Season2

S2 Episode1 新生活

s2 ep1-1

 中野なかのみなとの同居人、坂上さかがみけいの周りには、アクの強い……我の強い? それとも、マイペースと表現すべきか……まぁ平たく言えば、個性的な人物が多い。

 中でも、最も身近なポジションにいる数人は彼のよき理解者でもあり、長年支えとなってきた友人でもある。

 ただし坂上本人に言わせれば「友人なんかじゃない」らしい酒屋兼情報屋──いま、目の前のひとり掛けソファで渋面を引っ提げてる冨賀とみがも、そのひとりだ。


「猫を捜すだぁ? 本気で言ってんのか?」

「本気だったら何なんだ?」

 平素と変わらぬ起伏のなさで坂上が答えると、冨賀はこれ見よがしの溜め息を吐いてジーンズのポケットから潰れた煙草のパッケージを引っぱり出した。が、坂上の視線に気づいて、二度目の溜め息とともにソイツをテーブルに放った。

 この建物内は全面禁煙だから、スモーカーが煙を喫したければ嵐だろうが猛暑だろうが屋上にいくしかない。

 中野はキッチンカウンタのスツールに座って彼らを傍観しながら、手にしたボトルビールを傾けた。

 本日の銘柄はBLUE MOON。最近コイツにお目にかかることが多い気がするけど、酒屋がうっかり仕入れ過ぎたりでもしたんだろうか?

「ンなの、いるだろ? なんかほら専門の業者が」

「つまり、お前よりもそこらのペット探偵のほうが優秀だって認めるんだな」

「そうじゃねぇけど、餅は餅屋に任せりゃよくねぇか。いくら紙屋の紹介だつってもよォ……」

 冨賀のボヤきに登場したカミヤというのは『神谷』や『加宮』じゃなく正真正銘『紙屋』で、身分証やパスポートの偽造屋を指す隠語だと聞いていた。

 坂上と親しい紙屋は、江戸川橋にある印刷製本加工の町工場を継いだ二代目という文字通りの紙屋らしいけど、中野はまだ会ったことがない。

「大体、猫一匹捜していくらになるんだよ」

 ルーズな姿勢で脚を組んだ冨賀が、まるでやる気のない声音を投げた。

「俺が安くねぇのはわかってるよな? そんな仕事で、高額な外注費を差し引いても利益が残んのかよ?」

「一般的なペット探偵は料金設定がまちまちで相場は一概に言えないけど、今回の客は桁が違う。着手金だけでゼロが五つ付いてるし、基本料金も成功報酬も相当な額になる。一応言っとくけど、うちじゃなくて向こうの言い値だからな」

 クソ真面目な口ぶりで応じたのは同居人でもなければ、もちろん中野でもない。隣のスツールでやり取りを眺めていた草食系男子──元同僚の新井あらいだった。

 かつて中野のガードとして派遣されていた警備会社の社員が何故、酒屋相手に猫捜しの契約内容なんか解説しなきゃならないのか。彼の言う「うち」ってのは何なのか。

 長年、無償で坂上に協力してきたという情報屋が今さら高額な外注費を取る事情も引っくるめ、根っこはみんな同じところにある。



 亡父が仕掛けた荒唐無稽な争続ゲーム終結から、およそ十カ月が過ぎた頃。中野と坂上は小さな会社を立ち上げた。

 と言っても、何かを背負って立つような気概に縁のない中野はサラリーマンという身分に満足していたし、別に脱サラしたわけじゃない。正しくは坂上の起業に出資したというだけだ。

 おそらく七面倒なルートを経て、ひっそりと転がり込んできたオフショア口座の莫大な遺産を持て余していたことと、ノリで坂上に漏らした「俺も出資するから何かやってみたら?」という発言を撤回する理由がなかった結果、なりゆきで株式を保有する羽目になった。ただし大した額じゃない。何しろ、最低限の費用で設立した会社だ。

 事業内容は助けを必要とするどこかの誰かのお手伝い。依頼の手段は知人の紹介のみ。看板もない、広告も出さない、ネットに情報も晒さない。

 商号、いづみ代行サービス株式会社。所在地は中野坂上。

 名前はもちろん、爆破されてしまった『いづみ食堂』に由来する。昭和レトロな定食屋の跡地に四階建ての白い直方体は、一階がクルマ二台分のガレージ兼エントランス、二階が中野と坂上の居住スペース、三階は坂上の玩具箱──武器庫だの射撃ルームだの、中野は与り知らぬフロア。

 会社のオフィスがある最上階には、トレーニングジムやシャワールーム、仮眠室といった福利厚生も完備。客が訪ねてくる場合は四階までご足労願うわけだから、ホームエレベータも設置した。

 屋上には物干し台と喫煙所……とは名ばかりの、ポツンと置かれた灰皿がひとつ。工事現場なんかにあるような、スタンドに載っかってる赤い箱形のヤツだ。ちなみに、地下室は埋め戻したからもう存在しない。

 二階と三階だけは屋内で繋がっていて、それ以外はエレベータか外階段を使用。

 エレベータのボタンを押すには顔認証をパスするか、各階ごとに異なる八桁のパスコードが必要になる。仕事の来客が使う場合は、一階からインターホンを鳴らしてもらって最上階でロック解除後、直通運転で運ばれてくる。

 ふたりの自宅が低層階にある理由は言うまでもなく、そのほうがいざってときには何かと有利だから。そもそも中野の基準では、一階まで降りた途端に忘れものに気づいて戻るようなリスクを考えたら、少なくとも四階以上での日常生活などという非効率は自ら好んで選択するものじゃない。

 それにしても、自分が地面に根っこの生えた荷物を造ることになろうとは、少し前までの中野なら想像だにしなかった。

 人生ってのは全く、予想外の連続で成り立っているものだ。同居人だって、まさか世界を股にかけた殺し屋から便利屋稼業の経営者に転身するとは思ってもみなかっただろう。

 会社の人員構成は、坂上のほかに社員がひとり。

 それが、転職してきた新井だった。

 一連の騒動が片づいたあと、エージェントたちは一カ月のリフレッシュ休暇を挟んで、それぞれ次のミッションに就いていた。

 ところが数カ月後、任務をひとつ終えた先輩エージェントが突然退職すると言い出した。決意の理由は知らない。聞いてほしそうな素振りもないから尋ねてもいない。

 だけど、あぁいう仕事を辞めるのはギャングの組織を抜けるのと同じくらい難しいんじゃないか──? そんな中野の懸念をよそに元同僚は無事『脱退』して、生まれたての零細企業に移ってきた。

 一方で情報屋、武器商人、システム屋の三人は以前と変わらないスタンスで坂上に協力している。違うのは、合法な名目で外注費を支払って帳簿に載せている点くらいか。

 今も組織に所属するエージェント女子のヒカルも、時間と興味さえあれば手を貸してくれるけど、彼女の場合は勤務先が副業を禁じているから適当な経費でバイト代を計上しなきゃならない。

 坂上が復活させた行徳の元実家は、当面の間クリスに管理してもらうことで落ち着いた。

 ただしこの数カ月、彼は中野の母、可南子が物騒なミッションを請け負って回るに同行中だったから、その間は中野と坂上が定期的に家の様子を見にいき、旧江戸川沿いでのんびりと休日を過ごしていた。

 が、そのルーティンも、そろそろ終わりを迎える。

 来週にはクリスが帰ってくるからだ。



「ったく、カネ持ちの考えることはわかんねぇな」

 料金の説明を聞いた酒屋が、呆れ返った風情で吐き捨てた。

「猫一匹捜すために中古車一台買えそうなカネをはたくってわけか?」

「猫だろうが犬だろうが人間だろうが、クライアントにとっちゃ家族に違いないってことだろ」

 答えたのは元同僚だ。

「けど今どきマイクロチップとかあんだろ? ンな大金払おうってぐらいの猫なのに着いてねぇのかよ」

「つい最近引き取ったばっかりの保護猫で、近々予定してたけどその前に脱走したらしい。──で?」

 新井の最後の一語は坂上に向けたものだった。

「どうやるんだ?」

「任せる、冨賀と組んでくれ」

「おい待てよ」

 指名された外注業者が声を上げた。

「組むって何だよ、俺の仕事は情報収集だけだろ? まさか、猫に罠仕掛けるカゴ持ってあちこちウロつけとか言わねぇよな?」

「だったら何だ?」

 訊き返した坂上がビールを干すのを見て、中野は立ち上がった。

 冷蔵庫から新しいボトルを出そうとしたとき、何故か袋ごと冷やされていた煎餅──コンビニのプライベートブランドのアソートパックだった──に気づき、試しにビールと一緒に持って戻ると、同居人は何も言わずにバリッと開封して食いはじめた。そろそろ腹が減ってきたのかもしれない。

 情報屋が対岸から手を伸ばして一枚奪い、個包装を開けながら異論を垂れた。

「あのな、俺はお前らと違ってアクションに身体を張ったりしねぇインドア担当なんだよ」

「毎日プロテイン飲んで酒の配達で飛び回ってるヤツのどこがインドアなんだよ?」

 これは新井。

「おぉ? 飛び回ってるって認めたな? その通り、俺は本業で忙しいんだ。そこの株主さまはビールを運ぶぐらいしか役に立たねぇリーマンだとしても、猫捜しなんか社長と社員のコンビでやりゃあよくねぇか」

「俺の手が空かないから言ってんだ」

 一蹴した社長がボトルをひと口呷り、続けた。

「来週クリスが戻るまでに千葉でやっておくことがいろいろあるし、お前の本業こそ社員に任せてりゃいいだろ。カネを払うんだから黙って仕事しろよ」

「お前なぁ……てか俺じゃなくても、アンナだっているじゃねぇか?」

「仕入れでセルビアにいってて、週末まで戻らない」

「あぁそうだっけ。だとしてもな、ケイ──」

 過去とともに『K』の名も捨てた坂上を、周囲の仲間たちは『ケイ』と呼ぶようになっていた。

 これまでの通称と音が近いから違和感がないというのもあるし、何と言っても彼の本名だ。が、そう理解していても少々面白くないのは、正直な気持ちだから仕方がない。

「どうしても本業そっちのけで手伝ってもらいてぇんなら、俺に何か言うべきことがあるんじゃねぇのかよ?」

「──」

 ソファに背を預けてふんぞり返る酒屋の視線を無言で受け止めたは、やがて煎餅をモグモグし終えてからおもむろに口を開いた。

 そして普段どおりの抑揚に欠ける口ぶりで、静かにこう言った。

「そうだな、確かに言葉が足りなかった。冨賀……」

「あぁ」

「心配しなくても、猫捜しにアクションは必要ない」

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