「これは……どうやって」

「灘くんならありとあらゆる手段を用いてでも、無理矢理乗船しかねないと踏んで、先に入手させました」

 手際の良さ、そして手回しの速さ――黒川一士を陰で支える支援者。警察内部にいると考えられる黒川一士の支援者、灘はその支援者が不和警視ではないかと疑っていた。もちろん証拠があるわけではない。むしろ証拠どころか潔白、しかし気味が悪いほどに白い。だが、黒川一士に関する捜査に対しては他の誰よりも積極的のように感じられる。

 もしそれが支援のための情報収集であるとして、黒川一士と繋がっているとしたら、と灘は考えていた。何一つとして不純物が無い不和警視。透き通り過ぎて逆に気味が悪いほどだ。

 何もかもが綺麗過ぎる経歴、だからこそ黒川一士との接点が見えてこない。実の上司を疑うのはあまり気分のいいものではないが、しかし、経歴や歩んできた人生に、不和警視が黒川一士を支援する理由が見当たらない。まるで何もかも知っているのに『捕まえる気が無い』かのように灘には感じられた。国民だけでなく諸外国からして見ても正義の味方。捕まえることが世の損失である、なんて思想もあり得る。もしかしたら黒川一士が不和警視の身内や知人だったりすることもあり得る。

 推測は膨らむばかり。本心が見えてこない怪しい笑み、見透かされる行動、仕事の速さ、先読みの鋭さ。不和警視の全てが怪しく見えてきてしまう。

「有り難く、使わせていただきます」

 受け取った二枚の内、一枚を虎波に渡す。すると、虎波は不和警視に不愉快そうな顔をして見せた。下っ端刑事が警視に向かって見せるようなものではない。怖いもの知らずか、と灘は呆れたが、不和警視は何一つ虎波に注意をすることなく、むしろ嬉しそうに「バックアップが必要であれば、いつでも声をかけてくれ」と言って外へ出て行った。

「……虎、お前どうした?」

「いやー、何ていうか」ぽりぽり頭を掻いて残りのプリン頬張る。「不和さんは躊躇いという言葉が嫌いなんだろうなあって」

「躊躇い?」

 意味深に言って、しかし虎波はいつもの調子で笑って流す。

「まあ不和さんはどうでもいいや。とりあえず、乗船するとなれば衣裳から揃えないといけないっすよ。タキシードのレンタル費用は捜査費用で落ちるっすかね?」

「……最近のお前、何か変だよな」

 底知れぬ不安を感じ取った灘は、虎波にそう訊ねた。二年前、捜査本部に配属されたときと比べると捜査に積極的になった。しかしここのところ、姿が見えない時や何かぼうっと考え事をしている時間も多くなっていたのだ。乱調か、深層心理の不安定さとも考えられたが、灘はそれとは違うものを感じ取っていた。

 いつもと違う場合、それはこれから重要事案を実行する際に大きな「ズレ」が生じるものだ。命に関わることなら尚更であり、《いつもと違う行動を起こす人間》に悲劇は付き物。だからこそ、灘は不安だった。

「そうっすか? 変といえば俺には灘先輩のほうがやけに仕事熱心だなあって思って心配っすよ。俺はそこまで仕事熱心じゃないぶん、言われたことを遂行するくらいしか力を注げませんから。大した部下じゃなくてこう見えて申し訳ないっていつも思っているンすよ、俺」

「虎波、お前、本当に大丈夫か?」

「やだなあ、船上で黒川と対峙するために潜入する人間をあまり不安にさせないでくださいよ! 嫌がらせっすか?」

「いや、違う、本当にお前が変だから、心配なんだ」

 その言葉に虎波はぱあっと顔を明るくさせた。

「心配無用っす。もしも俺に何かあっても灘先輩が全部やってくれるはずっすから。俺、灘先輩みたいに有能じゃないっすから」

 《もしもの次に不吉なことを言う人間》に悲劇は付き物。

 映画の見過ぎかもしれない、と灘は顔を左右に振って頭を掻きむしる。《いつもと違う行動を起こす人間》と《もしもの次に不吉なことを言う人間》という法則のような迷信紛いのものを真っ向から言い消すようにあえてその言葉を口にした。

「明日無事に終われば、俺の驕りで飯をたらふく食わせてやる」

「気味が悪いっすよ、先輩」

 虎波は嬉しそうに、しかしどこか寂しげに言う。まるで最期の言葉のように、灘の耳の奥に、虎波の言葉が刻み込まれた。

「じゃあ……飯、楽しみにしているっすよ」

 チケットを指で挟み、揺らしながら虎波は笑った。


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