第60話 折り重なる執念③
「では、本題に入りましょうか」
グラスをテーブルに置き顔を上げる。
アルバートは変わらず余裕の微笑みを崩さない。
「グレンドレック子爵、ミゲル・ラクマンを覚えていますね?」
その名を聞いてアルバートが鼻を鳴らす。
「もちろんだとも。あの時は世話になったね」
「いえ、礼には及びませんよ。ただ、あなたの部下たちに連れていかれた後、どうなったかを教えてほしいんです」
「それを聞いてどうするのかね」
はぐらかすように首を捻ってみせる。
数秒の思案の後、いいだろう、という言葉が返ってきた。
「彼は罪を犯した。生徒たちから不正に金を奪っただけでなく、公になっていたら学園の信頼も失われていたところだ」
「だから、消した?」
「はははっ、いや失礼。人は消えんよ、ロジーくん。それは君が一番よく分かっていることだろう」
鋭い眼光が僕を射抜く。
と、アルバートがポケットから何かを取り出し、テーブルの上に置いた。
「さあ、日々しっかり学習できているかの確認だ。ではリーシャくん、これが何か答えてみなさい」
それは1センチ四方の黄色いチップのようなもの。
僕に視線を向けていたリーシャに肩を竦めてみせると、小さく頷きアルバートに向き直る。
「追跡用の魔導具です。込めた魔力をほんの少しずつ放出し続けて、受け手側にその位置を教えてくれます」
「ふむ、よく勉強している。編入試験をパスしてきただけのことはあるようだ。ではこれは分かるかな? この魔導具がラクマン教諭のローブの裏地に、まるで隠すように貼り付けられていた理由だ」
「……」
雰囲気で分かる。
言葉に出さずとも、リーシャはきっと何らかの反応を返してしまった。
僕でなく、セリアでもなく、リーシャを狙ってくるあたりさすがと言ったところか。
「僕が頼んだものなのでリーシャはその意図を知りません。自供を引き出すために一度ミゲルの拘束を解く必要があったので、万一逃げられた時の保険のために仕込んでもらいました」
「他意は無いと?」
「ええ、もちろんです」
……まただ。
質問していたはずが、いつの間にか僕らが問い詰められる側になっている。
手札を何枚か隠し持っておいて、都合のいい方向へ話を誘導できるタイミングで切る――やり口としては僕と近い。
けれど、返し手も無しに乗り込むほど甘く見てはいないよ。
「グレンドレック子爵、人が勝負の場において最も油断する瞬間をご存知ですか?」
くくっ、と喉を鳴らすアルバート。
その言葉を待っていたんだと言わんばかりの顔で、ポケットから再びそれを取り出した。
「相手の策を読み切ったと勘違いし、勝利を確信したその時だ。たとえば、追跡用の魔導具を見つけた時なんかがそうかな?」
指で弾かれたチップ状の魔導具がテーブルの上で転がる。
「ローブに隠されていたのはわざと見つけさせるためのものだ。我々に勝ちを確信させて油断を誘い、襟の裏に隠した本命から目を逸らそうとした。ユーリから聞いたよ、こういうのをミスディレクションと言うのだろう?」
「そう、そしてあなたは見事に引っかかった」
余裕の表情にさっと影が差す。
それも一瞬のこと、忍び笑いを漏らしたアルバートに僕は肩を竦める。
「あなたはさっき人は消えないと言いましたね、まったくその通りだと思います」
「……どういう意味かな?」
「分かりませんか? 人を追跡するのに魔導具なんて必要ないってことですよ」
ほう、と感心したように言ったアルバートの顔が歪む。
「……お、お祖父様?」
雰囲気の変化に気づいたのだろう。
ユーリが不安げな声でアルバートを呼んだ。
「どうかしましたか、グレンドレック子爵。愛しの孫娘が怯えていますよ?」
ふう、と長い溜息を吐いたアルバートはソファにもたれかかり腕を組んだ。
僕は内心でほくそ笑む。
ついにやつを同じステージに引き摺り下ろせた。
「……どうやら、怯えていたのはユーリだけではないようだ」
「何?」
人差し指でさっと前髪を払う。
「いいことを教えてあげるよアルバート。腕を組むのは人体の弱点である心臓や鳩尾を無意識のうちに守ろうとして起こる行動だ。人が不安や恐れを抱いた際の防衛反応の1つだね。つまり、君は今何かを恐れている」
「私が恐れる? いったい何をだね」
「たとえば、これまで消してきた人間の所在が明らかになったんじゃないか、とか」
アルバートの顔から表情が消える。
余裕も、微笑みも、威圧も、全てが消えた。完全な無表情だ。
いっそ不気味なほどの静けさに、全身の産毛が逆立っていくのを感じる。
「ユーリ、今日はもう帰りなさい。メルクルークを連れて」
「えっ、で、でも――」
「メルクルーク、命令だ。今すぐユーリを寮へ軟禁しろ、3日間は表に出すな。授業にも出なくていい。抵抗するようなら多少手荒にしても構わん」
怒鳴るでもなく、口汚く罵るわけでもない。
ただ、淡々と事務的に指示を告げる。
その効果がいかほどのものか、青ざめた顔のルクルを一目見た瞬間に理解した。
「……行きましょう、ユーリ様」
微かに震えた声でユーリへ向けて手を伸ばすルクル。
2人はいざという時の目撃者だ。
僕らが目的を達せられなかった時、彼女たちが事の顛末を公表してくれるように。
だから、今いなくなられるのはまずい。
アルバートもそれを見越してのことだろうけど、ルクルがあの調子では今から策を講じたところで間に合うかどうか――
「いいえ、帰りません」
口を開こうとした瞬間、誰かがきっぱりとそう言い放った。
ユーリだ。僕の聞き間違いでなければ。
「メルクルーク」
アルバートの無情な一声。
それは暗に「やれ」と言っているに他ならない。
ルクルは動かず、ただ唇を噛み締めていた。
「できないのならいい。他の者にやらせるだけだ」
「い、いえっ、わたくしが――」
「私は一度で命令に従わない者に次を与えるつもりはない。お前ももう不要だ」
アルバートが手を叩くと、どこからともなく複数の足音がこちらに近づいてきた。
「っ!」
反射的に飛び出しかけたリーシャを抑えると、ほとんど同じタイミングでユーリがソファから立ち上がる。
震える手を魔導具に伸ばしかけていたルクルを、ユーリは正面から抱きしめた。
「……」
そして、ルクルの手首で光るブレスレットを優しく引き抜くと、それを自分の左手に通した。
やがてアルバートに向き直り、怒りと悲哀の入り混じった表情でユーリは口を開く。
「……お祖父様。私は今日まで、お祖父様のやってきたたくさんの悪いことから目を背けてきました。お父様とお母様を早くに亡くした私に、これ以上の苦労をかけまいと思ってのことだと信じていましたから」
「ユーリ、あなた……」
「本当はずっと言いたかったんです。もういいんだって、私は大丈夫だからって。でも、私は弱かったから」
絞り出すような声でユーリが言う。
「だから、弱い私とは今日でお別れします。どんな理由があったとしても、大切なお友達を危険な目に遭わせるわけにはいかないから」
「ユーリ、なんて困った子だ。お前はこれまで多数の犠牲の上に成り立っていた安寧を享受していたというのに、自分の友人だけは差し出せないと? 虫が良すぎるとは思わないのか?」
「……そう、虫が良すぎます。だからこそ、けじめをつけようというのですよ。お祖父様」
ルクルの手を引き、ユーリが僕らの座るソファの後ろまで歩いてくる。
その横顔は、これまで見たどんな彼女よりも大人びて見えた。
「私はもう一度、ユリシア・レーネ・グレンドレックを名乗ります。そして、これまでのあなたの罪を、グレンドレックの呪いを告発しましょう」
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