第29話 炎に消えゆく②

 翌日の朝。

 腕に包帯代わりのボロ布、頬には薬草を使った湿布、さらには脚をかばうようなぎこちない姿で歩くキーラがいた。

 手伝いを申し出る人を丁重に断りつつ、水桶を抱えて川と家とを往復する。

 大した役者だ。

 

 その痛ましい姿に誰もがこう思ったはずだ。

 父親と何かあったのだ――と。

 しかし、その中の誰一人としてキーラの家に乗り込み、父親を非難しようという者はいない。

 当然だ。彼らにとってキーラの受ける虐待は、もはや日常の一部となりつつあるのだから。

 もしかすると、最初のうちは見かねて注意を促すことがあったかもしれない。

 だけど、キーラの手の傷を見る限り虐待は昨日にも行われていた。

 キーラ自身が報復を恐れて虐待を認めてこなかったか、あるいは“ムスケル”のような治安維持組織が父親の行為を黙認していたか――

 ともかく、深く追及されないこの状況は僕らにとって都合がよかった。

 キーラの父親がどこにもいないと気づかれてしまえば、この計画はパーだ。


「さて、僕もそろそろ行くとしよう」


 教団本部には既に多くの村人が集まっていた。

 必ず全員を集めてくれ、という要望通りだ。


「おい、こっちだ」


 いつもの格好のイベルに声を掛けられ、裏口から中に通される。

 暗い物置のような場所を抜けると、通じていたのはせり上がった壇上の真横。

 ホールの長椅子は7割ほどが埋まっているものの、入り口からは絶えることなく村人たちが押し寄せてくる。

 全員が揃うのも時間の問題だろう。


「どうした、怖気づいたか?」


「僕が? はは、まさか」


 試すように言ったイベルの言葉を鼻で笑い飛ばす。

 僕がこれからやろうとしているのは単なるパフォーマンスであり、あの2人が安全に村を脱出するまでの時間稼ぎだ。

 その仕込みももう終わっている。

 本当に犯人を探し当てるよりは遥かに簡単だ。

 さあ、そろそろ始めるとしよう。


「……おかしい」


 僕がそう呟いたのは予定の時間を数分過ぎた頃。

 イベルが呆れたように僕を見た。


「何がだ。まさか今になって『できない』なんて言い出すんじゃないだろうな」


「占いは既に終わってる。なのに、今この建物にいる人間の中に犯人がいないんだ」


「何……?」


 壇上に上がり何度か手を叩いた。

 村人の視線が集まり、次第にざわめきが引いていく。


「今日は集まってくれてありがとう。僕はロジー、ロジー・ミスティリアだ。知ってる人もいるだろうけど、最近この村で暮らすようになった占い師だ」


「おい、何をやってる。犯人は分からないんじゃなかったのか」


 慌てて後を追ってきたイベルを手で制し、そこで見てろ、と視線を送った。


「皆も知ってる通り、昨日焼死体で発見されたオル・ロットを殺した犯人を捜すために僕はここにいる。でも変なんだ。この村に住む人間を全員集めてもらったはずなのに、僕の占いではここに犯人はいないと出た」


 ホール内が騒がしくなる。

 きょろきょろと周りを見る者、あいつが犯人だと思っていたと口にする者、僕をインチキだと罵る者――

 情報が氾濫し、この一瞬で様々な憶測が飛び交っている。

 いい感じだ。


「少し静かに!」


 壇の真ん中に置かれた教卓のような机を叩き、声を張り上げる。

 突然の大きな音に、水を打ったように静寂が訪れた。


「ありがとう。僕は自分の占いに自信がある。だから犯人がここにいないってことに間違いは無いはずなんだ。だから、この場にいない人間を捜してみてほしい」


 村人たちは再びざわつき始める。

 周囲を見渡しては、身近な人間の姿を確認して安堵しているようだった。

 ただ、いつまで経っても落ち着かない様子の村人が数人。

 その中に見知った顔があった。


「ミレイスさん。もしかして、見つからない人でもいましたか?」


「えっ、いや……でも、そんなはずは……」


「名前を教えてください。その人が犯人かもしれません」


「違うわ! キーラのはずが無い! ロジーくんだってキーラがオルに片思いしてたのは知ってるでしょ!?」


 そこではっと顔を上げた人物がいた。


「……ちょっと待て、キーラもいねえがダンもいねえぞ。あいつはどこ行った?」


 いいぞ、その調子だ。


 人は他人を認識する時、必ずしも視界内にいる対象を“あれはAさんだ”と認識する必要は無い。

 たとえば痕跡からでもそれは可能だ。

 家族でも恋人でも友人でも、とにかく誰でもいい。誰かしらと同居している状況で、テーブルに自分以外の朝食の痕跡があったとする。

 そのタイミングで同居人の所在を問われた場合、多くの人間はこう答えるだろう。


「……さあ、朝にはいたはずだけど」


 と。

 実際に見たわけではないのに、状況証拠からあたかもその人物がそこにいたような気になってしまう。

 人は自分の想定し得る範囲に認識を留めてしまいがちだ。よほど注視していない限り脳が変化に反応しない。

 この場合の変化とはキーラの父親の不在だ。

 誰しもが真新しい虐待の痕跡を見て、また父親に暴力を振るわれたのだと認識する。

 父親の姿を実際に見ていなくとも、その傷が虐待によるものだという証拠が無くとも、これまで続いてきた“日常”が人々に父親の幻影を見せるんだ。


「キーラは今朝も殴られたと言っていた。だったら家にいるはずだろう」


 だろう、という仮定はいつしか――


「そういえばここへ来る途中、フードの男に連れていかれるキーラを見たわ。あれってもしかて……」


 もしかして、という推測に変わり――


「だったらそいつがダンに違いない! あいつ、捕まるのも時間の問題と踏んで逃げやがったんだ! 娘まで連れて行くなんて……人質のつもりか!?」


 違いない、という断定へ辿り着く。


「犯人は見つかったようだね。だったら今度は、ダンという人物について占ってみよう。誰か、その人の特徴を教えてくれる人はいない?」


 口々に上がる特徴を頷きながら聞く。

 ここまで来れば後はタイミングを合わせるだけだ。

 僕の占いが本物だと印象付けるために、その時を待つ。


 と、裏口から慌ててホールへ入ってきた“ムスケル”の1人が壇上に上がる。

 そう、このタイミングを待っていたよ。


「火だ! 何か大きなものが燃えているのが見えた!」


 そう声を張り上げるとホールのざわめきが大きくなる。

 昨日の焼死に続き、再びの“火”という単語に不安げな空気が広がった。


 一瞬呆気にとられていた“ムスケル”の男は、数秒後我に返ったようにイベルに耳打ちをする。

 ゆっくりと顔を上げながらこちらに視線を送るイベルに、僕は内心でほくそ笑むのだった。


「き、緊急連絡だ! ダンの家が燃えているとの報が入った! 消火活動への協力を求む!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る