『桜の木の下で』②


 そんなサコツが「サコツ」になった経緯を話そう。


 忘れもしない。あれは小三の寒い寒い冬の日の朝だった。

 サコツこと遠藤瞬はその日「昨日凄い映画を見た」と言ってやけに興奮した様子で俺たちの輪に加わって来た。遠藤瞬はそれを再現する、と言うと、なにやら一人で奇妙な動きを始めた。

 手に持った二丁拳銃がどうのこうのとか、バッとかシュッとか言いながら、くるくるその場で回ったりしていた。

 俺たちも最初の内こそげらげら笑って見ていたのだが、気を良くした遠藤瞬がさらに動きを加速させていくのを見るに連れ、次第に恐怖の方が増してきて、みんなの顔からも血の気が引いていく様がありありと見て取れた。

 そして、とうとう見兼ねたマシバが「おい、瞬のやつを止めろ!」と叫ぶと同時に、俺たちは一斉に遠藤瞬に飛び掛かっていった。

 しかし、遠藤瞬のやつときたら、俺たちが一緒になって戦闘ごっこに加わって来たとでも思ったらしく、一人、また一人と、向かっていく俺たちを蹴ったり殴ったりしては、前代未聞の大立回りを披露して見せた。

 俺自身も遠藤瞬の裏拳を食らい、鼻血を吹いて倒れた。

 そうして遠藤瞬に向かう者がいなくなり、教室の真ん中が遠藤瞬にやられたバカ共の屍の山で、それはそれはもう阿鼻叫喚の地獄絵図みたいになったところへ、マシバが担任教師を連れて飛び込んで来たことで、事態はようやく沈静化した。


 それでもまだ動き足りなかったのか、その後の体育の授業になって、またも遠藤瞬は「映画の中で凄くかっこいいシーンがあった」と言い「今からそれをやる」と意気込んだ。

 俺たちは、朝の内すでに一度痛い目を見ているので、これはもう遠藤瞬の好きにさせてやろうということを互いの目でもって確認し合った。


 実に都合がいいと言うか悪いと言うか、その日の体育は器械体操だった。

 マットを敷き、跳び箱を置いて、ロイター板を設置。


「うおおっ!」


 と裂帛の気合いを吐いて走り出した遠藤瞬は、ロイター板を蹴って高く跳躍。横向きにした跳び箱を伸ばした両手で一叩きすると、空中で真っ直ぐに倒立をした。

 と、そこまでは惚れ惚れするくらいの華麗さで、さすがは我らの遠藤瞬! と指笛を鳴らしたいところだったのだが、なにを思ったか、遠藤瞬は空中での倒立姿勢から両手を広げ、さらに身体をくるりとねじって逆さ向きの竹とんぼみたいな動きをした。そしてそのまま、竹とんぼはマットの上に着地――ならぬ、見事なまでの墜落を見せた。


 後から本人に聞いてわかったことだが、遠藤瞬が前日に見た映画というのは、どうやら「リベリオン」だったようだ。


 俺はその日、初めて救急車の中がどうなっているかを知ることになる。

 そして、世紀の墜落劇から三日、上半身をギプスでガチガチに固めた遠藤瞬が登校して来た。

 あれだけ激しくマットに叩きつけられたというのに、遠藤瞬は「鎖骨さこつが折れただけ」と言って、右手が使えない以外は普通にみんなと外を駆けずり回ったりしていた。


 そして、この時遠藤瞬の言った「鎖骨さこつ」という聞き慣れない言葉の響きに、そこはかとないインテリジェンスを感じた俺たちは、以降、遠藤瞬のことを親しみと尊敬と畏怖の念を込め「サコツ」と呼ぶようになった。


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