第38話 盤上の攻防①

 監視を開始してから数十分後、周囲に展開していた何人かの衛兵が仮設テントに集まりだした。


 組み立て式のテーブルとイスを用意し、その上に食器を並べ始める。

 恐らく昼食の準備だろう、隣で火を起こしているから間違いない。


 よし、この時を待っていた。


「リーシャ、出番だよ」


「は、はい!」


 リーシャに声をかけて位置を変わる。

 さて、有益な情報を得られるといいんだけど。


「カリーナ、周囲の様子はどう?」


「特に問題無いわ」


 それは重畳。

 モンスターはリーシャが追い払ってくれているらしいし、出ると噂の賊も衛兵がこんなに近くにいては手を出しにくいだろう。


 保険として連れてきたカリーナには悪いけど、保険は使われないに越したことは無い。


「……あっ」


 それから十分ほど経った頃か、リーシャが小さく声を漏らした。

 こんな時のためにと持参しておいた紙と羽ペンを渡す。


 こちらに伝えながらだと肝心の話を聞き逃す可能性があると思い、持ってきていたのだ。


「一言一句同じじゃなくてもいいから、話の内容を書き出していって」


 リーシャは何も言わずに頷くと、受け取ったペンをさらさらと紙に走らせていく。

 表情は真剣そのものだ。


 脇から覗き込んでみると……ほう、これは興味深い。


「……進展?」


 リーシャの邪魔をしないようにか、カリーナが耳元で小さく囁いた。

 吐息が耳にかかりこそばゆい。


「……狙い通りって感じ。衛兵の中にも関税に疑問を持ってた人がいたみたい」


「そりゃあそうよね。通りがかる冒険者と商人のおかげで成り立ってるような領だもの。わざわざその足を遠のかせるようなことをすれば当然よ」


 それだけじゃない、と僕が言うと、カリーナは眉を上げた。


「領内でまことしやかに囁かれている噂があるらしい。現領主エールス・M・ジオラスの母親、つまり前領主の奥さんだね――彼女が行方不明なんだって」


「えっ!?」


 はっと口を押えるカリーナ。

 僕は唇に人差し指をあてて静かにするよう示す。


 いくら距離があるとはいえ大声を出せば聞こえてしまう。

 お弁当持ってピクニックに来ている、とは言えないような場所だ。

 僕らはともかく、カリーナの素性が割れれば非常にややこしいことになるだろう。


「まだ事件と決まったわけじゃないらしいけど、メイドも近衛兵もここ数週間姿を見かけないから不審に思ってるって」


「元々病気がちな方だったから、ただ寝込んでいるか医者の所へ行っているってだけじゃないの?」


「仮にそうだとしたら知ってる人がいそうな気もするけど……」


 この世界のメイドがどんな扱いを受けているのかは分からない。

 主君に疑問を呈することすら禁じられているのならともかく、身の回りの世話をすることが仕事なら消えた母親についても一度は訪ねているはずだ。


 その話が広まっていないとすると、はぐらかされたか、あるいは領主自身が世話をするから必要ないと断られたか。

 どっちにしろ不自然であることに変わりはない。


 何かあると考えるのが妥当だろう。

 そして、誰もがそう思ったからこそこうして噂になっている。


「……ちょっと待った。カリーナ、もしかしてその行方不明になったって人知ってるの?」


「ええ、グレース・M・ジオラス様ね。ハーグレイブ卿の公務に同行した際に何度かお会いしたことがあるわ。誰にでも分け隔てなく接されるお優しい方で、ジオラス領を訪れた時はいつも手料理を振舞っていただいたものだわ」


 1つの情報をきっかけに次々と揃い始めるパズルのピース。


「その手料理ってもしかして、牛乳やバターを使ったものじゃなかった? たとえばそう――シチューとか」


「え? ええ、よく分かったわね。ウサギ肉のシチューよ、グレース様の大好物だったらしいわ」


 思わず口の端がつり上がる。

 牛乳、バター、小麦粉、ニンジン、タマネギ――これで品薄になったり値上がりしていた食材の行き先が判明した。


「……ちょっとロジー、あなた今すごく邪悪な顔してるわよ」


「繋がったんだよ、いろいろとね」


「はあ? シチューで?」


「そう、シチューでだ。まるで解いてくれる誰かを待っていたように、謎がそこにあったんだから」


 これは言わば領主の一家に視線を向けさせるためのメッセージだ。

 いったい誰が何のために、という謎は残るものの、その答えは必ず領の内側にある。


 領内の大変革、そして領主の母親の好物が市場から品薄になる。

 一見交わりそうもないこの2つの事柄。


 それがほぼ同時期に起きたとしたらどうだ?

 偶然と片づけるには些か乱暴すぎる。


「……カリーナ、そのグレースさんって民衆にはどのくらい知られてるの?」


「知られてるなんてものじゃないわ。たまにカシアの街にも来て、貧しい子供たちに手ずからシチューを作ってあげていたくらいなんだから。あの街に住んでいてグレース様を知らない人はいないはずよ」


「なるほど、それなら好都合だね」


 好都合、好都合か。

 いや好都合と言うよりむしろ……


「……考えすぎか」


 頭を振ってふと頭に浮かんだ過程を振り払う。


「よし、それじゃあグレースさんが行方不明って噂を街に流そう。ひとまずこれで、王都が介入するきっかけくらいは作れるはずだ」


 領主の一族が行方不明ともなれば王都が動いても何ら不思議はない。

 もし領内で不正を伴った動きがあるなら、きっと王都を抑えようと行動を起こすはず。


 まずは先制攻撃だ。

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