完全に黒川のペース、灘は身動きできないまま、黒川に握らされた銃を呆然と見つめていた。選択肢の限定。銃を奪われ、敵の銃を持たされる。その銃をいくら使っても問題はない。これで灘は『枷』を外された。警察官としての弾丸ではなく、灘源一郎としての弾丸。撃つか撃たないかは彼自身の決断となり、答えとなる。黒川は灘が抱いて来た決意を揺さぶり続ける。

「ただし、覚悟はしたほうがいい。人を撃つことでどれだけの精神を削るのか、代償は大きいと思うよ。銃を持つということ、それくらいはわかっているはずだろうけれどね。それでも撃ちたければ、撃っていい。きみの正義を速やかに遂行したまえ」

 ものの数分、黒川は灘を支配していた。

「今まで抱いていた正義は、それはきみの正義じゃない。でも、正義が無いわけではない。世の中のいくつも存在する正義、その内の一つがきみの正義だ。でも、自分がその正義を確立できていない。正しさを見出せない正義っていうものは世の中腐るほどあるけれど、それでも貫くものこそが正義それに当たるんじゃないかな? きみの中に渦巻くものは、迷いだよ。迷っているんだ。黒川一士を成敗することが本当に正しいことなのか、それだけじゃない。もっと、その他のことにだって、きみは迷いをチラつかせているはず。それはきみがまだ純粋なだけさ。俺は否定する気はさらさらないよ。俺は悪以外の何者でもない。まさに悪党だ。いくら美称されようが日々の行いを悔い改めない日は一度たりともない。ただ」数秒間を置き、黒川は灘を誘う。「ただ、間違っちゃいないと思っている」

 ブレが治まり、灘の握る銃は、狙うべき相手を見失った。引き金にかけようとした人差し指から、力が抜けていく。

「灘源一郎」

 黒川の声に、灘は汗を流しながら目を向けた。

「自分で正しいと思ったのなら、世の中に否定され蔑まれようとも『正せばいい』んだ。生み出すは犠牲。貫くはおのが正義の心。残るは――きみ次第だ。その銃はきみにあげるよ。餞別だ、意味のある使い方をしてくれ」

 黒川は微笑み、灘は、桐乃に問いかけてきた。

「きみは黒川の協力者……支援者か?」

 桐乃は一瞬だけ戸惑う。自分はどちらでもないのだ。

「私は私が正しいと思うことをしています」

 正義とは全く違う意味で、この世界へ飛び込むことの正しさを信じて、桐乃はここにいる。自分自身の意思で、決意で、行動で、答えだ。桐乃の言葉に「そうか」と灘は項垂れた。銃を持つ手をだらんと垂らし、その姿を見た黒川が桐乃の腕を軽く引っ張った。走り出した黒川を追って、桐乃は灘を気に掛けつつ走る。

「灘のこと、何か嫌いになれないんだよね」黒川は走りながら言う。「敵でありながら、似た空気を感じる。同属的な意味で嫌いになれないのかもしれないな」

「だったら、あのままにしてきて良かったのですか?」

 少し間を空けて、黒川は微笑みながら答えた。

「この程度で折れるのであれば、そこまでの男だってことだよ。お嬢ちゃんと同じさ。殻を破ろうともがいているときが一番苦しい。殻を破れば、自由になれる」

「自由……」

「お嬢ちゃんも、殻を破れるといいね」

 前を向いたまま、黒川は優しくそう言ってくれた。まだ、この世界での自分のあり方を見つけきれていない。何の役にも立てていない。ただ記憶力がいいだけでは、何の意味もない。灘は黒川を追うために様々な努力を惜しんでこなかったはずだ。それを今までしてこなかった自分と比べるのは間違っている。悔しさを押し殺して前を向く。

「最上階、VIPルームにこのまま向かう」

「……はい!」

 今は、今できることを。

 階段を駆け上がりながら、桐乃は緩みそうになった涙腺に力を込めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る