第34話 学園探偵はBARにいる②
ダイニングバー「アネモネの夜」は営業時間を短縮して店を締めた。
常連と思われる客たちは、口々に不満を漏らしながらも仕方ないと言った様子で店を後にしていく。
申し訳なさそうに頭を下げるマスターに毒気を抜かれたように、「また来るよ」と最後に言い残して。
店内には僕とマスター、そしてセリアの3人がいた。
小気味いいリズムの音楽は鳴り止み、アルコールの香りだけが僕らを包んでいる。
「はあ」
と、息を吐いたのは誰だったか。
いいや、この際誰でもいい。
「話が無いなら僕は帰るよ。明日も授業があるし、アルバイトも探さないといけない」
今日3杯目となるリンゴジュースを一舐めして、遅々として進まない会話に一石を投じた。
「……そうするといい」
「ちょっ、何を言うんですかセリアさん。ロジー様なら必ずや我々の悲願を果たしてくれるはずです!」
「パパの件はこの男には関係な――」
はっと口元を押さえたセリアの頬がほのかに上気する。
今さらだね、と肩を竦めてみせると、セリアの目が憎々しげに細められた。
「リラックスできる空間にいる時、人は無意識のうちに素の自分を出してしまいやすい。あれだけ頑なに“なぜ”を問わなかった君が、さっき僕と鉢合わせした時に『なぜここに』と言ったようにね。君にとってのここがそうであるという証拠だ」
「……何が言いたいのだよ」
「別に? 学園では徹底した証拠主義の価値観で物事を見る君にだって、年相応の女の子としての一面があったところで何ら不思議なことは無い。強いて言うなら――恥ずかしがることじゃない、かな」
「それは嘘だ」
うん? と首を傾げる。
「キミはボクの言動からパ……ごほん、父の事件とボク、そしてマスターに何らかの関係があると気づいたはずだ。本当はそのことを指摘したかったのではないか?」
「そりゃまあね」
あっさりと認めた僕にセリアが目を丸くする。
「知的好奇心が無いと言えば嘘になる。ただ、誤解してるようだから言っておくけど、僕に他人の過去をいたずらに暴き立てて楽しむ趣味は無いよ。君の場合、特にデリケートな問題みたいだしね」
「だが、キミは今日までにグレンドレック家の秘密をいくつも――」
「あれは明確な目的があったからそうしたまでに過ぎない。逆に言えば、目的さえあれば君のパパの墓だって掘り返す。僕はそういう男だ」
「っ」
コン、と立ち上がりかけたセリアの前にグラスが置かれる。
眉間に深いシワを刻みつけたまま、セリアはその中身を一気に飲み干した。
「挑発して食って掛からせ、そのままうやむやにして帰る気でしたね」
「さあ、マスターの気のせいじゃないかな」
「あなたは人の心が読めるからこそ、不必要に人の心を踏みにじらない」
「買い被りすぎだよ」
「果たして本当にそうでしょうか」
深い笑みを湛えながら、マスターは手のひらを僕に見せた。
何のことやらと細められた目を見つめていると、苦笑交じりにその口が開いた。
「ここ最近の7日間で、セリアさんの部屋からあなたの名前が聞こえた日数です」
「なっ!」
再び立ち上がろうとしたセリアをマスターは手で制した。
出鼻を挫くそのタイミングが絶妙で、さすがに人をよく見ていると感心する。
「私の買い被りなどでなく、あなたが真に思いやりのある人間だからこそ、セリアさんはあなたを頼ろうとしていたのではないですか?」
「……」
その言葉に、僕は手元のリンゴジュースに視線を落とす。
それを一口含み、生温くなるまで口の中で弄んでから飲み込んだ。
ちらりと横目でセリアを見ると、空になったグラスをただひたすら睨んでいる。
浮かぶはずもない答えが表れてくれるのでは、そんな淡い期待が見え隠れしているようだった。
「はあ」
溜息を吐きながらもう一度リンゴジュースを口に含む。
そんなことを何度か繰り返していると、グラスはいつの間にか空になっていた。
当然だ。
飲めばジュースは無くなるし、沈黙は時間を浪費する。
「ごちそうさま」
3杯目の代金をカウンターに置いて今度こそ店を後にする。
唐突に腕を掴まれたのはそんな時だった。
強引に振り向かされると、今度は襟首を両手で締め上げられる。
そのまま縺れ合うように押され、背中と後頭部を背後のドアに打ち付けられた。
「教えてほしいのだよ、ロジー・ミスティリア。キミは、なぜそれほどの頭脳を持ちながら……!」
血気迫るセリアの顔がそこにあった。
「私欲のためにしか使わない?」
「っ」
セリアの言葉を先んじると首元の締め付けが強くなる。
けれど、僕よりも背の低い女の子の細腕だ。
振りほどくのはさほど難しいことでは無いように思えた。
「たしかに、僕の頭脳があれば今ここにある事件の大半は解決できる。自惚れじゃなく、それが事実だ」
「だったら、なぜ!」
「そうしていろんなものを解決していったら、僕はきっと正義の味方になるわけだ。でも、僕が正義である限り、悪は僕を快く思わないだろう。さてここで問題、正義の味方は世のため人のため働くけれど、正義の味方のために働いてくれるものはなーんだ?」
それは、と反論しようとしたセリアは口を開けるばかりで、ついぞその声が何かを語ることは無かった。
やがてその深紅の瞳に大粒の涙を浮かべると、泣き顔を隠すように僕の肩口に顔をうずめる。
鼻孔をくすぐるレモングラスの香り中に、かすかな汗の匂いが混じっていた。
「そう、答えは“無い”んだよセリア。君のお父さんがそうであったように、“正義の味方”の味方はいないんだ。だから僕は、正義のためじゃなく自分のためにこの力を使う。だって、自分の欲望に従って死ぬなら後悔は無いでしょ?」
「……ズルいのだよ、そういう生き方は」
いつの間にか襟首を絞めていた両手は力なく垂れ下がっていた。
「パパも、そんな生き方ができたのなら、今頃は……」
「やめといた方がいいよ、そういうの」
「……え?」
「今の君がこんなに必死になってるのは、損な役回りでも正義の味方であり続けたお父さんを誇りに思ってるからだ。それが僕みたいなのだったらって考えてごらんよ。こんなに父親を想う娘はいなかったし、娘が理想とする父親もいなかったはずだよ」
「それでも――」
「生きてる方がマシ、だった?」
しばらくの沈黙の後、ふるふると首を振った。
それでいい、と背中を軽く叩いてから僕に寄りかかっていたセリアを立たせる。
「話は終わり。これ以上のヒントはもう必要ないでしょ?」
「……ヒント?」
首を傾げるセリアの鼻を指で弾く。
「泣いたからかな、冷静な思考じゃなくなってるよ。一晩考えて僕の言葉の意味が分かったらまたおいで。もちろん君がそうすべき――いや、そうしたいと思ったら、だけどね」
鼻の頭をおさえて茫然とするセリアに手を振り、ドアを開けて外へ出た。
少し肌寒くなった外気に襟首を直しながら、僕は一人学園へ向けて歩みを進めるのだった。
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