第一章 俺たちのはじまり

『偉大なる凡人であるこの俺』①


「この世にバカほど平和な生き物はいない」



 天地創世以来、神がアダムとイヴを作りし時より今日現在に至るまで、またこれより先未来永劫変わることなき不変の真理として、これだけは言わせてもらう。



 俺はバカである。



 シン。

 それが俺の呼び名だった。

 俺の名を表すその漢字一文字は、戸籍上別の読み方をするのだが、親兄弟親戚友人に至るまで、誰もが俺をそう呼んだ。


 どうやら、俺のバカは生まれる前からの決定事項だったらしい。


 俺がまだ母親の子宮の中にいた時「そろそろ生まれてやってもいいかなー」と思ってもぞもぞしていると、俺の前に突然神様が現れてこんなことを言ってきた。


「ここに二つの箱がある。大きい箱と小さい箱、好きな方を選んで生まれるが良い」


「わーお! さーんきゅー、ふぁっきんまいごっど」


 俺は迷わずデカい方を選び、その場で箱を開けた。

 箱の中にはこれでもかというくらい、ぎゅうぎゅうに「バカ」が詰まっていた。

 そして、俺はバカに塗れて生まれて来ることとなった。


 その結果、バカな俺は逆子になって生まれた。

 しかも、へその緒が首に絡まって、それはそれは大変な難産となったらしい。産声も上げなかったと聞く。


 世界中が歓喜に沸く中、俺はただ一人、生死の境を彷徨っていた。


 俺は二人兄弟の兄として生まれて来たわけだが、俺がそうであるのと同じように、世の中全体的に見ても、兄の方が弟よりもバカであることの方が多い。

 それは、俺のように生まれる前の人生最初の選択肢を間違えるやつが圧倒的に多いからであろう。


 俺には二つ歳の離れた弟がいるが、そいつは生まれる際、俺と違ってなにを難渋するでもなく、すぽんと生まれ、おぎゃあと泣いた。

 しかも、やつは俺が残していった小さい箱を持って生まれてきた。小さい箱の中には「知性」「教養」「勤勉」その他ありとあらゆる人間にとって道徳的価値の高い物が詰まっており、弟はたくさんの大人に目を掛けられながら、大層優秀なやつに育っていった。


 一方、俺は誰からも目を掛けられることなく、すくすくと立派なバカに成長していった。


 俺のバカがめでたく花開いたのは、幼稚園の年中の頃だった。


 俺の通っていた幼稚園では、工作などをする際、変な顔の形をした黄色い容器に赤い帽子みたいな蓋の付いた糊を使っていたのだが、俺はそれを食っていた。

 勘違いしてもらいたくないのだが、俺はなにも最初からバカみたいにそんなことをしていたわけじゃない。

 そうするよう、悪魔のように俺をそそのかした輩がいたのだ。


 そいつの名は、マシバ。


 俺自身を語る上で絶対に欠かすことのできない我が親友とは、この時邂逅を果たすことになる。

 やつとの具体的なエピソードは後に回すとして、ひとまず、やつのことは「とんでもないイケメンにして超人気者、その上バカ」であったということだけ覚えておいてもらえばいい。


 ある時、そのマシバとかいうクソガキは、幼稚園で折り紙を折っていた俺の横へ来て「ねえねえ。これ、おいしいよ?」と言って、俺の目の前に件の糊を差し出した。

 わけもわからずきょとんとしている俺の目の前で、マシバは容器に指を突っ込んでその糊を一舐めして見せた。そうして、やつは尚も俺の前に糊を差し出してくるので、俺も恐る恐る指先に糊をちょんと付けて、それを舐めた。


 とろっとした舌触りにちょっとしょっぱくてスースーする、あんまり甘くないヨーグルトみたいだなー、と思った。


 俺はその時の感覚(不思議な味。食い物ではない物を食っているという背徳感と高揚感)が忘れられず、その後も人目を忍んでは、隠れて一人でこそこそぺろぺろやっていた。


 そんなことだから、俺の糊は他のやつらよりも減りが格段に早かった。他のやつらが一個の糊を使い切るかどうかという頃には、俺はもう二つ目の糊を使い切って三つ目に手を付けていた。

 まあ、正確に言うと一つは食っていたわけだが……。

 しかし、いつまでもそんなことが隠し通せるわけもなく、俺の糊だけ異常に減りが早いことに気付いた幼稚園の先生連中に目を付けられ、とうとうある日、俺がぺろぺろタイムを堪能しているところを、そいつらの内の一人に見付かってしまったのだ。


 俺は幼稚園の先生全員から叱られる羽目になり、恐怖の余り泣きじゃくった。そして「二度とこのようなことをしてはいけない」と、きつく灸を据えられた。

 ちなみに、その際俺はマシバにそそのかされた旨を涙ながらに訴え出たのだが、かわいい顔をして周りのガキ共やその親たち、果ては幼稚園の先生連中からも人気者として持て囃されていた美幼児マシバのこと、俺の訴えは虚言妄言として受理されることなく、即刻反故にされた。


 だからと言って、それによって俺がマシバを恨むなどということはなく、むしろ、マシバとはその一件をきっかけに常にじゃれ合うような仲となっていた。

 そして、俺の怒りの矛先は遍く、腐った大人共に向けられることとなった。


 俺は、

 幼稚園の砂場に落とし穴を掘り、先生を呼んでそこへ落とす。

 室内遊具を全て引っ張り出し、一大迷宮を築き上げてそのまま雲隠れ。

 送迎バスのフロント部分に、三十匹以上のカタツムリを張り付けて知らん顔。


 等々、ガキの頭で考え得るありとあらゆるバカを講じて、周囲の大人共の手を散々に焼かせた。


 同じ頃、マシバもマシバで俺が巻き起こす騒動のどさくさに紛れ、若い女の先生の胸を揉んだりなんかして、一人甘い汁を吸っていた。

 しかも、マシバはその後「やわらかかった」「ふかふかしていた」などとその揉み心地を逐一俺に報告して来るので、俺もそこまで言われたら確認せねばなるまい。と奇妙な義務感に駆られ、マシバ同様その若い女の先生の胸を揉みに行くわけだが、マシバならなにも言われないことを俺が同じようにやると、なぜか、俺の時だけ怒られた。


 幼い我が身に、社会は容赦なく「理不尽」の三文字を突き付けてきたのだ。

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