紅き箱庭のフィロソフィア
高柳神羅
現代世界
第1話 人類に讃えられた科学者
「出てきました! ニコル・ルーヴィエ博士です!」
建物の前でその瞬間を待ち構えていたアナウンサーの一言で、その場に集まっていた報道陣たちがカメラやマイクを手に群がってきた。
彼らが注目する先には、何人もの護衛に囲まれた一人の白衣姿の男がいる。
くるくると巻いた金茶の髪に、鼻頭に薄く浮かんだそばかすが特徴の小柄な若者だ。見た目は十代後半といったところか。眼鏡のレンズに隠れた翡翠色の瞳は落ち着きなく辺りを見回して、何処か不安そうに自らが身に着けている白衣の袖をきゅっと掴んでいた。
「ニコル博士! 一言頂けませんか!」
「人類の長年の夢だった不老長寿の実現! 博士が発明した秘薬で、人類は何百年もの長き時代を生きることが可能となったのです! それについて、博士はどのようにお考えですか! そして今後の目標は! 是非、一言!」
建物の前に停まっている車の前まで来て、ニコルはそこで立ち止まった。
振り返り、自分を取り囲んでいる報道陣へと目を向けながら、控え目に口を開く。
「僕は……命というものには、無限の可能性が秘められていると信じています。今回僕が発明した薬は、人類に長く続く若さと寿命を齎しましたが……僕は、この結果だけで満足はしていません」
「と……仰いますと?」
アナウンサーの一人から、マイクが近付けられる。
自分の顔を真正面から映しているカメラ。それをまっすぐに見つめて、彼は続けた。
「不老長寿が現実のものとなった今……次に見据えているのは、老いることなく朽ちることのない命を生み出すこと。そう……不老不死です。これまでに誰一人として実現させることが叶わなかった人類の悲願を、僕のこの手で、叶えてみせようと思っています」
ニコルの言葉に、報道陣はおおおと湧き上がった。
そこかしこでフラッシュが焚かれ、カメラのレンズがずいっと彼へと迫る。
「その尽きることのない研究への情熱! 流石はニコル博士です!」
「貴方なら必ず実現させられますよ! 我々はニコル博士を信じておりますから!」
「あの、すみません。僕、これから行かなければならない場所がありますので、この辺で……」
なおも話を聞こうと食い下がってくる報道陣に頭を下げて、車のドアを後ろ手に開けるニコル。
彼の周囲にいた護衛たちが、彼の傍から離れさせようと手を広げて報道陣を追いやり始めた。
その時だった。彼らの立っている場所だけが急激に暗くなったのは。
きぃぃぃぃぃん、と耳鳴りのように響く何かの音。
それは次第に大きくなり、爆音となって、彼らの頭上へと迫ってきた。
何事かと頭上を仰ぐニコル。
「……!?」
彼の視界に映ったのは、業火に包まれて眩く輝くジャンボジェット機が、自分めがけて落ちてくる光景。
その場から逃げ出すどころか、悲鳴すら上げられぬまま──
ジャンボジェット機は墜落し、派手に爆発して辺りに火の粉と機体の部品を撒き散らしたのだった。
「…………」
それから、どれくらい気を失っていたのだろうか──
ニコルはぐらぐらする頭を緩慢に振りながら、閉じていた瞼に力を入れた。
全身が痛む。まるで長いこと寝たきり生活を送ってきたせいで筋肉が衰えてしまったかのように、体に力が入らなかった。
僕は……今まで何をして……
そうだ、急に飛行機が落ちてきて、それで……
僕は……生きているのか?
自問自答しながら身を起こし、ゆっくりと目を開けて、辺りを見回す。
ぼんやりとした視界に映ったのは、乾いて罅割れた地面と、そこに散乱した大量の機械の部品と思わしきもの。
そして、もはや原型を留めていないほどにばらばらになった人間の部品だった。
ペンキの缶を叩き付けたかのようにべったりと飛び散った赤黒い血。腹の中に入っていたと思わしき肉の欠片。砕けた頭と、その中から零れた薄桃色の何か。
鉄錆とオイルの臭いが、辺りに濃く漂っている。
「……あ……え……!?」
ニコルは、それを目にして愕然となった。
大量の人間の死体。それにも無論驚かされたが、それ以上のショックを与えるものがそこにはあった。
ニコルが見ているのは、彼を取り巻くこの環境そのもの──
厚いオリーブ色の雲がぽつぽつと浮かぶ、黄金色に染まった空が何処までも続いている。
植物など全く生えていなさそうな灰色の山が遠くに連なっている。
周辺はただ平坦とした罅割れの土地が広がっているばかり。
所々に点々と生えている木は皆立ち枯れており、命の存在などこれっぽっちも感じられない。
彼がいたはずの街の風景は、何処にもない。
まるで、核兵器でも落とされて一瞬にして全てが吹き飛んでしまったかのような──死した世界が、広がっていた。
「……何も、ない……そんな……嘘だ……」
呆然と呟きながら、立ち上がる。
乾いた風が背中から吹いてきて、彼の髪と白衣を揺らし、顔を撫でつけていく。
飛行機の爆発で、全部吹っ飛んで……? いや、そんなまさか……
未だ混乱している頭を懸命に働かせて、この状況を理解しようとするニコル。
ざり……
背後で、小さく砂を踏み潰す音がした。
良かった、僕以外にも人がいた!
この状況が何なのかを知るべく彼は音のした方に振り向いて、
「……ひっ!?」
小さく悲鳴を漏らして思わずその場を後ずさるニコルを見つめながら、その者は静かに右手を真横に持ち上げる。
その手は──ぶよぶよとした青緑色の水泡を幾つも備え、蛸の触手を彷彿とさせる異様な形をした代物だった。
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