不死身の姉

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不死身の姉

 銀光を帯びた太刀が横に殴って、オークの喉に血の線が入った。見る間に柳の葉のように裂けた喉から降り注ぐ鮮血を女が浴びる。生温かい。力なく膝を着いたオークの首を、太刀が斬り飛ばした。断面から噴水のように突き上がる血飛沫の向こうから、矢が飛んできて、女の左肩を貫いた。血が滲む。



 女は太刀を握る右手で矢を無造作に引き抜く。矢尻が痛覚を引っ掻いて、激痛がはしった。矢尻の返しに肉がゴッソリと付いている。女はしかし眼をとろんとさせていた。紅潮した頬、口の端から垂れるよだれが眼に付く。



 首なしのオークが倒れ、その向こう――十五メートルほど先――の木陰で矢をつがえるオークと眼が合った。二の矢が放たれる。女の腹に刺さる。三の矢が胸に刺さる。女は動かない。スカートからのぞくスラリとしたふとももを、体液が這っている。酩酊者めいた表情、その額に四本目の矢が刺さった。



 後ろざまに倒れ始めた女を見、弓のオークが安堵したのは、この女に恐怖を感じていたからである。だから女が、手を使わずにブリッジめいた姿勢を取って、そのまま逆再生めいて起き上がったときに、オークは悲鳴を上げた。



 女は身体に刺さった弓矢を無造作に引き抜いた。鮮血が撒き散らされて、表情は一層上気していく。腹からはみ出た腸を指で押し込む。額から抜いた矢尻には脳の欠片が引っ付いていたが、女は普通に動いている。弓のオークは逃げ出した。



 女が投擲した太刀がオークの後頭部をぶち抜いた。



 女はその場にぺたんと座り込んだ。荒い息使い。矢傷から流れ出て、股下に血だまりが作られる。その矢傷が見る間に塞がっていく。数秒で完全に塞がった。女は胡乱な眼つきで、薬物中毒者めいてぼーっとしている。



「終わったの」と木陰から少年が口を出す。女はよだれを垂らしながらヘラヘラしている。少年が近づいて、「起きて」ビンタをした。女の瞳に正気の光が差した。顎から垂れたよだれが豊満な胸を這っている。



「ごめん。トんでた」女が云う。「行こっか」



 少年が首肯して、女は太刀を拾って血振りした。二人は姉弟であった。







「魔法使いのオーク?」青年は受付嬢に云った。腰にはロングソード。「何処にいる」



 ギルドの受付嬢は地図を差し出した。「行かれるのですか。これまでに三十人以上の冒険者が犠牲になっています」



「でもオークでしょ」青年の横の少女が云う。腰には杖。「余裕余裕」



「ああ。徒党を組めば倒せる相手だ」少女の横の眼鏡が云う。グローブを填めている。「俺たちの敵ではない」



「受注だ」青年が云う。地図を受け取って、「さっそく行こう」



 三人は街のギルドを出て、オークの住処とされる森へと旅立った。







 青年のロングソードがオークの左腕を斬り飛ばした。肩から鮮血が噴出する。眼鏡がグローブを薙ぐと、指先から刃糸が唸りを上げて伸びて、オークの振り上げた右腕を肘から切断した。棍棒を持った右腕が地面に落ちる。



 苦鳴を上げたオークの胸を、少女の振るった杖から放出された光芒が貫いた。オークは電撃に打たれたみたいに痙攣して仰向けに倒れた。その心臓を青年のロングソードが貫く。一度大きく震えて、完全に静止した。



 森である。高い木々の葉の隙間から、陽光が差し込む。



 木陰から別のオークが現れる。――現れすぎる。五十匹はいる。ギラついた眼は殺戮に飢えている。



 青年がロングソードを握り直す。手に汗が滲む。少女が杖を抱きしめるようにする。身体の震えを悟られないようにする。眼鏡の瞳が細まり、どう打開するかを練る。



 オークは三人を取り囲むように、十メートルほど離れている。そのままジリジリと距離を詰めている。



 眼鏡が両手のグローブを振るった。十条の刃糸が四匹のオークの首を刎ねて、三匹のオークを輪切りに変えた。崩れ伏すオークの死体から強烈な死臭が巻き上がる。眼鏡は歯軋りする。十匹は殺すつもりだった。



 少女の掲げた杖から閃光が180度に放たれて、十七匹のオークの顔面を融かした。焼け爛れて頭蓋骨も融けて、脳を晒したオークたちがうつ伏せに倒れる。少女がぺたんと座り込んで、ゲロを吐いた。鼻血が垂れる。一気に片を付けようとして、過負荷を引き起こしたのだ。これ以上は戦えない。



 残り二十六匹のオークたちが跳びかかった。手に手に棍棒を持っている。少女の前へ、庇うように青年が飛び出してロングソードを横に薙ぐ。二匹の胸を裂くが、致命傷ではない。振り下ろされた棍棒を足さばきで躱して、オークの心臓を突き刺す。



 上段から少女へ向かう棍棒、その手首を眼鏡の刃糸が斬り飛ばし、さらにその首を刎ねた。オークの首が少女の足元に転がって、少女は短い悲鳴を上げた。



 少女の背後を守るように眼鏡が刃糸を振るう。七匹のオークを殺したところで、刃糸がオークに握りとめられた。血を吸って肉がこびり付いて、その切れ味が弱まったのだ。刃糸をぐいっと引っ張られて、眼鏡がつんのめって、その頭部に棍棒が縦に叩き込まれた。頭部は首までめり込んで、眼窩から眼球が飛び出した。耳からは脳が垂れる。



 眼鏡は死んだ。



 一人で少女を守りつつ、オークを迎撃する青年である。オークの腕を刎ね、腹を切り裂き、脚を斬り飛ばす。鮮血が撒き散らされる。胸を貫いたロングソードが折れた。腰からナイフを抜いた青年の背中に、オークの驚異的な筋力で棍棒が叩き込まれた。背骨を砕かれて青年が吹っ飛び、木の幹に叩き付けられた。口から鮮血と、肺の中の空気が吐き出される。



 霞んでいく意識の中で、少女がオークに担がれて行くのを青年は見ていた。







 森である。



 不死身の姉が歩く。それに弟が続く。



 ふいに姉が鼻を犬めいて動かして、駆けだした。その瞳が細められる。頬に朱色が差し込んで、口の端からよだれが垂れる。獲物を見つけた犬そのものである。「そっちじゃない」と地図を片手に弟が続く。



 ひらけた場所に出た。オークの死体が並んでいる。腹から零れた内臓が血の海に広がっている。眼鏡をかけた人間の死体もある。オークに襲われたのであろう。



「誰かいるのか……」木の根元で横たわる青年が呟いた。 



「大丈夫ですか」と弟が駆け寄る。一目見て分かった。致命傷である。あと数分持つかどうか。



「オークが……アイツを……ああ畜生……」青年が喀血する。「アッチだ……頼む、アイツを助けてくれ」



 青年が森の一方を力なく指差す。その手からナイフが落ちた。「いいよ」と云ったのは姉である。その声は澄み渡っていて力強い。腰の太刀の柄を撫でる。上気した顔とは裏腹に、姉の眼が冷酷な光を帯びた。



「地図がある……」青年がポケットから、受付嬢に貰った地図を取り出す。弟が受け取る。「バツ印がオークの巣だ……」



 弟は地図を見、何かを考えている風だった。が、青年に、「俺のことはいい。どうせ死ぬ……アイツを早く助けてくれ」と云われて思案を打ち切った。



 姉と弟は、青年が指差した方向へと歩み始めた。



 姉弟がいなくなって三分後に、青年は死んだ。







 襲撃である。



 木陰から飛び出したオークの喉を正確に太刀が掻っ捌いた。崩れ伏したオークの頭を踏み越えて、別のオークを正中線で真っ二つに斬り通した。半分に分かれた身体から内臓と鮮血が地面にぶち撒かれる。



 横殴りの棍棒を屈んで躱し、膝を伸ばしながらアッパーの形で切っ先がオークの顎を貫いた。頭頂から血まみれの切っ先が顔を出す。太刀を抜くと白目を剥いてオークが倒れる。



 遠くからオークが放った弓矢を、姉がキャッチして投げ返した。唸りを上げてすっ飛んで額をぶち抜いた。姉の背後から横に殴った棍棒が、姉を吹っ飛ばした。背骨が折れて激痛が暴れる。



 姉は地面に身体を打ち付けながら十メートルほど転がった。その近くのオークが姉の腕を掴んで持ち上げる。ひらけた胸元にオークが一瞬、眼を奪われて、次の瞬間には姉の爪先がオークの腹を貫いた。身体をズラして引き抜いた脚に、オークの腸が絡み付いている。



 オークが崩れて拘束が外れる。姉が地面に立つ。砕かれたはずの背骨は治っているようだった。姉の眼がトロンとしてきた。



 ごう、とオークの棍棒が空気を震わせて姉に襲いかかる。姉はバックステップをうって躱し、着地と同時に地面を蹴ってオークの左胸を太刀で刺し通した。心臓の痙攣の響きが、刀身を介して姉の手の平に伝わる。



 太刀を引き抜きながら血振りをして、そのまま駆ける。腰構えから逆袈裟懸けにはしった刀身がオークの腹に血の線を刻んだ。次の瞬間には堤防が決壊するみたいに鮮血が噴出して、中から内臓が溢れ出た。



 血臭が濃くなる。数匹のオークは逃げ出した。



 なお向かってくるオークへ駆けるが、姉は血の海に足を取られて転んだ。振り下ろされた棍棒を転がって躱す。空ぶった棍棒が勢い地面を破砕した。バウンドさせるように棍棒が持ち上がって、再び振り下ろされる。姉は転がりながら太刀を薙いで、オークの両脚を斬り飛ばした。



 が、同時に棍棒が姉の右脚を砕いた。皮を破り骨が潰れて肉が弾けた。痛みが彼女の脳内を心地よく刺激する。姉はマゾであった。強引に左足で立ち上がると、棍棒の下敷きになっている右脚の肉が千切れる。筋繊維が糸を引いているみたいに数条、プランと伸びている。ボタボタと鮮血が滴り落ちる。



 脛の辺りで潰れた、その右脚の断面から骨が伸び始めた。みるみる伸びて、それを肉が覆っていく。……背後からオークが棍棒を振るうが、殺気を気取った姉が前転で回避。そのまま立ち上がったときには右足の形が出来ていた。すぐに皮膜が張られていく。振り向きながら横に殴った太刀がオークの首を刎ね飛ばした。



 首の断面から血の噴水が上がって、姉の顔を叩く。血染めされた太刀が鈍く一閃して別のオークの腹を掻っ捌いた。近づくオークへ疾駆し、棍棒を躱して懐に潜り込み、左胸を手刀で貫いた。引き抜かれた手の平でランダムに脈打つ心臓を握り潰す。



 オークはあと三匹である。襲ってこないのは攻めあぐねているからか、恐怖で動けないからか。姉の方からいく。横殴りの棍棒を潜り抜けて、股下からヘソまでを太刀で斬り上げる。苦鳴を上げてオークが崩れる。



 棍棒を握り振り上げたオークの手首を太刀が切り裂く。棍棒付きの手首が落ちた。後方へたたらを踏むオークの腹を裂いて、左手を突っ込み、腸を引っ張り出す。半円状に垂れた腸を斬り飛ばし、悲鳴を上げるオークの喉を一文字に薙いだ。鮮血がほとばしる。



 残る一匹の振るった棍棒を躱して太刀を薙いだ。こめかみを抜けた刀身が、オークの頭部を斬り飛ばした。仰向けに倒れる。頭部の断面から脳漿に塗れた脳が、どろりと這い出た。



 血振りした太刀が腰の鞘に収まる。姉の瞳はアルコール中毒者のようにおぼつかない。よだれが口元から顎へ流れる。顎先から、しずくになったよだれが、豊満な胸に落ちた。その場にへたり込む姉へ、木陰に隠れていた弟が近づいて「起きて」とビンタをした。



 姉の瞳が正気を取り戻す。「ありがとう。いこう」と立ち上がって歩き出す。



 オークの巣は近い。




◇ 




 洞窟の前には三匹のオークがいた。見張りである。



 姉は迷わず近づく。弟が地図を何度も見返しながら続く。



 オークたちが気付いた。棍棒を肩に担って、近づく男女を見やる。十メートル離れている。



 姉は腰から太刀を抜いた。それを握る右腕が霞んだ。ひゅうっ、と口笛のような音が響いて、一瞬後にはオークの額に太刀がぶっ刺さっていた。ハッと息をのんだ二匹のオークの右の方、その懐には姉が潜り込んでいた。投擲と同時に奔っていたのだ。



 姉に気付いたオークは、攻撃の予備動作すら取れずに、左胸を手刀で貫かれた。腕を引き抜きながら心臓を握り潰すと、残りの一匹が棍棒を上段から振り下ろした。姉が横へローリングして回避。空ぶった棍棒が、勢い、心臓を抉られたオークの死体を破砕した。



 ローリングから立ち上がった姉が、その勢いで掌底をオークの顎に叩き込む。無駄のない動線でオークの喉を掴み、そのまま引き千切った。半分ほどを抉られた喉から、ひゅーっと呼吸が漏れてオークが仰向けに倒れた。



 姉は太刀を拾い、洞窟へ歩みを進める。弟が続く。







 洞窟内部は意外と広い。壁には松明が設置されていて、道のすみに転がる人骨を照らしている。奥へ進むにつれて、臭気が酷くなる。



 ひらけた場所に出た。百メートルほどの広さで円形をしている。五匹のオークが姉弟に気付いて突進してきた。姉が駆け寄って迎え撃つ。



 オークの喉を掻っ捌いた返す刀で別のオークの顔面を斜めに切り飛ばした。振り下ろされた棍棒をサイドステップで躱し、別のオークが振り下ろした棍棒を横へ回転して回避、勢い回転斬りを繰り出して胴体を斬り飛ばした。



 背後からオークに羽交い絞めにされるが、姉は逆手に持った太刀で自分の腹を突き刺した。姉の背中を貫いた刀身が羽交い絞めをするオークを貫いた。拘束が緩む。前方からオークが横殴りに棍棒を放つが、姉は太刀に手を掛けて屈んで回避。その動きで切腹の太刀が斬り下がった。背後のオークが悲鳴を上げて、味方の棍棒に顔面を破砕された。



 自分の腹から太刀を抜き、立ち上がる勢いで頭突きをオークの顎に見舞う。後方へたたらを踏んだオークの首が横一文字に斬り飛ばされた。



 約二分の攻防であった。



 薬中めいた胡乱な眼差しと足取りで、よだれを垂らしながら姉が進む。切腹の傷は既にかさぶたになっている。



 二つの道がある。姉は左右どちらに行こうかと思ったが、右からオークがやって来たのでそちらを選んだ。オークを袈裟懸けに斬り伏せて奔った。死体を飛び越えて弟が続く。







 洞窟から抜けた。そこは森の最奥である。銅像がある。杖を持った女の意匠で、それに対して一匹のオークが跪いている。礼拝、あるいは崇拝、という言葉が弟の頭をよぎった。



 二十メートルほど離れている。姉が疾走しながら抜刀する。陽光を受けて刀身が煌めいた。――オークが立ち上がり振り返る。姉と眼が合った。十メートルの距離で、太刀の間合いには遠い。



 オークがその手の杖を掲げた。同時に杖の先から拳ほどの火球が十つ放たれた。姉が奔りつつ足さばきで躱す。腕を撫でた火球が火傷を作るが、肉の焦げる匂いがしただけで、すぐに治った。



 空ぶった火球が消える。オークが杖を振るって、その先端から放出した電撃に左腕を吹っ飛ばされながらも、姉の間合いになった。横に殴る太刀の軌道は完全に頸動脈を捉えていた。だが突如としてオークの周囲を突風が吹き、その身体を後ろへ跳ばせた。斬撃の残像は、オークの喉、その一センチ手前を薙いでいた。



 姉が膝を着いた、断面で。彼女の右脚は膝の位置で切断されていた。地面に接する断面から血だまりが広がる。それ以外にも身体の節々の切創めいた傷痕から鮮血が流れ出る。――先ほどのオークの回避動作、その突風が姉を鎌鼬めいて切り刻んでいたのだ。



 オークが杖を薙ぐ。轟、と空気が唸って、凄まじい風が姉を襲った。横へローリングするその下半身がミキサーに掛けられたように細切れになった。へそから下が消失した。その断面から内臓がドロリと出てきて――戻っていく。まるで逆再生のように。十数秒で腰の輪郭が出来て、傷口がチャックでも閉めるみたいに塞がった。脚が生えていく……。



 オークから鼻血が垂れる。ふらつく。こめかみに手を当てて、頭痛を振り払う。過負荷気味であった。杖を掲げ、三つの火球を展開して放つ。中空を進む火球が空気を陽炎めいて揺らす。



 両膝までしか再生していないが、十分である。姉は立膝の状態で高く側転をうった。宙をクルリと回転しつつ、数度のつばめ返しを繰り出して、三つの火球を弾き飛ばした。着地したときにはもう足が出来ている。同時に駆ける。



 オークは呻いた。視点が定まらない。杖を振って鎌鼬めいた突風を起こすが、サイドステップをうった姉の左肩から左脇腹を抉っただけだった。はらわたが零れるが、彼女の足を止めるには至らない。過負荷を引き起こしたオークは身じろぎすら出来ず、首を刎ねられた。頭部は上空へクルクルと回転しつつ、スプリンクラーめいて鮮血を撒き散らして、ボタッと地面に落ちた。



 姉の瞳は陶酔に輝いていた。充足に満ちている。左肩から左脇腹に掛けての傷痕を、肉がせり上がって急速に再生していく。地面には左腕と複数の内臓が転がっている。だらだらと垂れたよだれが豊満な谷間を艶かしく流れる。……



 一方、弟はオークがかしずいていた銅像を見ている。杖を持った女のデザイン。そして呟く。「魔法使いのオーク……」。受付嬢から聞いた言葉である。この姉弟もギルドで依頼を受注していた。



「魔法使い――の、オーク……?」



 弟は言葉の区切り方を変えて、その意味を解した。地面にぺたんと座り込み息を荒げる姉に近づいて、「起きて」とビンタをした。そのまま姉の手を引いて、来た道を引き返す……。







 洞窟を歩き、百メートルほどの円形をしたひらけた場所に戻った。壁には松明が燃えている。その向こうから誰かが歩いてくる。遠くて顔は分からないが、杖を持っているのが分かる。身体のシルエットから女であることも。



「あらあら」人影は云った。「死んじゃったのね」



「どうも」弟が云う。「あなたの仕業ですね」



「違うわ」人影の顔が見えた。なるほど銅像の女の顔に似ている。「あの子たちが勝手にやったのよ。私はただの飼い主」



 この女は、受付嬢であった。ギルドの。



「この地図」弟は二つの地図を取り出す。青年から貰った物と、彼自身が受付嬢から貰った物だ。「まるでデタラメだ。巣の位置が違う。そもそも同じ地図じゃない」



「ええ。だってペットには餌を上げないと死んじゃうでしょ」受付嬢は言外に、この地図はオークの餌場に続いていると云っている。オークが人間狩りをしやすい、不意打ちをしやすい餌場。「ペットが喜ぶようにするのが飼い主の務めよ」



「飼い主ならペットの責任を取るべきだ」弟が云う。「人殺しの責任を」



「そう云われると困っちゃうわね」受付嬢は云った。「……あ。責任を取らなくても良い方法があるわ」



「そんなものはない」「あるわ。あなたたちを殺せば良いのよ」



 受付嬢が妖しく嗤った。横に振られた杖から火球が放たれた。三十メートル先、弟が側転をうって回避。――方向転換した火球を、姉はサイドステップで回避して奔った。鞘走りする太刀が低く唸る。背後から火球が追う。



 姉の間合い。横に殴る太刀の残像が空を切る。バックステップをうって凶刃から逃れた受付嬢から突風が放たれて姉を撫でた。姉の四肢がダルマめいて斬り飛ばされ、断面から鮮血が噴出した。再び吹いた風が、姉の首を刎ねて胴体を八つ裂きにした。鋭利な切断面を晒す内臓が血だまりに広がる。



 姉の背後から迫っていた火球が、姉の頭部を焼いた。



 受付嬢が杖を掲げる。その先に稲光がまたたく。杖が薙がれる。ジグザグにはしった一条の雷撃を、弟が側転で回避。空ぶった雷撃が、勢い洞窟の壁に穴を穿ってその威力を主張する。再び放たれた雷撃を弟はサイドステップで回避。それを繰り返して、壁に穴が穿たれ続ける。



 右へ左へ避ける弟に受付嬢は注視している。事実それは弟による視線誘導であった。受付嬢が視界のすみに、太刀を握る火柱を見た次の瞬間には、左腕を斬り飛ばされていた。肘先から鮮血がほとばしる。



 返す刀の回転斬りが受付嬢の鼻先をかすめて、回転の勢いが火柱から火炎を吹き飛ばした。そこから姿を現したのは姉である。焼け爛れ、焦げた肉を晒す身体が、見る間に潤いを取り戻していく。



 異能の火炎に焼かれる生首の状態から、骨が伸びて骨格を作り、神経付けと肉付けがされたのだ。痛みを我慢すれば動ける。そして姉はマゾである。



 受付嬢が一瞬だけ狼狽した。が、すぐに杖の先から炎の布めいたものが、鮮血したたる左肘を抑えて消えた。じゅぅ、と肉を焼いて止血したのだ。再び迫る切っ先をバックステップで躱し、杖から火球を放つ。



 姉が屈んで躱す。追尾する火球をローリングで回避して、立ち上がりながら何かを投げた。それは受付嬢の左腕である。中空を舞う左腕に無数の斬撃が刻まれて爆ぜた。肉の雨を通った火球が消えた。――刹那、空気を震わせた雷撃を姉は足だけの側転で回避。再度撃たれた雷が姉の左腕を破砕する。姉は頬を紅潮させて、上気した息をもらす。肩の断面から骨が伸びる。



 バックステップで距離を取りつつ雷撃を放つ受付嬢へ、疾走と側転を組み合わせて回避しつつ迫る姉である。たまに繰り出される火球は太刀を振るって、ソニックブームを当てて消している。今の姉はダラダラとよだれを垂らしている。瞳は完全に向こう側へいっている。たわわな胸が揺れる。



 受付嬢の息が上がって、脚がもつれた。尻餅をつく受付嬢へ、跳びかかるように太刀を振るった姉がプロペラに巻き込まれたみたいにバラバラになった。突風である。細切れの肉片や、内臓が飛び散った。頭部も脳みそごと四散している。



 受付嬢が頭痛に眼をすがめる。過負荷の兆候を認識しつつも、杖を握りしめる。四散して散らばった姉の脳みそが、強力な磁石に吸い寄せられるみたいに、一か所に集まって来ているのだ! 杖の先で膨れ上がった直径百センチの火球が、剥き出しの脳みそを焼き払いにかかる。



 命中。



 火炎が脳みそを焼き、火柱を上げる。受付嬢が血を吐いた。過負荷だ。しばらく魔法は使えない。――そして火柱の中から、おお、果たせるかな、姉が姿を現した。その場で一回転をして、纏わりつく火炎を振り払う。五体満足である。



 首を刎ねられる直前の受付嬢が、震えていたのは、過負荷のためか、どうか。







 受付嬢と姉の決着を、しかし弟は見ていない。ある可能性に思い至って、その場から離れていた。百メートルある洞窟内部の広場、そこに左右の道があることは先述の通りである。右には受付嬢の銅像に跪くオークがいた。



 では左の道には?



 左の道を進んでいるのが弟である。なんとも云えないにおいが鼻をつく。眼の前からオークがやって来て棍棒を振るった。弟はサイドステップをうって、勢い洞窟の壁を蹴って跳躍した。そのまま前方宙返りをしながら踵落としを放った。脳天を潰されたオークが仰向けに倒れて、弟が地面に下りた。



 さらに進む。



 前方から奔りながらオークが棍棒をすくい上げるように振るう。弟は間合いに合わせて、足さばきで半円を描いて躱し、すれ違いざまにオークの片足を蹴りで砕いた。膝を着いて位置の下がったオークの側頭部を弟は両手で掴み、膝蹴りで後頭部をぶち抜いた。



 膝頭に付着した脳と脳漿を手で払って弟が進む。



 行き当たりは牢屋であった。門番のオークの向こうには十数人がいる。みな女性だ。その中に少女がいる。青年と眼鏡とパーティを組んでいた少女である。



 門番のオークが迫る弟に気付いて、歩み寄って棍棒を振るった。縦に殴る棍棒を半身になって弟が躱し、踏み込んで正拳突きを繰り出した。身長差の関係でヘソを貫いた拳は、腸を引っ張り出した。



 苦鳴を上げながら、オークが棍棒を振るった。弟は引っ張り出した腸をオークの脚に引っ掛けるようにしてすれ違った。果たして転んだオークのうなじを弟が踏み砕いた。



 弟は牢屋の扉、その錠前を握り潰して人々を解放した。きびすを返す弟に続いて牢屋から人々が出て行く。……牢屋の上部には木札が張られていて文字が書かれている。



 弟がオーク語を解したなら、そこが牢屋ではなく、食糧庫であったことを知ったであろう。



 とにかく、弟の思った通り、連れ去られた人々は解放されたのだった。もちろん、何人かは、オークの胃袋に収まっている。







 ぺたんと座り込む姉は脳内麻薬でトリップしている。だらだらとよだれを垂らしている。瞳はジャンキーめいた陶酔を湛え、桜色の頬、汗ばんだ豊満な胸、身体は軽く震えている。股下に体液が溜まっている。――火炎に服を焼かれて妖艶な肢体が露わである。



「しまった」弟が振り返る。「ちょっと、待ってて下さい」



 そう背後の人々に告げると、駆け出した。姉を正気に戻すために。



 ――姉が気付いた。立つ。完全にトんでいる彼女は太刀を握って、実の弟目掛けて薙いだ。弟はスライディングで躱しつつ、姉の脚を掴んで倒した。否。姉は仰向けに倒れる直前に左手を突き出して逆立ちをした。そのまま右手の太刀が振るわれる。



 弟は横へローリングして回避。立ち上がりつつ、太刀を振り抜いて無防備の姉へ前蹴りを繰り出す。しかし姉は身体を支える左腕を曲げ、肘のバネを使って側転をうった。前蹴りが空を切った。



 姉へ向き直った弟の左腕が刎ね飛ばされた。と同時に弟の右ストレートが姉の腹を殴りつけた。五メートルほど吹っ飛ぶ姉へ、弟が追いすがる。その左腕に左腕が握られている。刎ね飛ばされて宙を舞う左腕を、コンマ数秒で再生した左腕が掴んだのだ。――そのとおり、弟も不死身であった。



 左腕に握られる左腕が、姉の頬へ向かう。ビンタ狙いである。身長差の関係上、姉が立っていたら普通はビンタが届かない。姉がバックステップをうって躱し、太刀が斬り上がって弟の左腕を斬り飛ばした。



 二つの左腕を弟の左腕が掴む。弟はつばめ返しにはしる太刀をサイドステップで躱し、その手首目掛けて、二つの左腕を鞭めいて振るった。命中して、姉の手から太刀が弾き飛ばされる。



 姉が回し蹴りを放って、弟の身体が吹っ飛ぶ。手放された二つの左腕が離れた。太刀を拾った姉が追いすがる。腰構えから横一文字に薙いだ太刀が、弟の首を刎ね飛ばした。



 クルクルと高く宙を舞う生首が、わずか二秒で弟の全身を再生した。弟は五メートル上空から、姉の脳天目掛けて踵落としを放つ。太刀が連続のつばめ返しを繰り出して、弟の足首と膝と脚の付け根と腹と胸と首を斬り飛ばした。鮮血がほとばしる。



 落下する弟の頭部は、姉のヘソの位置辺りで全身を再生した。首の断面が上を向いていたのを利用して、再生の勢いで、両足蹴りを姉のみぞおちに叩き込んだ。後方へたたらを踏む姉の巨乳が揺れる。



 弟は両手をついて着地、そのままバク転をうつ。一瞬前にいた位置を太刀が横殴りに駆け抜けた。つばめ返しに流れる太刀を弟はブリッジで躱して、そのまま跳びはねて爪先で太刀を握る手首を蹴り上げた。



 弾かれた太刀が宙を舞う。姉が弟へすくい上げるような蹴りを放つ。弟が横へ転がって回避。落下する太刀が、姉の横目に映り、思わず手を伸ばしたが足元がお留守になった。立ち上がった弟の足払いが姉を転ばせて、下がった顔面に蹴りが迫る。姉はこれを両腕を交差させてガード、骨の軋む音を上げて、そのまま吹っ飛ばされた。



 落下する太刀を、弟が掴んだ。



 弟が疾駆する。立ち上がった姉が構える。間合い。



 姉の前蹴りをサイドステップで躱した弟の太刀が姉の軸足を斬り飛ばした。返す刀で腰を斬り飛ばして、流れるような回転斬りで胴体を斬り飛ばす。振り抜いた勢いで太刀を手放す。ダルマ落としめいて位置の下がった姉の頬へ、



「起きて」



 弟のビンタが決まった。







 オークの巣から人々が出てきた。先頭を行くのは業物の太刀を持つ巨乳の女と、その女にどことなく雰囲気の似た少年である。二人は不死身の姉弟である。全裸なのは服がなくなったからだ。



 オークを飼っていた魔法使いが死んだことを知らずに、巣に戻って来たオークたちを姉弟が屍に変える。そのまま人々を率いて森を行く。……



 オークを殺しながら歩いていると、二つの人間の死体があった。青年と眼鏡である。それに駆け寄る少女。そのまま青年のそばで泣き崩れた。



 弟は彼女が、青年から助けてくれと頼まれた少女であると悟った。少し迷ったが青年から助けるよう頼まれたことを伝えた。少女は一層泣き声を上げた。



 その声に反応したのか、木陰からオークが飛び出した。弟が迎撃しようとしたとき、少女の方が先に動いた。杖は持っていない。代わりにその手に握られているのはナイフである。青年の物だ。少女の瞳に、明確な殺意が宿った。



 オークが悲鳴を上げた。その心臓に深々とナイフが突き刺さっていた。振り上げた棍棒が落ちる。オークが白目を剥いて仰向けに倒れる。即死だ。その死体を少女は何度も、何度も、ナイフで刺した。



 刺突音が、森に響く。







 ことの顛末をギルドに伝えたところ、後日、件の森で大規模なオーク掃討作戦が行われてオークは皆殺しにされた。



 例の受付嬢の素性は不明であった。経歴から名前や住所のすべてが偽りで、どうやってギルドに就職したのか、その面接等の記録も消滅していた。彼女がやったのであろうか。



 ちなみに受付嬢があのとき、オークの巣へやって来たのは、姉の凶刃から逃れた数匹のオークが街に来たからだ。返り討ちに遭わないよう躾けていたから、普通は街へ来ない。そのただならぬ行動を不審に思った受付嬢は巣へ向かった。数匹のオークは自警団に殺された。



 ――さて、オーク掃討作戦にも参加した不死身の姉弟は街を去る。その二人へ、



「あのっ」



 と少女が声を掛けた。その手には杖が握られていて、腰のホルスターにはナイフがある。刃糸を使うグローブも填めている。背中には体格に合わせた、新しい軽量ロングソード。オーク掃討作戦の折に、四つの武器を操る姿を見たが、伸びしろがあるな、と弟は思った。



「兄さんたちの仇をとってくれて、それと私を助けてくれて、ありがとうございました」



 少女は頭を下げる。



「いえいえ」と弟。



「一人で大丈夫?」と姉。瞳は正気である。



「はい。これからは、この街の自警団で働かせて貰えることになりました」



 少女はオーク掃討作戦での活躍が評価されて、自警団に誘われたのだった。彼女は幼い頃に両親を亡くし、二人の兄と旅をしていた。帰る場所も行く当てもないから、その話は僥倖だった。



「頑張ってね」と姉が微笑みかける。



「どうかお元気で」と弟が一礼をする。



「はい。お二人も、お元気で」と、少女は云って、その滑稽さに気付いて笑った。不死身の姉弟も笑った。微笑ましい、別れの一幕であった。



 そして姉弟は歩み出す。陽光が輝いてその道を照らしている。――少女は二人の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。その瞳には強かな生命力が宿っていた。



 死んだ二人の兄と、仇を討ち助けてくれた姉弟への想いを原動力に、少女は強くなる。

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不死身の姉 @i4niku

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