彼女の散歩を眺める彼氏

頭野 融

第1話

 僕は死んだ。なのに、今、地面に足をつけて、病院の庭のベンチに朝の日を浴びつつ、座っている。要するに、魂だけ漂ってるくせに体を持っていて、でも僕は幽霊のように他人からは見えないし、触られない。ちなみに僕は大月 左玖さくだ。

 まず、死んだ方から説明すると、僕は小学校から顔見知りで、中学から友達で、高校で付き合い始めた、というか今も高2だが、高木 架乃かのと一緒に近所の河川敷の花火大会に行った。夏休みによくあるような、結局、地元の人は大体行ってて、誰と行くかが問題のというような奴だ。つつがなく架乃との花火デートも終わって、のろのろと動く人ごみの中で、歩行者天国になっている車道を歩いていたら、わき道から出てきた車に轢かれた。警備員もいないような小さな脇道で、他に被害はなかったようだけど、僕は一発で気を失って、出血多量で運ばれた先の病院で死んだようだ。幸い、僕側から車は来たので、一番やられたのは僕だったようだ。

 パッと目を覚ましたら、もう僕はベッドの上で死んでいて、看護師たちが横でそんなことを小声で話していた。僕は状況が呑み込めなかったがとりあえず、外に出てベンチに座った。それが今だ。多分、夜中に段々様態が危なくなってきて、明け方に死んで、目が覚めたのは朝だったということだろう。

 あと、幽霊のようになりつつもきちんと体を持っていて、別に浮いているわけでもないことについてだけど、僕の持論はこうだ。多分神様が、僕が若く死にすぎたから、少しアディショナルタイムをくれたというところだろう。どうせ、適当なところで本当に死ぬんだろう。成仏というやつか。もしかしたら、僕の現世への未練、デートの帰り際に死んでしまったことへの未練、架乃への未練が神様にばれているのかもしれない。そんなに信心深くはないが、そう考える方が面白い。

 さっき成仏できてないみたいなことを言ったけど、だからと言って今すぐこの肉体ごと消えるとも限らない。別に人から見えないからと言っていたずらをする気にもなれないし、大体のものは通過する。なぜベンチに座れてるかはよく分からないけど、この世界でこの体で生きていくのに、不自由しない程度の設定なのだろう。神様の匙加減だ。

 でも、どうしよう。夏休みだからといって宿題をやらなくちゃいけないわけじゃないし、やることも思いつかない。架乃のことは気になるけれど、家にいるか、病院にいるかも分からないし、分かったとしてこの透明な体を利用して、こっそり行くのも気が引ける。

 こんな風にいろいろなことが頭の中で渦を巻いている時に、蝉がすぐ近くで鳴き始めた。それを合図に太陽もより強く照りだした気がする。

 僕は思い立った。散歩しよう。小さいころから外に出るのは好きだった。運動も好きだったけど、外が好きだった。中でも散歩は格別で、目的を持たずに歩く、というか歩くことが目的となっているのが、楽しかった。至福の時だった。しかし、高校生にもなると、そんな余裕もなく、何かのついでの何か、が当たり前になり、歩くだけなんていうぜいたくな時間の使い方は中々できなかった。

 そう思いながら僕は病院を出ていた。さっきも日差しを感じたが、日光も透過しているのか、散歩に最適な気候だった。病院の外観で気づいたが、ここは家からそう遠くない市民病院ではないか。家に帰ってもさしてすることはないが、とりあえず、自宅方面に向かうことにしよう。

 透明感のある少年、いや青年か、が歩道を歩いている。のんびりと散歩をしているようだ。ちらちらと周りに視線を投げかけながら、歩いている。

 枝を隣の街路樹に気を配りながらも伸ばす街路樹。その枝が作る複雑な影。強いとまでもいかない日光が印象的なものだ。黒とも白ともつかない色。しかし、灰でもない色。明暗だけでは区別できない物憂げさを含む色。

 その奥の木には蝉が止まっている。とはいっても、蝉の声が響いているだけだ。どこにいるかなんて見当はつかないし、場所を突き止めるのも無粋というものだろう。

 こんな蝉をうるさいな、と自分への被害程度でしか受け止められず、それ以外では全く気にも留めないような人が乗っていそうな、車が素早く道路を通っていく。

 バーガンディレッド、とでもいうのだろうか、赤色がすべて暑さを感じさせる訳ではないと静かに気品高く語るような色だ。夏にふさわしくはないが、邪魔をするわけではない。所詮、人工物だ。自然物に勝ることなどない。

 過ぎ去っていく車体を目で追うと、前から女子が三人歩いてきた。小六か中一だろう。とても女の子らしい格好で、みんな楽しそうだ。きゃぴきゃぴしていて、若さを感じる。自分も高二だけど。そう思って死んでいたことを思い出す。

 なんて思ってたら、その三人は住宅街のパターンの繰り返しのような家々の一つに入った。友達の家だろうか。その扉が閉まった時ぐらいに、僕はその前を通った。バイクが止まっていた。

 ―1007。ナンバーだ。よそ見なんてしてたら転ぶかも。そう思って、顔を前に向けた後、その番号に引っかかったわけが分かった。1007は10/07であり、十月七日であって、架乃の誕生日だ。あと二か月もないくらいだろうか。そう言えばなんか欲しがってたものがあっただろうか。頑張ってさりげなく訊いたはずだが、思い出せない。

 信号が赤になった。ちゃんと立ち止まったが、無視しても差し支えないかもしれない。すでに死んでいるし、体はものを透過するのだから。よく考えれば、信号が赤だとわかるのも、周りの景色が見えるのも、周りの光が見えないと、つまり光が透過してしまうと、生活に不便だからだろう。それなら、自動車にぶつからなくても不便ではないので、おそらく自動車は僕を透過するだろう。そう、予想を立てても怖いことは怖い。いつの間にか信号は青になっていた。

 この横断歩道の後の角を右に曲がって、歩いて踏切を渡って、左に曲がれば僕の家だ。でも、帰ったところで。そう心の中でつぶやいて顔を上げると、そこに少女がいた。僕と同じくらいの身長の。後ろ姿でも、可愛い人なんだろうと、分かる。こんなこと考えてたら、架乃に怒られる。でも架乃に似てるかも。

 そんなとき、少女が高い塀で囲まれた一軒家の二階の窓を見た。何かが見えたのであろうか。僕には分からないが、一つ分かったことがある。前の少女は、架乃だ。道理で可愛いわけだ。ちらっと顔が見えた。

 架乃はこんなところで何をしているのだろう。まさか、僕の家を訪ねに。そんな考えに浮かれて、すぐに自分で否定する。架乃の家はあの踏切をまっすぐ行ったところにあるらしい。多分、家に帰るのだろう。何の用があったかは知らないけれど。

 自分の姿は透明になっている。それは十分、今までの道中で証明されている。しかし、万が一、架乃に自分が見られたら大変だ。何がと言われればよく分からないが、死んだはずの人に体があって、歩いていたら怖いだろう。そんな考えから、僕は隠れながら架乃の後についていくことにした。端から見たらストーカーだが、幸い端からは見れない。

 架乃は玄関にいる柴犬をじっと見たり、まったく吠えられていないから、優しさが犬にも伝わるのだろう、洋風の家のプランターの花を愛でたり、すぐ横を自転車が通ったから、静かに佇みすぎて気づかれなかったのだろう。という風に、架乃は興味を色んな所に向けながら歩いていく。楽しそうだ。そんな架乃を見ながら僕も歩いていく。

 一本道を寄り道しつつ、架乃は踏切の手前まで来た。あいにく、16両の電車が来るようで甲高い音を出しながら踏切が下りて来た。踏切って、長いんだよな。特にここのは。隠れる所もないので、架乃から10数メートル離れて道の端によって気配を消していた。

 踏切が完全に下りて、少しして電車の先頭が見えて来た。少し古いデザインがだんだん大きく見えてくる。藍色が印象的だ。

 架乃が振り返った。こちらを。何を考えたか、ふっと。前触れもなく。踏切待ちの無為が少しは、関係していたのかもしれない。

 そして、僕に気づいたかのように、こちらに人がいるのに気づいたかのように、僕の方をじっと見た。3秒ぐらいだっただろうか。遠くてよく見えないがまばたきもしていないように見えた。

 きれいだな。相変わらず。

 感覚を感情から目の前に戻したら、架乃がこちらに歩いてきた。颯爽と品よく。僕が見えているわけではないだろうが、僕に向かっていると、傲慢な錯覚をしそうになるほどだった。

 しかし、段々と近づいてくる架乃を見ていて、このまま止まってていいのかと不安になった。もしかしたら、僕が見えているのかもしれない。そうだったら、死人が見えて怖いはずだ。それなら、どうすればいいのだろうか。引き返すべきだろうか。走り去るべきだろうか。BGMは踏切だ。

 そんなことを考えても、結局は動けなかった。架乃があまりにもこちらをじっと見て来るので、動けなかった。動いてはいけないような気さえした。

 そんなこちらにお構いなしに、凛とした目で架乃はこちらを見て向かってくる。

 架乃のきれいでかわいい顔がどんどん近づいてくる。近くで見てもきれいだ。

 カンカンカンカン、カンカンカンカン。

 カンカンカンカン、カンカンカ。

 踏切は上がった。架乃はまだこっちに来る。

 架乃の髪の香りが感じられたとき、ふと、ここにいてはいけないような気がした。死んだ僕はここにいてはいけない。はやく、去らなければ。

 次の瞬間、僕は生きていた時には発揮したことのないような、瞬発力で後ろを向いて、走った。

 いや、走ろうとした。

 架乃が僕の右手を後ろからつかんだ。

 驚いて、振り向いた。架乃の顔があった。

「左玖。」

「架乃。」

 久しぶりに聞いた声に、僕の顔はほころんだ。

 架乃も微笑んだ気がした。

 僕の手は消えていった。

 架乃の手も消えていった。

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