21gの手紙

21gの手紙

 魂の重さって幾らか知ってる?

 21g。

 人間は死ぬと、21gだけ軽くなるって、昔、調べたひとがいるんだって。すごいこと調べるよね。で、その軽くなった分が魂の重さなんだって。

 だからね、21gのこの手紙は、わたしの魂。

 わたしの肉体はもうすぐ失われるけれど、わたしの魂は、この手紙として、あなたの傍にいる。ずっと、あなたが望むだけ。

 そう思えばね、ほら、寂しくないでしょう?


          * * *


 懐かしい手紙を見つけた。

 結婚が決まり、新居への入居を控えて、引越し作業に追われている最中だった。

 とにかく片っ端から棚や引き出しを開けては中身を「いるもの」「いらないもの」に選別して、「いらないもの」はゴミ袋に、「いるもの」は引越し用の段ボール箱に詰めていくという作業の中で、おそらくこの数年間、開けた覚えのない引き出しの奥から、その手紙は出てきた。

 存在さえ忘れていたその手紙は、しかし見つけた瞬間、十年の時を一瞬で巻き戻した。

 懐かしさと同時に、忘れていたことに対する罪悪感が、瞬時に心を満たす。

「懐かしい」なんて単純で美しい言葉でひと括りにしてはいけない手紙。

 十年前に亡くなった恋人からの、最後の手紙。

 優しかった彼女が、残される僕のために遺してくれた、一通の手紙。


 魂の重さって幾らか知ってる?


 そんな書き出しで始まる、彼女を失った悲しみに、喪失感に、長い間寄り添ってくれた手紙。


 21g。それが魂の重さ。そして、この手紙の重さ。


 21gのこの手紙は、わたしの魂。


 そう綴られていた手紙は、まさしく彼女の魂そのもののように思えて。死してなお傍にいると、綴ってくれた彼女の文字に、どれほど癒され、どれほど悲しみを深めたか。

 彼女の死後、随分長い間、その手紙を心の拠り所としていたはずなのに、いつの間に存在さえ忘れてしまっていたのか。

 彼女が遺してくれた魂を、引き出しの奥に仕舞い込んで、忘れていたなんて。

 自分の薄情さに、絶望的な気分になる。

 彼女は、自分の命が尽きるというその時に、残される僕を想い、最後の手紙をしたためてくれたというのに。21gの手紙に込められたその魂を、自分はあっさりと、忘れてしまった。

 日々を生きることに忙しく。いつまでも死者を想い続けることはできなかった。

 仕方ないと言えばそれまでかもしれないが、あまりにも彼女に対して誠実さを欠いていたように思えて、苦く重い感情が胸の底に沈んでいく。

 ましてその手紙を、結婚が決まり新居に移る引越し作業の中で見つけるなんて。

 十年前、彼女の病が発覚するまで、自分は漠然と、いずれ彼女と結婚するのだろうと思っていた。彼女に余命が宣告され、そんな未来は訪れないと突きつけられて、彼女以外の誰とも、一生結婚などしないと思った。そう告げた僕を、彼女はほんの少し嬉しそうな、けれど困ったような顔で見ていたっけ。

 あの時の彼女の表情の意味は、なんだったんだろう。自分の恋人が、自分の死後も自分だけを想い続けてくれることなどないだろうと、諦めていたのだろうか。

 だとすれば、自分はまさしくその失望のままに、彼女を裏切ったことになる。

 唇を噛みながら、何年ぶりかでその手紙を開いた。

 そこには──


          * * *


 21gのこの手紙は、わたしの魂。わたしそのもの。

 たとえこの肉体が生きることを止め、焼かれて煙となり、真っ白な骨だけになっても。わたしの魂はあなたとともにある。あなたが望むだけ。あなたが望む限り、わたしはあなたとともにいる。

 でもね、いつか、いつの日か、その必要がなくなることを、願ってる。

 あなたがこの手紙を必要としなくなる日が来ることを。この手紙の存在さえ忘れるほど、わたしのことを「思い出」にして、生きていってくれることを。

 わたし以外の誰かを愛して、そのひとと家庭を築いて、新たな命を育んでいってくれることを。

 わたしのいなくなった世界で、それでもあなたが幸福を手にすることを、祈っているから。

 だからどうか、幸せになって。


          * * *


 色褪せた文字の上に、雫が零れた。

 あぁ、僕は本当に、なんて愚かなのだろう。

 彼女の最後の願いを、祈りを、忘れていたなんて。

 長くこの手紙を支えに、彼女を感じていたというのに。その言葉を、受け取っていなかったなんて。

 頬を濡らした涙の跡を掌で拭い、彼女の魂である手紙を丁寧に折りたたみ、封筒に戻した。

 この手紙を新居に持っていくわけにはいかない。

 僕が望むだけ傍にいると言ってくれた、彼女の想定した期限は、既に過ぎた。この手紙が彼女の魂そのものであるのなら、いい加減、解放してあげなければ。

 かといって、ゴミとして捨てることや燃やしてしまうことには抵抗がある。さてどうしようかと思案して、思いついた。

 そうだ、墓参りに行こう。

 最初は月命日ごとに参っていた彼女の墓に足が向かなくなったのはいつ頃だっただろうか。思い返せば随分長いこと参っていない。

 結婚の報告もかねて、この手紙を彼女の墓に返しに行こう。


 自分の死後、恋人が新たな幸せを見つけることを望んだ優しい彼女は、その報告を喜んでくれるだろうか。

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21gの手紙 @aoi-hitoha

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