第45話 消えたものたち①
「ごめんなさい、領主様のお屋敷でのことは口外できない決まりで……」
騒ぐ集団から少し離れ、失踪したメイドについての話を切り出すと、ナンという女性はそれを遮るように恭しく頭を下げた。
まあ、そりゃあそうか。
今みたいに何かが起きていなくても、領主の下で働くとなれば普通は守秘義務が伴う。
一連の反応からして性格はかなり真面目。
どれだけ頼み込んでも正攻法では情報を引き出すことはできないだろう。
「……」
「ど、どうされましたか?」
黙って彼女を観察していると、不安げな声が返ってくる。
髪は黒、瞳はグレー、肌は小麦色、そしてやや童顔。
落ち着いた物腰と所作、手や肘の状態からみて年齢は二十台中盤から後半。
目は両目とも充血し、下瞼が腫れぼったく浮き出ている。
化粧と肌の色で誤魔化してはいるものの、その下にはくっきりとくまが刻まれているはずだ。
手首や足首を見るに身体は細め、身長もさほど高くない。
けれど腕や脚にはしっかりと筋肉がついている。
日常的に重いものを持ち上げたり、中腰になって支えたりしているような筋肉のつき方だ。
「毎日大変そうですね。たまにはきちんと休まないと、身体を壊してしまいますよ」
「えっ……は、はい。ありがとうございます」
一瞬目が泳ぐ。
動揺しつつも反射でお礼を言えるあたり、メイドとして働いている期間もそこそこ長そうだ。
もう少し詰めてみよう。
僕はイスから立ち上がり、彼女の右手を両手で握る。
そのまま不自然にならない程度に指を伸ばし、手首の動脈に触れた。
「申し遅れました、僕はロジーっていいます。あっちはリーシャ。よろしくお願いします」
「は、はい。ナンです。こちらこそ……」
ナンは僕、それからリーシャへと視線を動かし、一瞬だけ眉を上げた。
「先ほどはすみません、変なことを聞いてしまって。街に妙な噂が流れているみたいで気になってしまったんです。お客様相手のお仕事をしていると、そういう情報を知っておいて損はないので」
そう言って笑顔を向けると、緊張した面持ちだったナンの表情が僅かに緩んだ。
僕が同業と知って親近感を覚えたのだろう。
「……ええ、分かります。誰かと話したくてお店に来られるお客様もいらっしゃいますからね。二言三言でも話を合わせられるととても喜んでいただけるので、私も嬉しくなります」
一方的に掴んでいるだけだった手がぎゅっと握り返される。
よし、仕掛けるなら今だ。
一歩前へ出て顔を近づける。
「仕事熱心なあなたは本当に素敵ですけど、働きすぎはあまりよくないですよ」
目を見据え、優しい声、優しい表情で囁くと、どきりと指先の脈拍が跳ねた。
傍から見れば思いっきり背伸びしているのが丸分かりなので滑稽に見えるだろうけど、対象が正面にいる分にはさして問題ない。
「無理して身体を壊しでもしたら、ご家族はどうするんですか」
「え……どうして、それを?」
にっ、と歯を見せて笑う。
「さあ、僕にも分かりません。もしかしたら、毎日ひたむきに頑張っているあなたを支えてほしいと、神様が僕にお願いしにきたのかもしれませんね」
ポケットから2枚の硬貨を取り出し、優しく包み込むように彼女の手に握らせる。
1枚1万リチア(日本円にして約3万円)の金貨が2枚――ナンは信じられないものでも見るように目を丸くして、僕と金貨とを交互に見た。
「こ、こんな! お客様からいただくわけには――」
人差し指でナンの唇を封じ、空いた手で金貨を覆い隠すように再度彼女の手を握った。
「セイランの子の往く道に幸あれ」
そう言ってもう一度微笑み、僕はそっと彼女の傍を離れる。
放心していたのか、しばらくの間ナンは手を握り締めたままその場に立ち竦んでいた。
仕掛けは上々、後は結果を御覧じろ――ってね。
◆ ◆ ◆
「お、どうだった? いい話は聞けたか?」
「いいえ、やっぱり規則があるみたいだったので。軽く世間話をして戻ってきました」
「そうか、残念だったな。また何かおもしろそうな話があったら店へ行くよ。そん時は……頼むぜ?」
男は僕の背中を叩いて去っていった。
さて、僕も席に戻ろう。
「ただいまリー……リーシャ?」
「……」
ぶっすう、と頬を膨らませ、頑なにこちらと目を合わせないようにしているリーシャがいた。
「え、どうしたの?」
「何でもありません」
うん、何でもないって顔はしてないよね。
仕方ない、こうなったら下手に刺激しない方がいい。
時間が解決してくれることを祈ろう。
それから数十分後、時間も遅くなってきたので僕らは店を後にするべく席を立った。
すると、裏からすっ飛んできたナンが〝領収書〟を手渡してくる。
僕はお礼を言って、疑問符を浮かべるリーシャを伴い足早に店を出た。
しばらく歩き、周囲の人通りが減ったのを確認してからリーシャにそっと耳打ちをする。
「リーシャ、尾行は?」
「……いない、と思います」
ふう、と一息吐く。
「あの、ロジー?」
「うん?」
「さっきもらった領収書って何ですか? 私たちの支払いはおじさんたちが持ってくれるって話になっていませんでしたっけ?」
そう、なぜかいつの間にかそんなことになってしまっていた。
そうなると領収書をもらっていることを怪しまれる可能性があったので、少し冷や冷やしたものだ。
「食事代はそうだね。でもこっちは、情報料の領収書だよ」
2つ折りにされたもらったばかりの〝領収書〟を開くと、そこには手書きの文字で3つの人名と1つの住所が記されていた。
「リーシャ、ビンゴだ。2万リチアも払った甲斐があった」
「テレサ、ニーナ、アンナ……全て女性の名前ですね。これは?」
「恐らくグレース・M・ジオラスと共に失踪した3人のメイドの名前だ。そしてこの住所は、もっと情報が欲しければここへ向かえってことだろうね」
場所的に街の中心部――領主の屋敷とかなり近い位置にありそうだ。
ビアガーデンが面しているメインストリートを使えばそう時間をかけずに辿り着ける。
「ええっ!? どうしてそんなものが!?」
「父親か母親――多分母親の介護をしながら、一家を養うためにダブルワークをしてるメイド兼ウエイトレスに聞いたんだ」
「ウエイトレス……って、あ! もしかてあの時ですか?」
「見てたの? うん、その人。ちょっと離れて話してたでしょ? 真面目すぎてお金で転びそうになかったから、宗教の力を借りて無理矢理ね」
よかった、となぜか胸を撫でおろすリーシャに首を傾げつつ続ける。
「今日はもう遅いから、明日のお昼くらいにここへ行ってみよう。着いてきてくれる?」
「はい、もちろん!」
唐突に機嫌を直し腕に纏わりついてくるリーシャと共に、僕らは2人帰路へ着いた。
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