今さらながらロッテとササキリョーコが兄妹という設定は、あまりにも無茶すぎやしないだろうか?
「ろっ、て……い、いや……お、お兄、ちゃん……!?」
一方、ササキリョーコの演技は真に迫っている。
無理もない。なぜならそれは演技でもなんでもない、篠山凌太の素のリアクションなのだ。と言うのも、彼にはこの日、ロッテがどんな格好をして現れるか、まったく知らせていなかったのだから。
「え、え、え?」
状況が飲み込めていないのか、十条寺泰久は両目を白黒させている。
「だからあ、おめえはここでえ、なにをしてるんだって、聞いてんだよお!」
見兼ねた猿の一匹が、ロッテの横から割って入って来た。
「あ、いや、あの、僕はその……」
「なんだてめえ、中坊かあ? ひ、人の妹こんなとこ連れ込みやがって、なにする気だったか言ってみろこらあ!」
まあ、ロッテにしては頑張っている方か。
「ひいっ! 僕はえっと、こ、高校生でして……」
見え透いた嘘を吐く十条寺泰久だったが、その辺りも計算済みだ。
「あっ! 俺こいつ見たことあるぜ!」
わざとらしく、猿の一人がそう言った。もちろん演技だ。
「こいつ確か……西中の十条寺とかいうやつじゃねえかあ?」
「い、いやいやいや! ぼ、僕は決してそんな――」
十条寺泰久の顔から血の気が失せて行く。
「おいこら十条寺ぃ!」
「いひぇいやあ!?」
がむしゃらに畳み掛けるロッテに、十条寺泰久の呂律はすでに崩壊している。
「おいこらてめえ! おいこら! ああ!?」
「はいはいはいはい、はい!」
ロッテは台詞を忘れてしまったのか、同じ単語を繰り返してばかりいる。対して十条寺泰久の方も語彙が極端に減ってしまい、二人の会話は会話のようで会話になっていない。
「こいつどうするよ? とりあえず、いっぺんシメとくか?」
「待って、待って、待って、ちょちょちょちょちょ……」
腰砕けになっている十条寺泰久の襟首を掴み、お供の猿が凄む。
ちなみに、ササキリョーコの身柄はすでにこの時ロッテたちが確保しており、その背後から事の成り行きを静かに見守っていた。
「おい十条寺、今日のところは大目に見といてやるけどなあ、次にこの辺で見掛けたら、そん時はただじゃおかねえぞ!」
用意されていた最後の台詞を吐き、ロッテは十条寺泰久に背を向けた。そして、ササキリョーコの肩を抱いて歩き出した。
「さっさと行け、おらあ!」
「あひいっ!」
お供の猿が十条寺泰久のケツを蹴ると、やつは這うようにしてその場から退散した。
これにて作戦終了。当分の間、十条寺泰久がこの辺をうろつくこともないだろう。
「……超、恐かったよお」
そう言って、戻って来たロッテは今にも泣き出さんばかりに顔をくしゃくしゃに歪めていた。
一方の篠山凌太は、早くも「拭くだけコットン」で念入りなメイク落としに取り掛かっている。二人とも、今日は御苦労であった……。
しかし、作戦は百パーセント成功というわけにはいかなかった。
予定では十条寺泰久がラブホに入る決定的瞬間を写真に収めるはずが、カメラマンの猿はその千載一遇の好機を逃し、ただただ事態を傍観しているだけという体たらくで、自分の役目を思い出したのはロッテたちが十条寺泰久と接触した後だった。
でもまあ、この程度は許容範囲内だろう。俺たちの目的は大よそ達成されたのだから。それに、俺たちはなにも十条寺泰久をコテンパンに伸して、HEROを気取ってやろうというんじゃない。そういう中途半端な正義感を持っていいのは、万引きGメンのおばちゃんだけだ。
そもそも、今回の作戦の目的は十条寺泰久を痛め付けることではない。
猿軍団の連中に俺たちの素晴らしいバカを見せつけてやることなのだ。
この一件で俺たちのバカの魅力に取り憑かれてしまった猿軍団は、これまでの暴力一辺倒による問題解決への道を省み、きれいさっぱり改心した後、正式に我らの下に帰順した。
いやー、めでたし。めでたし。
と思いきや、意外なところから事件の犠牲者が現れた。
篠山凌太だ。
作戦終了の後、篠山凌太扮するササキリョーコの写メが学年の男子の間に流出し、密かに流行の兆しを見せていた。
そのせいで篠山凌太は事あるごとに女装を迫られ、困り切った彼は俺たちに助けを求めて来たのだ。
俺たちも、今作戦における最大の功労者である篠山凌太の願いとあってはそれを無下にするわけにもいかず、彼を手厚く
ところがモテない男子共ときたら、徒党を組んで俺たちのところへ押し寄せると、
「おまえたちだけでリョーコちゃんを独占するな!」
「リョーコちゃんはみんなのリョーコちゃんだ!」
「リョーコちゃんを今すぐ解放しろ!」
などと、わけのわからない言い分で捲し立てて来た。
バカの相手がどれほど面倒であるか、それは同じバカである俺たちが一番よく知っている。
俺たちは篠山凌太と協議し、週に一度だけ密かに女装してもらい、その時に撮った写メを定期配信するという形態でバカ共のガス抜きを行うことにした。
篠山凌太も決していい顔はしなかったが、それ以外で彼に女装を求める者や、写メを外部に流出させた者には、猿軍団による制裁を加えるということで納得してもらった。
しかし、そんなことばかりやっていたものだから、当然、俺たちは女子連中から白い目で見られ、支持率は急落。
そんな中ただ一人、女子からの信頼回復に奔走するマシバは、忙しさいつもの三割増しといったところであった。
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