勇者にふさわしいあなた
山本アヒコ
勇者にふさわしいあなた
私は今、大神殿の中央にある巨大な魔方陣の前に立っています。そのことを自覚すると、緊張と興奮で手が震えてきました。ですが、こんなところで躊躇している暇はありません。両手をぐっと握りしめ、震えを強引に止めましょう。
「ふう……」
一度大きく深呼吸。よし。落ち着いて平常心で。
頭上を見上げれば青空が広がっています。天も私を祝福しているようです。
足元を見ると、削りだされた大理石で敷き詰められた大神殿の床に、銀色に光る巨大で複雑な魔方陣があります。一歩進めば魔方陣に足が触れますが、するわけにはいきません。
この魔方陣が神聖なものであることもそうですが、これから行う儀式では魔方陣の上に物があってはならないからです。
そこで私は背後からいくつもの視線を感じます。
大神殿を管理する、私よりいくつも位階が上の神官たち。さらにこの大神殿で二番目に偉い副神殿長。神殿長さまはかなり老齢になられているので、健康面を考えて出席されていません。
しかしこの儀式の前日に、なんと神殿長さま直々に私を呼びになされて激励のお言葉をいただいてしまいました。なので失敗するわけにはいきません!
なにしろこの儀式には、この世界の命運がかかっています。
そう、私がこれから行う儀式は『勇者召喚』なのです。
私たちが暮らすこの大陸リメンパスは、過去何度も魔王による侵略により多くの悲劇が生まれています。はじめて魔王が確認された二千年ほど昔には、人間のおよそ半分が殺されたと伝えられているほどでした。
このまま人間は滅びを迎えるしかないと諦めかけていたとき、大魔導士と当時の神殿長さま二人で研究し完成させた勇者召喚の儀式によって、何とか人間は生き残ることができたのです。
ちなみに偉大な英雄である大魔導士と神殿長さまの名前は、なぜか残っていません。神殿の教えによると、お二人は自分が行った偉業を誇ろうなどとせず、それよりも亡くなった人々や戦った人々の名前こそ残すべきとおっしゃったそうです。素晴らしいですね!
同じく名前の残っていない勇者さまも同じ理由らしいです。
何度も魔王が侵略してきたと先ほど言いましたが、そのたびに勇者さまを召喚しその危機を乗り越えました。はい、勇者さまはひとりだけではないのです。さすがに勇者さまも何百年と生きれるわけではありません。
魔王は倒されても、百年から数百年で新しい魔王が生まれてしまいます。その度に勇者さまを召喚しました。最後に勇者召喚の儀式を行ったのは、百五十年ほど前です。その時も、それ以前の勇者さまの名前も残っていません。みなさん素晴らしい人格者だったのでしょう。
私はもう一度気合を入れると両手を組み、精神を静かに保ち一心に祈ります。
この日のために数ヶ月も前から修行に励み、心身ともに清めてきました。きっと勇者さまも私の声に応えてくださいます。
「……ィ……ッ……」
私の祈りは言葉として聞こえません。魔術と神霊術の複合魔法である勇者召喚は、呪文も特殊なのです。
「……ァ……」
閉じた目の裏側で光が明滅しています。精神統一のための修行として瞑想を行っていたとき、同じことが起きました。私の修行を監督していただいた方によると、その状態こそが勇者召喚を行える状態なのだそうです。はじめのころは光が見えてすぐ気絶していたのですが、そのうちにその状態を長く維持できるようになりました。
「…………ッ」
とはいえ私にも限界があります。最高で三ロト程度まで可能ですが、そこまでいくと私の体の負担はそうとうなものになります。そのときは三日間寝込むことになりました。
託宣によると魔王の侵略が始まるのはもうすぐ。なるべく早く勇者さまを召喚しなければなりません。寝込んでいる暇はないのです。
「…………ァッ!」
目を閉じているのにまぶしいほどの光が見えました。さらに七色に光っています。これは修行をしていたときには無かったことです。
すると微かに足元が震えていることに気付きました。神殿の床が振動しています。風が吹いて私の服を揺らします。その風は徐々に強くなり、右から吹いたと思えば左から。さらには渦を巻いたりと自然ではありえないことです。
その瞬間、これまでとは比べ物にならないまぶしい光が私の目を焼きました。
「ッゥ!」
すでに閉じているというのに目を閉じようとしてしまい、眉間に深いしわができるのが自覚できました。
まぶしい光は一瞬で、地面の揺れも風もいつのまにかおさまっていました。
私はどうしていいのかわからず、しばらく目を閉じたままでしたが背後からいくつもざわめきが聞こえてきたので、ゆっくりと目を開けました。
そして見えたのは、私が目を閉じる前とは様変わりした光景でした。
目の前に緑色の壁ができていました。しかしよく見るとその壁は向こう側が透けていて、それがうすい緑色の光だと気付きます。ではどこからその光が出ているのかと一歩離れて観察すると、床に描かれた魔方陣からでした。巨大な魔方陣全体から空へ向けて高く緑色の光が塔のように伸びています。
「やった、成功……?」
私は歓声をあげそうになりましたが、口を手で押さえます。これが本当に成功なのかわからないからです。
じつは勇者召喚の儀式の方法はわかっていても、成功したらどうなるのか詳細は不明なのです。儀式の方法は事細かに書かれた書物が残っているのですが、成功した場合はどうなるのかということは書かれていません。ただ、勇者さまが現れるということだけ書かれています。
しばらくそのまま観察していると、緑の光の向こう、かなり離れた場所である魔方陣の中心あたりに小さな影があるのが見えました。
「なんでしょうか?」
緑の光ごしなのでうまく見えません。おそらく私と同じぐらいの大きさなのではないでしょうか。かすかに動いているように見えます。
近づけばわかるのでしょうが、魔方陣の中に立ち入るのは禁じられています。さらにこの光に触れていいのかどうかもわかりません。
「どうすればいいのでしょう」
私はどうしていいのかわからずオロオロしていると、後ろから誰かが近づいてきました。
「シスター・イメリ、召喚は成功したのですか? 勇者さまは?」
「タスヤー神官長さま!」
私に声をかけてきたのは、勇者召喚のための修行を監督してくださったタスヤー神官長さまでした。年齢は三十なかばで身長が高く、いつも穏やかな表情をしています。しかし今はそのお顔に、不安そうな表情を浮かべていらっしゃいます。
「それが、あの魔方陣の中央に何かがいるようなのですが遠くてよく見えなくて」
「ふむ……」
タスヤー神官長さまは少し眼を細めながら遠くの影を見ます。
「たしかに何かいます。ですが小さいですね」
「はい」
勇者さまは魔王と戦うための強大なる力を持っています。なのであのような小さい体ではないはずなのですが。
私が思わず不安になっていると、遠くから声が聞こえてきました。遠すぎて聞き取れませんが、どうやら魔方陣の中央から聞こえているようです。
遠くに見える影は激しく動いているように見えますが、遠くてわかりません。私はどうすればいいのかわからず、タスヤー神官長さまのほうへ顔を向けました。
「どうすればいいのでしょう?」
「ふむ、どうやら声を発することができるようなので、耳も聞こえるのでしょう。こちらから話しかけてはどうでしょう?」
「わかりました。すみませーん、あなたは勇者さまですかー?」
そう話しかけてみましたが、遠くの影はまだ何か言っているだけでこちらに答らしきものはありませんでした。気付いていないのかもしれません。
「すみませーん!」
私はできるだけ大きな声をだしました。普段はこんな声を出すことなどないので、のどが痛いです。
その声が聞こえたのかどうかわかりませんが、影はこちらへ気付いたようです。そしてゆっくりと近づいてきます。
だんだんとその姿がはっきりと見えてきます。体は私たちと同じで二本の腕と二本の足があり、二足歩行しています。服装は、見たこともないというか、ひどく乱れた格好です。上半身は肩から先が無く、胸元が大きく開いた服だけ。ズボンもほとんど下着と変わらないような裾の長さで、太ももがほとんど見えてしまっていました。なんだか、ひどくだらしない格好に見えます。
私との距離が十テト程度になると、顔かたちもわかるようになってきました。髪の毛は驚いたことに黒色です。私たち人間の髪の毛には無い色です。瞳も同じ黒色でした。これも私たちとは違う色です。
身長は私より大きいですが、タスヤー神官長さまよりは低いようです。目の数は二つ、鼻はひとつ、口もひとつ、とそこまで観察しているとあることに気付いて、私の顔が青くなります。
私が今立っているのは大神殿のなか。目の前には勇者召喚のための魔方陣があり、そこで勇者召喚の儀式を行っていました。そして儀式のあと魔方陣のなかに現れるのは勇者さま、のはずです。ですがいま私へと近づいているのは、腑抜けた顔をした腹の出ている見たことのない不細工な生物にしか見えません。
まずこの魔方陣は神聖なもので、誰であってもそれを踏むことは許されていません。また常に入り口を屈強な神官兵が警備しているので、まず侵入することは不可能です。儀式の際中に侵入しようとすれば、周囲の人間が絶対に気付いたはずなのでそれもありえません。
となるとこの生物は勇者さまのはずですが、どう考えてもそれはありえません。まず体が小さすぎます。こんな人間と同じ体格では、野獣である二首蛇すら倒せそうにありません。二首蛇はその名前のとおり二つの首を持った蛇ですが、胴の太さが神殿を支える柱ほどあります。長さも大きいものでは五十テトほどもあり、倒そうと思えば兵士が数十人は必要になってしまいます。
さらに体が小さいだけでなく、筋肉の形が見えないほど脂肪がついていました。腹の脂肪は見るからに重そうで、これでは二首蛇から逃げることなど不可能どころか、走るのでさえ一苦労なのではないでしょうか。
私が呆然としていると、魔方陣とこちら側を区切る緑の光のそばまで近づき、目を異常に細めながらこちらをのぞきこみました。
「うーん、眼鏡がないとよく見えないな。なんか空が見えてるし、アパートで寝てたはずなんだが……って人がいる。えっ? 君のそれコスプレ?」
私はその声でやっと我に返りました。
「え、えっと……あなたは誰ですか?」
私の声はひどく引きつってしまいました。ですがこれは仕方がないでしょう。世界の命運を決める勇者召喚に失敗したのかもしれないのですから。
「俺は川森アキラっていうんだけど、それよりここどこ? よく見えないけどやたら広いし、空が見えてるし……俺はアパートで寝てたはずなんだけど」
「そ、その…………あなたは、勇者さま、です、か…………?」
私がおそるおそる聞くと、アキラさまは口を開けて固まってしまいました。
「は? 勇者ってまさか……そういえば君の格好、ファンタジーでよくある神官服に似てるような?」
「はい。私はこの大神殿で神官をやっています」
「ということは、もしかして勇者召喚の儀式とかやってたり?」
「は、はい、そうですが……」
するとアキラさま急に黙り込むと、うつむいてしまいます。さらにその体が小刻みに震えているように見えます。どうしたのかと思い声をかけようとすると、突然叫び声をあげました。
「よっしゃあああああああ!!」
「ひゃあっ!」
驚いて思わず後ろに転びかけましたが、それはまぬがれました。
「俺の時代が来たぞ! 社畜として生きていたが大逆転だ! ついに異世界転生俺TUEEE! ん? 転生ってことは俺死んだのか? ああ、そっか。真夏だっていうのにエアコンぶっ壊れてそのまま寝てたから、熱中症で死んだのか。まあいっか」
アキラさまはよくわからないことをしゃべり続けていましたが、私が驚いている様子を見ると照れたように笑いました。
……その笑顔がどこか粘ついたように見えて、気持ち悪いです……
「君が俺を召喚してくれたんだね、ありがとう! それで君の名前は?」
「わ、私の名前はイメリといいます……」
「いい名前だね」
アキラさまは笑顔になりますが、ふくよかな顔にしわをたくさん作ったその顔は、言葉にできない不快感がありました。そしてアキラさまがふいにこちらへ手を伸ばしてきて、思わず後ろへ一歩さがると、その手は緑の光に触れたところで止まりました。
「あれ? 硬いなこれ。これ以上行けない」
緑の光に手を当てて何度も押していますが、無理なようです。次は両手を使って全力で押してみますが、やはり無理です。たいした運動でもないのに、アキラさまはすでに体から汗がでています。やはり戦闘は不可能でしょう。
「あのさ、どうやったらここから出れるの?」
「えっとですね……」
私は振り返りタスヤー神官長を見ます。すると手招きされたので近づくと、私に耳打ちされました。
「もう少し情報を引き出してください。ほんとうにあれが勇者さまなのか確認しなければなりません」
「わかりました」
うなずくと元の場所へ戻ります。深呼吸してアキラさまへ顔を向けます。
「アキラさまはどんな武器が得意ですか。それとも魔術でしょうか」
「えっ、そんなのわからないけど。ケンカだってしたことないし、それに魔法なんてこっちじゃ存在しないから。あっ、でも勇者なんだからそれぐらいできるよな! チート能力だもんなあ!」
アキラさまは嬉しそうに「チート、チート」とつぶやいていますが、その意味はわかりません。
「それはつまり、武器も魔術も使えないということですか?」
「ん? ああ、俺の世界には無かったってだけだよ。こっちにはあるんでしょ? だったら平気だって。なにしろ勇者でチートだから」
私は思わず奥歯を噛み締めてしまいました。表情が歪むのがわかります。つまりアキラさまは武器も魔術も使えない、言ってしまえば『使えない勇者』だったのです。
やたら自信満々の様子が鼻につくアキラさまを無視して、私はタスヤー神官長のもとへ向かいました。そして顔を近づけると小声で会話します。
「……どうやら『使えない勇者』のようです」
「それでは仕方がありませんね」
私はうなずくと、魔方陣のほうへ戻ります。
「あ、話は終わったの? じゃあここから出たいんだけど」
「アキラさま。あなたには帰っていただきます」
「え? どういうこと?」
「アキラさまには魔王と戦うことができないとわかったので、元の場所へ帰ってもらいます」
「ちょっと待って! え? だって勇者として召喚されたんでしょ?」
「では、勇者さまとしての力を見せてください」
「おっし、見てろよ……ファイア!」
アキラさまは力強く手を前に突き出しましたが、何も起こりません。
しばらく無言が続き、しばらくするとアキラさまは再び同じことをしました。
「も、もう一度……サンダー!」
やはり何も起きません。どこからか吹いた風が二人の間を通り抜けていきました。
「ちょっと調子が悪いだけなんだ! だからもう一回!」
「もう十分です。それではさようなら」
「待ってくれよ! 神様、俺にチート能力をくれたんじゃないんですかー!」
私は目を閉じて祈りを捧げます、すると再びまぶしい光が脳裏に輝き、目を開けるとアキラさまはいなくなっていました。ですが緑の光はそのままです。
急に体から力が抜けてしまい、膝が崩れ倒れそうになりました。ですが後ろからタスヤー神官長さまが支えてくださりました。
「大丈夫ですかシスター・イメリ」
「は、はい。急に力が抜けて……」
「勇者召喚の儀式ですからね。それだけ消耗するのでしょう」
「ですが、はやく次の勇者さまを召喚しなければ」
「今日は休みなさい。明日また儀式をおこないます」
「……はい」
本当はできると言いたかったのですが、体力の消耗が激しくもう一度儀式を行うのは不可能でした。ですが諦めません。勇者の召喚に失敗しても、何回も行えば必ず勇者さまが現れます。儀式の方法が書かれた書物にも、そうありました。
ただ、儀式を行える人間の数は少なく、体力の消耗も大きいのでやはり回数が少ないほうが良いに決まっています。しかも今は私のほかに儀式を行える人間がいません。いるにはいるのですがまだ幼く、体力の消耗に耐え切れず死亡する可能性が高いのです。なので私がやるしかありません。
「次こそは成功させてみせます」
タスヤー神官長に体を支えてもらいながら、そう決意しました。したのですが……
「……なぜですか神様」
「いよっしゃああああああ! 俺ふっかーつ! もう一度召喚されるかもと思って、貯金おろして買い込んだ甲斐があったああああああ!」
次の日に行った儀式も無事成功しました。なんとなく前日より簡単に儀式を行えた気がしました。
それはいいのですが、なんと召喚されたのはアキラさまだったのです。
「そんな……私には勇者召喚が無理だというのですか……」
「あれどうしたのイメリちゃん?」
思わず地面に膝をついてしまった私を、アキラさまは不思議そうに見ていました。
「……もう一度、儀式を」
「ワーワー! ちょっと待ってイメリちゃん! 今回は役に立つ物を持ってきたんだから!」
よく見るとアキラさまの服装は前日と違っています。上着は襟のある長袖で、ポケットが胸にあります。ズボンも腿の部分にポケットがついていました。さらに大きな袋を背負っています。服も袋も見たことのない布でできていました。とても頑丈そうで高級な布だということがわかります。
アキラさまは背負っていた袋を下に置きました。そして中から何かを取り出しました。
「これを見てくれイメリちゃん!」
「何ですかこれ? 白い塊に文字が書いてある?」
「違う違う。よく見て」
私は魔方陣へ近づき、アキラさまが掲げる白い物体をよく見ると、それがただの白い物ではないと気付きます。
「透明な袋!」
「あれ? 驚くのそっちか。そうじゃなくてね……」
アキラさまはハサミを取り出すと透明な袋に穴を開けました。すると中から白い粉がこぼれ落ちました。それを手に少し盛ると、私に向けて差し出します。
「これ、砂糖なんだ」
「えっ!」
私は思わず驚いてしまいました。砂糖は遠く南方でしか手に入らないもので、大商人が船を使って何ヶ月もかかって運ばなければならない交易品のはずです。なのでもちろん高級品で、庶民どころか下位の貴族たちでは手が届かないほどの高値で販売されています。それをこんな大量に持っているなんて、アキラさまはもしかして王族か何かなのでしょうか。
私が驚いた様子に満足そうにうなずくと、アキラさまが次々と袋から取り出します。
「こっちは塩。この缶はコショウ。やっぱり香辛料が貴重っていうのはテンプレだよなー。あと米と、小麦じゃなくて乾燥パスタにジャガイモ。ジャガイモ無双とノーフォーク農法で内政TUEEEやってやるぜ!」
アキラさまは見たこともない容器に入った何かや植物の実らしきものを並べて、得意そうに私へ笑顔を見せます。
「どうよこれ! すごいでしょ!」
「それ、本当に砂糖なんでしょうか?」
「信じてくれないの? じゃあ、ちょっと食べてみてよ」
アキラさまは銀色のスプーンを取り出しました。私はそれにも驚きます。銀食器は裕福な人間しか持てません。普通は木製の食器を使用するのが当たり前なのです。アキラさまはスプーンで砂糖をすくうと、こちらに差し出しましたが緑の光がありました。ですがスプーンはそれを簡単に通り抜けました。
「えっ」
「そういえば、この先に出られないんだっけ。でも今は行けるってことかな。あてっ」
アキラさまはさらに手を伸ばそうとしましたが、緑の光を抜けられたのはスプーンだけで、手ははじかれてしまいました。勢いよく伸ばした衝撃で、手からスプーンは落ちてしまいます。
「あー、もったいない。しょうがない、次はイメリちゃんがスプーン持ってよ」
「は、はい」
再び新しいスプーンを使って砂糖をすくい、こちらへ差し出します。緑の光を抜けたスプーンを私はおそるおそるつまむと、それは何の抵抗もなく全部こちら側へ移動できました。
私は手に持ったスプーンをよく見てみると、光沢の違いから銀製ではないことがわかりました。だからといって何でできているかはわかりません。
「もしかして、スプーンが珍しい? ただのステンレス製なんだけど」
ステンレスというものは聞いたことがありません。銀や鉄とはまた違うものなのでしょうか。
「とりあえず食べてみてよ。甘いから」
そう言われても躊躇してしまいます。私は砂糖を使った料理や菓子などを何度か食べたことはありますが、砂糖そのものを見たことはないのです。なのでこの白い粉が砂糖なのかどうか判断できません。もしかしたら毒なのかもしれません。
「イメリちゃん警戒してる? ほら、ちゃんと砂糖だって」
アキラさまは指で白い粉をすくって舐めてみせました。どうやら毒ではないようです。
「で、では……」
思い切ってスプーンを口へ運びます。
「甘い!」
思わずそう言ってしまうほどの甘さでした。それを見てアキラさまは嬉しそうです。
「これだけじゃなくて、これ缶詰っていうんだけど調理したものを何年も保存できる食べ物なんだ。あとこれはレトルト食品でお湯で温めると食べれる」
アキラさまは缶詰を開けると私へ差し出します。やはり手が緑の光を抜けることはできず、缶詰と今度はフォークを私は受け取ります。フォークもスプーンと同じステンレス製のようでした。
缶詰というのは金属でできた容器のなかに食べ物が入っているものでした。平たい円柱形の容器は非常に薄い金属でできていて、どうすれば作れるのかわかりません。
「中身は豚の角煮。けっこう美味いからよく買ってたんだ」
豚はよく食べているのでわかります。ですがこんな黒いスープかソースを使った料理は食べたことがありません。フォークでなるべく小さいものを探して食べました。
「おいしい!」
「でしょ」
食べたことのない濃い味付けの料理ですが、間違いなく美味です。しかも言葉通りなら、これを何年間も保存できることになります。食料の保存方法と言えば干すか塩漬けなのですが、何年間も保存できるわけではありません。
「それに持ってきたのは食べ物だけじゃないんだからな!」
アキラさまは袋からまた何かを取り出しました。
「それは?」
「ナイフさ。大型ホームセンターへ行って買った、高級サバイバルナイフ! これならどんなモンスターだって一撃だ!」
それはナイフというより鉈に近い大きさのものでした。持ち手の部分がゆるく曲がっているのが特徴的です。
アキラさまはそれを持って奇声を発しながら振り回しています。その姿は訓練している神官兵と比べるのもおこがましいほどに様になってはいません。
「あっ」
アキラさまの手から抜けたナイフは回転しながら飛んでいき、私の後方のどこかに落ちたようです。幸いに誰かに当たった様子はありません。
「ハハハ……すっぽ抜ちゃってさ」
アキラさまは笑いながら頭をかいていますが、私としては冷たい目を向けるだけです。しかしそれに気付いた様子もなく、また何かを取り出します。
「これはLEDライトだ。すごい明るいだろ」
それはランタンのようなもので、たしかに炎とは違う白い光を発しています。昼間でも明るく見えるのでかなりの強さでしょう。ですが魔術の光でも同じことができます。
私が感動する様子がないのでアキラさまは次の物を取り出します。
「だめか。じゃあ、これならどうだ!」
「それは何でしょうか?」
取り出したのは何やら色とりどりの棒がたくさんです。針のように細いものや、私の手首ほどの筒もありました。一目では何に使うのかわかりません。
「これは花火だ!」
「ハナビですか? それは一体どういったものでしょうか?」
「まあ見ててよ」
アキラさまは棒の一つ、先端に薄い布のようなものがついているものを手に取ります。そして逆の手に小さな何かを持ちました。それを指でこすると小さな炎がつきました。着火用の魔術道具のようです。
その炎で棒の先端に火をつけました。すると棒の先端から音を立てて火花が噴出し始めました。私は思わず声を出してしまいます。
「ああっ!」
「はは、驚いた?」
私は驚いたわけではありません。突然の蛮行に怒りを覚えたからです。
棒の先端から出ている火花が落ちているのはそう、神聖なる勇者召喚のための魔方陣の上なのです。誰一人として立ち入ることが許されない場所。聖域であるがゆえに掃除をせずとも汚れることがない、絶対不可侵の魔方陣。その上に火花を落としているのです。たとえ魔方陣に害がなくとも許される行為ではありません。
私が目を吊り上げて睨んでいると、それに気付いたようです。
「あれ、もしかして調子悪いのイメリちゃん?」
調子が悪いのではなく、怒っているのですが。それに、イメリちゃんという呼び方も気に入りません。
「ともかく! すぐにそれをやめてください!」
「あ、ああ。花火ならもう終わるって。ほら」
やっと火花は消えました。
「でもちゃんと消化しないと危ないよな」
「ああっ!」
何を思ったのか火花を出していた棒を魔方陣の上に捨てたうえ、さらに透明な水筒を使って水をかけはじめました。神聖な魔方陣になんてことを!
私が言葉を失っているとアキラさまは「これでよし」とつぶやきます。よくありません!
「何をしているんですか! それは没収です! こちらへ渡してください!」
「そんな大声じゃなくても聞こえるって。それにどうせそっちにあげる物だったし」
光を通り抜けてきたそれを大慌てで抱きかかえ、魔方陣から引き離します。
「一体なぜこんなものを持ち込んだのですか!」
「いや持ってきたかったのは火薬だったんだけど、日本じゃ手に入るのが花火だったから」
「火薬とは何です」
「その花火に使われている、なんて言ったらいいのかな……火をつけたら爆発する粉」
「なぜそんな危ないものを!」
もしも魔方陣の上で爆発していればどんなことになったのか。顔が青くなるのが自覚できます。
「いや、本当は銃を持ってきたかったんだけど猟師じゃないから無理だし」
「ジュウとは?」
私がそう聞くと、アキラさまはあの気持ち悪い笑顔になりました。
「やっぱり銃がないんだ! チートきたー!」
「……叫ばないでください。それでジュウとは何でしょうか?」
「えーっと、こっちにも弓やクロスボウってあるでしょ? それのすごいやつって感じかな? 矢のかわりに小さな金属の弾を発射する。で、発射するときに使うのが火薬なんだ」
たしかに弓とクロスボウは知っています。ですが矢のかわりに金属の『玉』を使う武器は知りません。さらに爆発する粉を使うなんて信じられません。
「そのジュウというものの実物はないのですか」
「だから日本だと簡単に手に入らないんだって。でも、こっちで作ればいいから。ネットで調べてプリントアウトしてきたんだ!」
今度は本のようなものを手渡されました。それはたしかに本のように見えましたが、似ても似つかない材料で作られています。羊皮紙に比べるととても薄く、きれいな白色で手触りがひじょうになめらかでした。書かれていたのは文字だけでなく、詳細な図形やさらには彩色されて実物かと見間違うほどの絵が描かれていました。
「これは! あの、タスター神官長さま!」
思わず後ろに控えるタスヤー神官長さまを呼んでしまいました。この方はありとあらゆる書物を読み、多数の知識を持っていらっしゃいます。ですからこの奇妙な書物が何なのか、助言がいただけると思ったからです。
「……これは。見たこともない文字なのに読める。召喚された勇者さまとすぐにわかりあえるために言葉が通じることは知っていましたが、文字まで理解できるのですね」
タスヤー神官長さまは真剣に書物を読んでいらっしゃいます。
「どうしたのこのオッサン?」
「タスヤー神官長さまです! 言葉を慎んでください」
「偉いひとなんだ。へー、イケメンは死ね……」
最後のほうは小声で何を言っているのかわかりませんでしたが、良い言葉でないことはわかりました。
タスヤー神官長さまが私の耳にささやきました。
「……この書物に書かれていることについて質問したいのですが、頼めますか?」
「はい」
「ん? なに?」
勇者召喚には段階があり、召喚されただけでは勇者さまと儀式を行った者との繋がりがありません。この『繋がり』というのは魔術的な繋がりで、これが深くなければ勇者さまは十分な力を発揮できないとされています。その繋がりを深めるため、最初は儀式を行った者とだけ会話をするのが原則です。
まだこのアキラさまが勇者さまの可能性があるので、それを破るわけにはいきません。たとえどんなにその可能性が低いとしても……
「アキラさま。少し質問があるのですが」
「いいよ。なんでも聞いて」
タスヤー神官長さまの質問を私が伝達するという迂遠な方法で時間がかかりましたが、無事に終わりました。
「つまり銃というのは、鉄の筒のなかで火薬を爆発させて、その力で金属の塊を発射して攻撃する武器ということなのですね」
「そう、すごいでしょ。これを作れば戦争に勝利確定さ!」
「では、どうやって作るのですか?」
「え? その紙に書いてあるでしょ。ちゃんと作り方もプリントアウトしたはずだよ」
「こちらの鍛冶師たちは誰一人として銃を作ったことがありません。いくら書物があるとはいえ、いちから作り上げるのは並大抵のことではありません」
「いやでも、凄腕の鍛冶師がいるでしょ? ファンタジーだしドワーフに作ってもらえば大丈夫」
また知らない言葉です。
「ドワーフとは何ですか?」
「ドワーフっていうのは、ひげがモジャモジャで背が低くてマッチョなやつだよ。みんな凄腕の鍛冶師で伝説の武器とか作ってる」
「そちらでは、背が低くてひげの生えた鍛冶師をドワーフと呼ぶのですか?」
「そんなわけないじゃん。いやいるでしょドワーフ? そんな耳してるんだし」
「耳ですか」
私は頭の上にある耳を小さく動かす。
「そうその耳! ほら猫耳か狐耳かわからないけど、頭の上にあるケモミミ! 色もピンクだしファンタジー! そんな獣人がいるんだから、ドワーフだっているでしょ!」
何を言っているのでしょう。
「私はジュウジンではありません。人間です」
そう言うとアキラさまは目を丸くします。
「いやいや、人間っていうのは俺みたいに頭の横に耳があるやつのことだよ。君は頭の上にケモミミがあるじゃん」
アキラさまは両手で頭の両側にある『よくわからないもの』をつまんで引っぱっています。
「それが耳だったのですね。見たことがないものだったのでわかりませんでした」
「えっ? 見たことないってどういうこと?」
「こちらの人々はみんな、頭の上に耳があります。あなたのように頭の横に耳がある人間はいません」
大きさや形に毛色は個人差がありますが、人間はみんな頭の上にふたつの耳を持っています。それが当たり前なのに、頭の上に耳を持っていないアキラさまが『人間』のはずがありません。
「じゃあそっちは獣人しかいないってこと?」
「だから私はジュウジンとやらではありません。私は『人間』です」
私は怒りのあまり、耳を激しく動かしてしまいました。
耳をあまり激しく動かすことは、はしたない事とされています。とくに神官としての生活では厳しく罰せられるので、日々注意していることでしたが前日からの疲れもあって抑えることができませんでした。規律に厳しい神官長さまに見つかったらお説教されてしまうでしょう。
「ドワーフがいないなんて! じゃ、じゃあエルフも!?」
「エルフとは」
「男も女も美人揃いで、森で閉鎖的な集落に住んで魔法と弓が得意で耳が長いやつ!」
「見たことも聞いたこともありません」
「ガァッデームッ!」
アキラさまは急に頭を抱えて叫びました。さすがに意味不明すぎてため息がでます。
「…………それではアキラさま、さようなら」
「え、ちょっと待って」
これ以上何も聞きたくありません。目を閉じるとすぐに光が見え、それが消えて目を開けるとアキラさまの姿はなく、緑の光に閉ざされた魔方陣だけがありました。
「ふう……」
やはり前日とは違い、すぐに倒れそうなほど疲れてはいないようです。慣れたのかもしれません。次も儀式を行わなければならないので良い事です。
…………ですが、あと何回やればいいのでしょう。魔王の侵略が近いというのに。
振り返ると、タスヤー神官長さまが熱心にあの書物を読んでいます。
「タスヤー神官長さま」
「ああ、シスター・イメリ。無事に終わったようですね」
「はい。ですが、今回も勇者さまを召喚できませんでした……」
私が落ち込んでいると、優しく肩に手を置いてなぐさめてくれました。
「いえ、失敗ではありませんよ。この書物は役に立ちます」
「え? でもこの銃というのは火薬がないと使えないのですよね」
書物には火薬の製造方法も書かれていたのですが、私にはうまく理解できなかったのですが、タスヤー神官長さまによるとかなり難しいと言っていたはずです。
「ええ。ですがかわりに魔術を使えばうまくいくかもしれません。すぐには無理でしょうが研究する価値はありそうです。すぐに神殿長さまにお伝えしなければ。ああそうだ、体調はどうですか? 昨日は倒れてしまいそうでしたが?」
「はい。それが慣れたようで、今日はそこまで疲れていません」
「それはよかった。ですが無理は禁物ですよ」
私とタスヤー神官長さまは周囲を神官兵たちに守られながら大きな扉を通り抜けます。魔方陣がある場所に行くには、この扉を通らなければなりません。常に何十人もの警備が立っているので誰であっても忍び込むことは不可能です。
誰もいないことを確認すると、数人がかりで巨大な扉が閉められました。
さあ、明日こそ絶対に勇者さまを召喚して見せます!
…………結果から言うと、召喚されたのはまたもアキラさまでした。
ですが以前とは明らかに様子が違いました。
外見がどう見ても別人だったからです。
「……あなたが勇者さまですか?」
「そうだよー。俺が勇者のアキラさまだ! ってイメリちゃん、俺の顔忘れちゃった?」
「え、ええっ! アキラさまなのですか! 顔がまったく違っているのですが」
「へ? そんなわけないでしょ」
私は頼み手鏡を持ってきてもらうと、アキラさまに手渡しました。それをのぞき込むとアキラさまはひどく驚きました。
「これが俺!? めっちゃイケメンだし金髪だ!」
以前のアキラさまは黒い髪と瞳だったのですが、今は美しい金髪と青く澄んだ瞳になっています。
さらに顔も変化していて、脂肪のついていた頬は引き締まって細くなり、低かった鼻も高くなっていました。私から見ても均整のとれた美しい顔立ちをしています。
さらには声も変化していて、聞きほれそうなほどの美声です。
「そういやなんだか服がブカブカだなあと思ってたんだよな」
体も無駄についていた脂肪がなくなっていて、さらに筋肉がついているように見えます。神官兵と比べても遜色ありません。
「でもさ、なんで俺の体がこんなことになってんの?」
「……おそらく勇者召喚の儀式の効果だと思います」
「なるほど! これがチートか! そういえば力がわいてくるような気がする」
アキラさまはその場で急に跳躍しました。その高さは五テトほどもあります。見上げた私は驚きでつい口を開けてしまいました。
「うおおおおお、なんだこれ? すげえジャンプした」
するとアキラさまは次々と拳を突き出しはじめました。最初は何をしているのかと思いましたが、これはどうやら誰かを殴る真似をしている様子です。
その両腕の速さはすさまじいもので、腕の動きは私の目には見えません。まるで肩から先の腕が消えているかのようです。しかし実際は拳を突き出しているようで、それによっておきる風の音は大きく、その威力を物語っていました。
「うっわ俺のパンチやべえ。世界チャンプ狙えるな」
アキラさまがはしゃいでいると、いつの間にかタスヤー神官長さまが近づいていました。
「……彼はアキラさまなのですか? 姿がまったく違うように見えますが」
「はい。たしかにアキラさまです。おそらくこれが勇者召喚の儀式の効果なのではないでしょうか」
アキラさまは手のひらを突き出して何かを叫んでいます。
「ファイアー! サンダー! フリーズ! ううむ、魔法は使えないのか」
そんなアキラさまを見てしばらく何かを考えていたタスヤー神官長さまは、私にささやきます。
「本当に勇者なのか試してみましょう」
タスヤー神官長さまは控えていた神官に、巨大な斧を持ってくるように命じました。十人がかりでやっと運べるような重さです。
「何このでっかい斧」
「これはその昔に召喚された勇者さまが使っていたとされる武器です。これを使えるかどうかやってみてください」
「ええー?」
この斧は柄の太さが人間が使えるようなものではなく、ほとんど丸太と同じです。なので刃の大きさもありえない大きさとなっています。刃渡りだけで大人の伸長をゆうに超えます。
アキラさまはまたも緑の光から外に出られなかったので、苦労して斧を魔方陣の中へ入れました。そしてアキラさまは太い柄を両腕で抱えこみ、簡単に持ち上げてしまいました。
「なんでこんなに軽いんだ?」
「すごい! アキラさまは本当に勇者さまだったのですね」
私が感動していると、タスヤー神官長さまが話しかけてきます。
「ですがそうだとしたら、なぜ魔方陣の外へ出られないのでしょう」
たしかにこのままでは、魔王と戦うことはできません。
「もしかして、まだ勇者さまとしての力が足りないのではないでしょうか」
「足りない、ですか?」
「はい。アキラさまを召喚したのはこれが三回目です。三回目でこれほど変化するなら、四回目五回目となれば、さらに強くなるのではないでしょうか」
「なるほど。それはあり得ますね」
まだ何かをつぶやいているアキラさまに話しかけます。
「アキラさま、今日はここまでです」
「どういうこと?」
「もとの場所へ帰っていただきます」
「ちょっと待って! 俺強くなったじゃん!」
「はい。ですから次の召喚のときにはさらに強くなっているでしょう。では、また」
「えっ、次って?」
目を閉じると光が見え、そして目を開けるとやはりアキラさまは消えていました。
「明日が楽しみですね」
「はい」
タスヤー神官長さまに笑顔で答えました。
四回目に召喚したアキラさまは頭から角がはえていました。
服装は白色の裾の長い上着を羽織っているだけでした。さらに裸足で髪の毛も少し濡れています。上着の下には何も身に着けていないので、水浴びでもしていたのかもしれません。
アキラさまは私に向かって駆け寄ってくると、そのまま緑の光にぶつかりました。かなりの勢いだったようで音がしました。
「くそー、抱きしめようと思ったのに」
「どうされましたかアキラさま?」
「ああ、イメリちゃんにお礼を言いたくて! イケメンになったおかげで、めちゃくちゃ女の子にモテるようになったんだよ! おかげでこの二週間は最高だった。さっきもホテルでナンパした子と……おっと、イメリちゃんにはまだ早いか」
どうやらアキラさまは召喚されるまで二週間ほど過ごしていたようです。こちらでは一日しか経過していません。時間の流れ方がずれているのでしょう。
「体の調子はどうでしょうか」
「絶好調だよ! でも、何だかこう胸の奥からあふれ出すものが……はっ、これが魔力!」
アキラさまは手のひらを前に向けて叫びました。
「ファイヤー!」
「きゃあ!」
突然目の前が赤い炎で覆われてしまい、驚いて倒れてしまいました。
「あっ、ゴメン。 でも、やった! ついに魔法が使えるようになったぞ!」
アキラさまは何度も手から炎を出して遊んでいます。つい呆れてしまいそうになりましたが、強くなるのは良い事です。私はお尻の汚れをはらいながら立ち上がります。
「では、アキラさん。さようなら。次はもっと強くなってください」
「ええー? もうちょっと話を……」
目を閉じて開ければ、もうアキラさまはいません。もう一瞬目を閉じれば儀式が可能なのほどに慣れてきました。ですが連続で召喚した場合に何が起こるかわかりません。危険を犯すより安全をとり、一日に一回だけ召喚の儀式を行うように決めました。
五回目の召喚では、見るだけでアキラさまが強くなっていることがわかりました。
まず身長が三倍ほどになっています。筋肉は三倍どころではないほど大きく発達していて、あの斧でも楽々振り回せるでしょう。髪の毛は無くなっていてきれいに禿げあがっていました。
中でも一番目に付く変化は肌の色です。緑色になっています。見るからに分厚く頑丈そうでした。
「イメリ、オレ、ドウナッテル? カラダ、オオキイ、キガスル……」
なぜか喋り方がたどたどしくなっていますが、きちんと意思疎通はできているので大丈夫でしょう。これなら期待できます。
ですが今回も緑の光を通り抜けることはできませんでした。残念です。
「ハラヘッタ……」
帰ったら向こうで食べてください。では、さようなら。
六回目の召喚ではさらに見た目が強そうになっていました。
身長はさらに大きくなっていて、人間ぐらいなら踏みつぶせそうなほどです。全身を頑丈そうな鱗がびっしりと覆っています。頭も変化していて、口は大きく前へ伸びていて巨大な牙が並んでいました。手足にも巨大な爪があり、大木でも簡単に切り倒せそうです。
「まるでドラゴンのようです」
嬉しくなってアキラさまを見上げていると、口から何かがこぼれ落ちてきました。
「これは、最初に見たアキラさまの顔と似ていますね。髪の毛と瞳が黒い」
いくら『人間』ではないといえ、自分と似たような見た目の生首を見ると気分が良くありません。首の切断面からは赤い血が流れ出ています。
「ああっ! 魔方陣が汚れてしまいます!」
そう慌てていると、他のものが転がっていることに気付きました。
「アキラさま。あれをこちらへ渡してください。あと、その首も」
『ギュル(わかった)』
口の形が変わってしまったので、以前と同じようには喋れないようです。ですがちゃんと意思疎通ができるので問題ありません。
「これはなんでしょう? 黒い鉄の塊?」
『グギャ、ギギッ(銃。警官に撃たれた)』
この鉄の塊がジュウらしいです。研究しているタスヤー神官長に渡せば喜ばれるでしょう。そして生首がケイカンらしいです。
『キャキャギャ(警官うまい)』
今回も外へ出ることは無理でした。次こそは。
七回目の召喚では、さらにひと回り体が大きくなっていました。翼を広げると魔方陣とほぼ同じ大きさです。
今回の召喚で、アキラさまには翼が生えました。とても大きく力強い、ドラゴンとおなじような皮膜の翼です。
見た目もまさにドラゴンと同じで、体を覆っていた鱗は大きくなりまるで岩のようです。鱗の色も変化して暗い赤色になり、瞳の色は緑色になりました。縦に割れた瞳孔が静かに私を見下ろしています。
最初に召喚されたアキラさまのような浮ついた様子はなく、まさに勇者さまといった風格が全身から漂っていました。これなら確実に魔王に勝てるはずです!
ただ召喚されたのはアキラさまだけではありませんでした。よくわからない鉄の箱のようなものがいくつも転がっています。箱はへこんでいたり穴が開いていたり、何かで切り裂かれたような傷がいくつもついています。
「これは何ですかアキラさま」
『電車と自動車と戦車だ。向こうの世界の乗り物だ』
「そうですか。ではまわりに転がっているこれは?」
ほかにも緑や茶色でまだらに染められた服を着ている生物の死体が、いくつも召喚されていました。ジュウもいくつか落ちています。この生物も全員黒い髪の毛と瞳なので、アキラさまと同じなのでしょう。耳も顔の横にありますし。
『自衛隊。向こうの世界の兵士だ』
つまりアキラさまを狩ろうとしていたのでしょうか。勇者さまに敵対するなんて何を考えているのでしょう。まあ、アキラさまが無事なのでどうでもいいです。
するとふいに魔方陣を閉ざしていた緑の光が消えました。
「これは! アキラさま、こちらへ」
アキラさまは大きな音を立てながらゆっくりと歩き、そして魔方陣の外へ足を踏み出しました。
「ああ! ついに勇者さまとして認められたのですね!」
感動のあまりその場で跪くと神に祈りを捧げます。後ろに控えていた神官たちも同じように祈りを捧げています。
その時、騒々しい足音をたてながら神官兵が走りこんできました。
「緊急の報告です! ついに魔王が侵略を開始したそうです!」
私はすぐに立ち上がると、はるか頭上にあるアキラさまの緑の瞳を見つめます。
わかっていると言うように、ちいさく頷いてくれました。
「行きましょう、魔王を倒しに!」
アキラさまは空へと咆哮しました。とても力強いその声は、魔王をも震え上がらせたでしょう。
ただ叫んだ拍子に、口から腕や足がいくつかこぼれ落ちてきました。食べ残しですね。
魔王を倒したあとには、もっとおいしいものを食べさせてあげましょう。それとも魔王を食べてしまったほうがいいのでしょうか。
「魔王、食べてみたいですか?」
『魔王か。食べてみたいな。向こうの人間は食べ飽きた』
勇者にふさわしいあなた 山本アヒコ @lostoman916
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