月のお姫さま

緋14 E奈

月のお姫さま



「わたし、そろそろ月に帰らなくてはいけないの」





あれは、空が真っ赤に染まる頃。僕の部屋で愛猫と戯れていた先輩は突然、そんなことを切り出した。いつもと何も変わらない口調で言うものだから、てっきり家に帰るくらいの意味かと思えた。しかし、そうではないらしい。大きな感情の変化は見られないが、どこか真剣な雰囲気を感じた。


曰く、先輩は月からやってきたお姫さまらしい。なんでも、幼い頃に大変な悪さをしでかしたそうで、当分頭を冷やしてこいと、月から追い出されてしまった……とのこと。しかし、その勘定も今夜で終わり、故郷である月に戻らなくてはならないのだという。


なぜ、そんな大事な話を今まで黙っていたのか、という文句が喉まで来たけれど、すんでのところで吞み込んでしまった。そんなことよりも、別の言葉があふれ出した。


先輩は、どうしても月に帰らなければならないのか。この町に、留まることはできないのか。



「ごめんなさい、それは無理な話なの」



膝元で丸くなっている愛猫を優しく撫でながら、先輩は首を横に振った。


清算が終わっただけで、先輩の犯した罪がなくなったわけではない。その罪の償いを行うべく、彼女は月に帰らなければならないのだと。儚げな面持ちで目を伏せる先輩の姿に、僕の心はやるせなさで埋め尽くされてしまう。


 それほどまでに、彼女の犯した罪は重いのだろうか。



「一体何をしたのか、聞いてもいいですか」


「いいわよ。と言っても、別に大したことではないの。ただ、十五夜の日に、家の周りを盗んだ牛車で走り回っていただけ。最終的に制御ができなくなって、家の中に突っ込んでしまったわ」



 どうやら、幼き頃の先輩は相当な暴れん坊だったらしい。月の規則は知らないが、未成年による無免許運転及び器物破損。思った以上に重い罪だった。


あきれる僕をよそに、先輩はカバンに手を突っ込んだ。中から取り出したものは、片手で持てるほどの小さな巾着袋だった。



「あの、先輩。これは……」


「これはね、私の家に古くから伝わっている秘伝の薬よ。家から追い出される前に、くすねて来たの」



 先輩の口から、更なる罪の告白が出てきた。この人、もっと他に色々とやらかしてるのではないか?


先輩の手から巾着袋を受け取り、紐をほどいて中を見る。白い粉末のものが、袋に直接入っていた。なんとなく触れてみると、粉はさらりと手から滑り落ちる。薬……というより、小麦粉に近い感触だった。



「どんな怪我や病気だって治せる代物だから、大事に使ってね」


「それはまた、珍しいものを……」


「それだけじゃない、老いも死もなくなるわ。なんたって、『不老不死の薬』だもの」



 当然といった先輩の言葉に、僕は思わず袋を落としそうになった。なんだか危ない薬のようだとは感じてしまったが、まさか本当に危ない代物だとは。先輩が、僕の様子に首を傾げるけれど、正直それどころではない。なんてものを渡すんだ、この人は。間違えて口に含んでいたら、大惨事になるところだったのだが。



「え、いらない? とても便利なものだと思うのだけれど」


「いらないに決まってます。なんですか、不老不死って。もの凄く怖いんですけど」


「心躍る品だと思ったのだけれど……残念だわ」

 


確かに、興味の湧く品ではあるけれど、そもそも使いたいとは思わない。漫画や小説ではあるまいし、そんな物騒なものが必要になる展開なんて、この平和な現代には永久に訪れないのだから。



「まあ、持ってて困るようなものではないし、受け取って貰えると嬉しいわ。これが、最後の品になるのだから」



 最後と言われると、押し返せるものではなくなってしまう。仕方なく受け取ることにするが、他にもっと何かなかったのだろうか。いや、毎度この先輩は、用途や生産地も分からないものばかりくれていたように思う。いつも通り、通常運転なのかもしれない。



「月に戻る準備もしなきゃいけないし、そろそろ帰るわね」



 先輩はそう言うと立ち上がり、愛猫を抱えた。腕の中にすっぽり収まっている愛猫は、先輩が帰宅することを悟ったのか、彼女の腕の中から僕に向かって飛び降りた。顔面に見事着地するあたり、こいつは僕が飼い主であることを理解していないんじゃないか。

 

 気が付けば、先輩の姿が消えていた。僕が愛猫と格闘している間に帰ってしまったのだろう。今日で最後だというのに、何ともあっけない別れである。いや、いつもこんな風に別れている。何もかもがいつも通りなものだから、実感が湧かない。



 僕は一体、どうすればよかったのだろう。



 落とした視線の先、愛猫が何か感じたのか、慰めるように優しく、僕の指先を舐めた。








         *








 「ほう。つまり、君はその先輩とやらの背中を追うことなく、ただぼうっと猫を眺めていただけと。そんなことがあったんだねぇ」



 僕の別れ話を聞いて、嫌味を含んだ物言いと表情を向けてくる旧友に、僕は肩をすくめた。


あれから約十年と月日が流れ、僕も立派とは言い難いが社会の一員となったけれど。

結局、先輩とは別れたまま、どうすればよかったのか分らないまま、今日まで来てしまった。


 何となく旧友の働く古本屋に足を踏み入れ、暇だから何か話をしろと言われて今に至るにだが、何だかからかわれているようで、少しばかり気まずい。

君は、猫と恋人なら迷わず猫を選ぶ男なのだね、と笑われる始末だった。


 いや、確かに恋人であった先輩が大事なのは言わずもがなだが、正直幼稚園からの付き合いである愛猫も、そう捨てづらいものだった。


 だから、君は愛想をつかれたんじゃないか?と、旧友は更に言う。いい加減、僕で遊ぶのはやめて欲しい。これでも結構傷付いてるんだ。



「いやぁ、久し振りなものだからね、つい。でも、そろそろあの日のことは忘れて、いいお嫁さんを貰うべきだと思うけれど? 君は、変な奴に好かれやすいからね。結婚詐欺とかには、気を付けるんだよ~」



 言いたい放題に笑う彼女に、僕は乾いた笑みをこぼす。変な奴に好かれる、に関しては全力で頭を振りたいところだったが、全くもって反論の余地がなかった。先輩は問題ないが、その他の愉快な仲間たちについては、触れたくないところである。むしろ、記憶の中から消去したい。



「で、どうなの。答えは見つかったかい」



 旧友の言葉に、僕は少し考えてみる。十年、という月日の中、あの日のことを片時も忘れなかった……と言えば、噓になる。



「実際、今話すまで忘れてた気が……」


「君、実は情が無いね? 人の心ってものが無いのかい?」


「お前にだけは、言われたくない……けど、まあ」



そうだなあ。



「貰った薬を、目の前で食べてやってもよかったなあ、とは思ったよ」



 僕の答えに、旧友は楽しそうに笑って、



「いや、他にもっと何かあったんじゃないの」



 ごもっともな返答だった。どうやら、即席かつ適当に考えた答えでは駄目だったようだ。


 もっと他に……と考えていると、ポーンと気の抜けた音が響いた。音のするほうに目を向けると、店の時計が六時を知らせていた。



「もう、こんな時間か。ごめん、仕事だったのに」


「構わないよ。客なんて、めったに来ないからね」



自慢げに言うが、それは問題じゃないか? 彼女の生計が急に心配になってきた。



「あ、そうだ。最後にひとつ」



重い腰と荷物をあげ、そろそろ帰るべく店を出ようとすると、旧友が呼び止めた。



「まさか、あの不老不死の薬とかいう謎の物体、今更食べようとはしてないだろうね?」

 


 先ほどの発言で気になったのだろうか。旧友の言葉に、僕は敢えて笑顔だけを返した。不満げな声が背後から追ってくるが、僕は知らぬふりでその場から離れる。



 十年。



 気が付けば、それだけの長い年月が流れたのか。社会人になってからというもの、毎日が忙しすぎて思い出に浸ることがなかったように思える。

 今頃、どこで何をしているのだろう。僕のことは覚えてくれているのだろうか。周りの迷惑になることはしてないか、困らせてはいないか。

案外、僕のことはきれいさっぱり忘れて、新しい恋人でも作ってるのかもしれない。

……それは、とても複雑な気持ちになるな。


ふと、空を見上げた。太陽の名残りが色づいた、茜色の空。薄っすらと姿の見える月を眺めた。


いつか、先輩に会えることを少しだけ期待して、僕はキャットフードの入った重い袋を、空いた右手へと持ち直した。







                  了

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