雨のソステヌート
@chickenchicken
雨の日はいつだって、
高校二年春のあるHRの時間、合唱コンのために伴奏者が必要となった際、僕は斜め前の女の子をちらりと見た。
壁際の前から三列目に座っていた彼女は、いつものように窓の外を見ていた。
彼女は雨降りになるとよく外を眺めていた。そして指で小さくトントンと机を鳴らすのだ。両手の十本の指はてんでバラバラで、机を鍵盤に見立てて動かしているのだと、僕はすぐに気付いた。彼女はピアノを弾くのだと。
それは彼女が壁際二列のどこかに座って、自分が彼女の斜め後ろ側に座って、尚且つ雨降りの日にしか見られない、貴重な時間だった。しかも、声をかけられると止めてしまう。僕は雨降りの日を彼女を見ることだけに費やしていた。
彼女の遠慮がちにしなやかに動く指を見ると、その虜になった。音は出ない。何を弾いているのか僕にはずっとわからなかった。もしかしたら適当に指を動かしているだけかも知れないとも思った。一体何の曲を弾いているんだろう、そんな好奇心から僕はずっと彼女を見ていた。
ある時、彼女の左横に座った時僕は、左手小指がほぼ常に一定のリズムで机を鳴らしていることに気づいたのだ。雨降りであること、そこから一つの仮定が生まれた。音楽などわからない僕が数少なく知っているクラシックの曲の一つ、雨だれの前奏曲。いつだかの授業で鑑賞した記憶があった。
そう思うと、そうにしか見えなくなる。むしろ音すら聴こえてくるような気がした。外の雨の音が、彼女の左小指から出ているような錯覚に陥った。ただ、僕には正解を確かめる勇気は湧かなかった。
何の曲だろうという好奇心はどこかに消え去り、僕は聴こえないメロディに耳を傾け、優しそうに自分の左手を見る彼女の横顔を盗むようにちらりと見ていた。多分これは恋なのだろう。
だから伴奏者が必要だと言う話をされたとき、僕は真っ先に彼女を思い浮かべた。彼女が実際にピアノを弾いたとき、どんな音が出るのだろうか。彼女の音に乗せて歌えたら、どんなに幸せだろうか。しかし僕には彼女を推薦出来る権利も、声をかける勇気も無かった。
彼女は委員長の方には顔を向けず、右手で顎を支えて外を眺めていた。
今日は一度も弾いていないなと少し寂しくなる。外ではバケツをひっくり返したようなゲリラ豪雨が、音も無く落ちていた。こんな雨では弾く気が起きないんだろうか。顎を支えていた右手で、彼女はこめかみをぐりぐりと押した。
「いないんなら……確かお前ピアノ弾けたよな?」
委員長は彼女の方を向いてそう言った。そういえば、同じ中学だったと、二年生の時に耳にしたことがある。
「弾かないわ」
彼女は窓の外を見たままそう言った。もしかしたらチラッと目だけ委員長の方を向いたかもしれない。斜め後ろの僕には、彼女の右手に顔を隠されてしまってわからない。
弾けないではなく、弾かない。その言葉が妙に引っ掛かった。なぜ弾かないのだろう。その裏にどんな理由が、過去が隠されているのだろう。
「でも他に弾けるやつがいないみたいだし、お前しかいないんだから、お前に頼むしか無いんだよ」
「アカペラが良いんじゃない?」
彼女は冷たくそう言った。
寡黙な彼女の声を聞くのは滅多にないことだが、彼女の遠くまで通りそうなはっきりとした声は、僕の心臓をぐっと掴んでくる。無口な子というのはぼそぼそ喋るものだと勝手に思っていたかつての僕は、そのはっきりとした声に驚かされたのである。もしかしたら、もともとはよく喋るタイプだったのかもしれないなどと考えてしまう。
「そうだな……まずは曲を決めないといけない。ただ、お前しか弾けないって言うことは頭に入れておけよ。お前の我が儘でクラスを乱すわけにもいかない」
委員長は彼女にボソッと言った。そこまで言わなくても良いじゃないかと、少しの嫉妬心を押さえるように心の中で叫んだ。
彼は彼女の過去を知っている。彼女がピアノを弾かない訳も知っているのだろうか。よく喋る彼女を知っているのだろうか。
彼女は顎を支える手を左手に変えて、僕と目が合った。正確に言えば僕がじっと見ていたから、何見てんだよと言いたげに、僕の方を見たのだろう。僕は慌てて委員長に視線を戻した。
彼女の真っ直ぐでうるうるとした瞳を僕は忘れることができない。
彼女は勉強が出来て、陸上部に所属していた。美術部所属の僕とは真反対の小麦色の肌が、いかにも健康そうで元気そうで僕は大好きだった。
その日はまた雨の日で、美術室の窓からいつもは見える陸上部は中連になり、僕は文化展に出すための作品の下書きに入っていた。
雨降りの彼女の秘密の時間を見てから、僕はその姿が書きたくて仕方がなかった。僕に勇気があればと何度も思ったわけだが、結局彼女にモデルを頼むことはまだ出来ていない。ただひたすらに構図ばかりが浮かんで、彼女以外のことを考えられなくなるのだ。
湿気た美術室ではいくら根気詰めててもアイデアは浮かばず、僕は雨が酷くなる前に帰ろうと、美術室を出ようとしたとき、扉の窓から、廊下に彼女がいるのが見えた。
彼女は廊下においてある長方形型のピアノ(名前を僕は覚えていない)にかかっている暑苦しそうな布を指で撫でていた。鍵盤の左手で弾くだろう部分を。
扉を開けてしまっては音が立って彼女がその行為を止めてしまう。ただ、ここにずっと立っているわけにもいかず、僕は続きをみたい気持ちを押さえて、廊下に出た。彼女は後ろを振り返った。
「やあ、何をしているの?」
僕は声をかけた。この場合は声をかけないほうが不自然だろうと思ったからだ。心臓がうるさいのがわかった。
「……何も。ただ、ピアノを見ていただけ」
彼女は静かに答えた。声色からして煩わしそうに思っていないことだけが僕の救いだった。
「ピアノを弾くの?」
僕は鞄を持ち直してそう言った。
彼女は再びピアノに視線を落とした。
「昔は少し弾いていたの。でも、ほんの少し。たった一曲」
たった一曲、その言葉があまりにも艶かしくて、心臓がざわざわした。
「雨だれの前奏曲、かな?」
彼女の目が僕を捕らえた。疑い深そうな目だった。
僕は自分が恥ずかしげもなく声を出したことを後悔した。なぜ言ってしまったんだろう。僕は慌てて弁明の言葉を探したが、弁明とも言えない、ただの告白だった。
「雨の日に……よく机を叩いてるから、そうかなと思っただけなんだ」
彼女は納得したような顔をした。僕がよく見ていることには気づいていないようで、胸を撫で下ろした。
「よくそれでわかったね」
「左手が印象的だったから」
「ああ……よく見てるね」
僕は思わず赤面した。いつも見ていたこと、やっぱりバレていたんだろうか。
「音もないのにわかるなんて、凄いよ。ピアノ習っていたの?」
彼女は興味深そうにそう聞いてきた。
ずっと見ていたから気付いたんだ、という言葉を飲み込んだ。
「音楽はむしろ苦手。その曲、有名なんだよね?」
「凄く有名。ショパンの前奏曲第十五番変ニ長調」
彼女はうっとりとしながらそう言った。
彼女はこの曲にどんな思いを抱いているのだろう。どんな気持ちで弾いているのだろう。
僕は手持ちぶさたで鞄を持ち直した。
「今から帰り?」
彼女は僕の鞄を見てそう言った。
「うん。そういえば、部活は?」
「今日はもうおしまい。なんだかピアノが弾きたくなってここに来たけど、やっぱり恥ずかしくなってたの」
彼女は再びピアノを見た。相変わらず手で布を撫でている。
「聴いてみたいな」
僕はボソッと言った。期待はしていないけれども、もしかしたら聴けるかも知れない、などと思ってしまった。
彼女はピアノを見たままだった。
「弾かないの?合唱コン。弾けばいいのに」
彼女の手が止まった。そして、僕を見た。
いきすぎたことを言っただろうか。怒らせてやいないだろうか。
「雨だれの前奏曲しか弾けないの。他の曲は弾いたことがない。ピアノを習ったことも、無い」
彼女は歩きだした。立ち止まっているわけにもいかず、そのあとを付いた。というよりも、玄関に向かっただけなのだが。
「雨だれの前奏曲は人から教えてもらったの。だから弾ける。ただ、本当に他の曲は弾けないの。多分、猫踏んじゃったも弾けないよ」
彼女は振り替えってくすりと笑った。
やっぱり彼女はもともとはよく話す人だったんだろう。
「それなら僕でも弾けるかもな」
彼女はまた笑った。
「君に雨だれの前奏曲を教えた人は、凄く上手なんだろうな。まるで音が流れてるように、机を指で叩いてる。雨の音と、よく合ってるんだ」
「そう、とても上手な人。全国で一番になったこともあるんだよ。なんでも出来る人だった」
「その人にまた教えてもらえば良いんじゃないかな。そしたら合唱コンの曲も弾けるよ」
彼女は立ち止まった。丁度、彼女の下駄箱の前。
僕は彼女を追い越して、自分の下駄箱から外靴を出した。
「他に弾ける人はいないみたいだし」
彼女は静かに靴を履き変えた。
何か気に障ったのだろうか。
「それは、出来ないの」
聞いてはいけないことのような気がして、僕はなにも言わずに、鞄から折りたたみ傘を出した。
彼女は傘も持たずに、雨のなか外に出た。そのあとを追いかけれるほど、僕は彼女のことを知らない。彼女がどこに住んでいるのかも、彼女が何で帰っているのかも、彼女の過去に何があったのかも。
それから雨の日の放課後、彼女はたまに美術室の前に置いてあるアップライドピアノを弾いていた。曲は勿論、雨だれの前奏曲だった。
彼女の音を聴いていると、自然と筆が進んだ。彼女に許可を得て、僕は彼女の雨降りの秘密の時間を絵にすることが出来た。誰もいない雨の放課後の教室で、僕は窓の外を見る彼女を写真に撮った。
彼女のピアノの音は僕が雨音の中に見出だした通りの音だった。聴こえなかったメロディが、今は目に見えるまでに膨らんだ。そして、とてつもなく上手だった。
だけれど、大雨の日は決して弾かなかった。ピアノも、机も。代わりに、僕に「気を付けて」と一言残して、家に帰ったいった。僕はなぜ彼女がそう言うのか疑問に思いながらも、聞いてはいけないことだと思い、ありがとうと返事をした。
委員長から彼女が私立の中学出であることを聞いた。その時から彼女は頭が良く、褐色の元気な肌をしていたらしい。そして、よく話して元気で、友達も沢山いたようだと。今のように落ち着いたのは中三のときだったらしい。無遅刻無欠席の模範的な彼女が、数日間も休んで驚いたという。雨の日に外にずっといて風邪をひいた、そのあとから落ち着いたという。
ここでも雨の日かと、僕は思った。本当に風邪をひいたんだろうか。僕には、彼女にピアノを教えた人が絡んでいるような気がしてならなかった。
その日は酷い雨で、台風がすぐそばまで来ているというのに、学校は休ませてはくれなかった。そのせいで、学校まで来ることができない生徒が何人か、その生徒の一人に彼女がいた。
先生が今日の遅刻欠席はカウントしないと言ったとき、僕は安堵した。彼女は模範的生徒のままでいれる。その一方、不安もあった。委員長が言ったように、また数日間来ないことがあればどうしようと。彼女は再び変わってしまうのだろうか。
学校もきついと思ったらしく、三時間目でついに帰宅令が出た。雨がさらにひどくなる前に帰れという。それなら最初から休ませてくれと理不尽さを嘆いた。
今学校に向かっているかもしれない生徒はどうなるのだろう。連絡手段を持ち合わせてなかったら?そもそも交通機関は止まっていないのだろうか?
彼女のことだから無理して学校に向かっているかもしれない。僕は彼女にメールを送った。すぐに返事が来た。今付いたところなのに。
外は薄暗く、いくつか傘のようなものが引き返していくのが見えた。そのあとを玄関から出た傘のようなものがついていった。僕もそのあとを追う。
無数の傘のなか、僕は彼女を見つけた。真っ赤な傘は、暗い雨のなかでも見つけやすかった。
おそよう、と声をかけると彼女も同じように返した。
「バスに乗れるかより、バスが来るかの方が問題だわ」
彼女はため息混じりにそう言った。どうやら一年生と思わしき生徒たちが、こんなに生徒が居て、バスに乗れるかと心配をしていたらしい。
「僕は歩きだから……」
何だか申し訳なくなりながらそう言うと、彼女がくすりと笑うのが聞こえた。
「いざというときはあなたの家に頼ればいいのね」
彼女はそう言うと、こめかみを押さえた。
雨の日、彼女はよくこめかみを押さえた。その度に僕は大丈夫かと聞くが、大丈夫以外の返事をもらったことはない。
「頭痛がするの、低気圧で。でも、なんでもない。大丈夫。雨がやめば治るから」
彼女はいつもそう言った。
「よければ僕の家に来ても。絵が今日で完成するんだ。君に見てほしい」
僕は頑丈に包まれた彼女の絵を持ち直した。
彼女に真っ先に見てほしくて、家で完成させようと思っていたのだ。誰にも見られたくなかった。
「……ほんと?楽しみ。高校に入ってから友達の家に行くの、はじめてかも」
彼女は無邪気にそう言った。友達、という言葉がずしりと重くのしかかる。
ちょっと待って、と僕は自転車置き場から自転車を持ってきて、押して歩いた。大きな包みは後ろにくくりつけるわけにもいかず、片手でなんとか支えた。
「……偉いね」
彼女は僕を見て言った。
「自転車、ちゃんと押して帰って」
そんなことで誉められたのかと不思議に思う。
「こんなに視界が悪いのに乗って帰ったら危ないでしょ」
「そうだよね、その通りだよ。事故にでも遭ったら……」
彼女はぎゅっと傘の柄を握った。つられて僕もハンドルを握ってしまって、ブレーキがかかり、よろめいてしまった。
「雨の日だったの」
交差点の手前で彼女は立ち止まった。僕は体制を整えてから、彼女の顔を見た。視界が悪くて彼女がどんな顔をしているのかわからなかった。
「雨の日は自転車に乗らない、だから電車で私たち二人は会えたの」
僕はなぜか彼女に雨だれを教えた人の話をしているのだと思った。そして、僕の予感は当たっていた。
「彼に会えるから雨の日は好きだった。その後彼の家に寄って、ショパンの前奏曲第十五番変ニ長調を教えてもらった。彼の得意の曲。そして、私の好きな曲。連弾で、椅子を分け合いながら、彼の左手が奏でる雨音を聴いたの」
信号が変わったことを示すぴよぴよという音が微かに聞こえた。彼女は再び歩き出した。
「ある雨の日、彼は電車に乗ってこなかった。彼と同じ学校の生徒が『あいつ、小雨だから乗って帰るって言ってたけど、大丈夫かな』って話しているのを聞いたの。帰るばかりの頃は確かに小雨だったけど、次第に酷くなって、そう、今みたいな雨になった」
彼女は右手で雨を受けた。傘の意味もなさないほど、僕たち二人は濡れていた。
「私は不安になった。慌ててその人たちに彼のことを話しているのかと聞いたら、違うと返事が来た。私は安堵したけど、不安が拭えなかった。彼はいつ来るのだろうと。私はいつも彼が乗ってくる駅で降りた。ホームで待っていようと。そのうち電車が雨で止まった。彼はやってこなかった」
僕は彼女の話に真剣に耳を傾けた。彼女が一体何を思って僕にその話をしているのか、僕にはわからない。ただ、思い付いたままに話しているだけかもしれない。それでも、彼女についてもっと知れるのならば、僕は嬉しかった。
「私は痺れを切らして彼の学校に向かったの。もしいないならば、そのまま歩いて帰ればいい。駅から私の家、そして彼の家までは三駅分で歩けない距離じゃない。途中、救急車のサイレンが鳴り響いた。酷い雨の中でもその音だけははっきりと聞こえた。私は更に不安になった。そして踏切で、その救急車と出くわしたの。踏切が開いて、救急車が向こうからやってきた。私は通りすぎるのを待ってから、急いで踏切を渡った。そして、通りすぎた人に事故でもあったのかと聞いたの。そしたら、自転車に乗った男の子が、車にぶつかったという話で。どうやら車の方が悪い、という話まで聞いて、私は来た道を戻った。電車はまだ再開していなかった。そのまま家に帰って、ベッドに倒れこんだの。目が覚めたら、酷い頭痛で風邪をひいたみたいだった。びしょびしょになれば風邪もひくわと母親に言われて、電車が止まったから、歩いて帰るしかなかったと答えた。そして、彼も風邪をひいただろうかと聞いたの」
彼女はまた頭が痛いとこめかみを押さえた。彼女が痛いと押さえるのはいつも右だった。
「母は悲しそうな目をした。そして彼は事故に遭ったのだと教えてくれたの。その瞬間、私は頭が痛いことも何もかも忘れて、部屋を飛び出した。まっすぐに彼の家に向かったの。でも誰も出てこなかった。母は様子を見て良さそうだったらお見舞いに行こうと提案した。彼が目を覚ましたのはその三日後、お見舞いに行った私に一言、『もうピアノは弾けないんだ』と。彼は左半身が麻痺した状態で、歩くこともままならなかった。右脳をやられてしまってたの。私はリハビリすれば良いと言ったわ。彼はそうだねと不細工に微笑んだ。私は、治ったら今度は違う曲を教えてって頼んだの」
家の前についた。彼女はその場で立ち尽くしたまま、傘をたたんだ。
「次の日、彼が亡くなった。麻痺した体でどうやって行ったんだろうね、屋上から投身自殺。彼にとってピアノが全てで、ピアノが弾けないのならば生きている価値なんて無かった。私は彼の人生にとって何の価値も無かった。私は雨の日が嫌いになった。雨の日が憎くて憎くて仕方ないの。雨の日になれば彼のことを思い出す。指が自然と動くの。私は彼に教えてもらうまで、違う曲は弾かないって決めたのよ」
彼女は何か言葉を待つように、僕の顔を見た。僕はかける言葉が見つからずに、彼女と、たたまれた傘を交互に見た。
「……その人のこと」
「今でも好きなの。もう二年も経つわ。今日は彼の三回忌で、だから、ここまで来ておいてなんだけど、あなたの家には寄ってられない。ごめんね」
彼女はこちらも見ずにそう言った。ごめん、なんて気持ちは全く無さそうだった。あなたなんかどうでもいいの、と目で言っている。
そうか、僕も所詮ただの友達で、何の価値もない。寡黙な彼女が仲良くしてくれた、なんて浮かれて、僕は馬鹿だな。
「ううん、大丈夫。それなら雨がひどくなる前に帰らなきゃね。ここからなら駅の方が近いから、送るよ」
僕は閉じた傘を再び開いて、彼女の隣についた。
「大丈夫、わかるよ」
そう言いつつ、彼女は傘を持っているのに、僕の傘に入ったきた。そして僕の耳元に顔を近づける。濡れた髪から滴り落ちた雨が、僕の肩を濡らした。
「今日のこと、誰にも内緒ね」
彼女は相変わらず妖艶で、僕の心をとんとんと鳴らす。
傘もささず、雨の中走っていく彼女の背中を僕は見送った。彼女を止めることを僕はできない。たとえ救急車のサイレンが聞こえても、僕にはどうすることも出来ない。
「僕は雨の日が好きだよ」
動いた指は、彼女に涙を付け足した。
二度と彼女のピアノを聴くことは出来ない。そんな気がした。
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