番外編

Side-story Ⅰ 情報屋

ss1 前

 配送を終えて昼メシを食い始めたときには、既に十五時近くなっていた。

 今日は楽勝のはずだったのに、受注の手違いがあったおかげでこの時間だ。

 ただでさえクソ暑くてイラつくってのに腹は立つし減るし、そんな日に限って渋滞にハマるし、しかも原因は救急車の横っ腹に霊柩車が突っ込んだとかいう縁起でもない事故だとくるし、ようやく抜けてアクセルを踏み込んだところに客がヒステリックな催促の電話を寄越しやがる。

 どいつもコイツも──

 舌打ちする間も惜しんで油そばをひと口掻っ込んだ途端、スマホがメッセージの着信を告げた。

 で、結局は引っ込めたはずの舌打ちを漏らして、冨賀は画面をタップした。

 メシを邪魔したのは仕事の依頼だった。ただし本業である酒屋稼業じゃなくて副業のほうだ。

 副業と言っても大したものじゃない。酒の配送で夜営業の店を巡るうち、気づけば副次的に広がっていた人的ネットワーク。ソイツを駆使して入手できる情報を売買するだけのちょっとした小遣い稼ぎで、このときも人ひとりの居所を売るだけの些細な仕事に過ぎなかった。

 対象は、特殊詐欺グループのカネを持ち逃げした受け子の女子大生とやら。

 一緒にしていた彼氏が血眼になって捜してるとかいう話で、依頼から情報提供までに費やした時間は丸一日。素人の若い女ひとりが行方をくらましてみたところで高が知れてるってものだった。

 が。

 これといった手間もなく済み、すぐに忘れ去るはずだった案件は、思いも寄らない方向から冨賀のもとへと跳ね返ってきた。



 数日後、仕事を終えて酒屋に戻った冨賀は、事務所の前を通り過ぎようとして足を止めた。

 開けっぱなしの入り口から漏れてきた音声の何かが引っかかり、右から左に抜けかけたものを頭に引き戻しながら中を覗くと、一日中点けっぱなしのテレビが刺殺事件を報じてる最中だった。

「──さんは、胸や顔などを複数箇所刺されていたということです。警察の話では……」

 合成ボイスみたいに無機質な女性キャスターの言によれば、被害者は二十一歳の女子大生。高校時代の同級生だという容疑者は当時から執拗に彼女に付き纏い、家族にまで及ぶ嫌がらせを繰り返していたらしい。

 今どき目新しくもないストーカー事件。

 数日前にも何度目かの相談を受けていたという警察が何かしてやったのかは知らないが、冨賀の神経に障ったのは三十八箇所も刺されて死亡したという被害者の名前だった。

 単なる同姓同名かもしれない。しかし音だけじゃなく画面のテロップを見る限り、字面にも見憶えがあった。先日、居所の情報を客に売った女と全く同じフルネームだ。

 ──冗談だろ?

 内心で吐き捨てるそばから込み上げてきた胸クソ悪さは、ワンクッションで責任転嫁に向きを変え、面倒臭さと己への言い訳に掏り替わった。

 殺された女には気の毒だけど、詐欺グループのカネを持ち逃げした女を捜してるとしか聞かされてなかったんだから仕方がない。

「こわい世の中になったわよねぇ」

 同情と憤りと好奇心が綯い交ぜになった声で、経理のパートさんがしみじみと嘆息した。

 こんな事件、別に今の世の中に限ったことじゃねぇだろ──と思ったものの、口に出す愚は犯さない。いくら冨賀が雇い主でも、家族経営に毛が生えた程度の小売業者となれば親の代から勤めてるオバチャンのほうが上位にいるというものだ。

 冨賀は適当に調子を合わせてその場を離れると、屋外に出て裏の駐車スペースに停めてあった仕事用のステーションワゴンに乗り込んだ。

 のんびり宅飲みでもするつもりだった今夜の気分は、すっかり消え失せてしまった。

 関係のある女を何人か頭に浮かべ、まず連絡してみる相手を考えながらエンジンをかけたとき、助手席のドアが開いた。



 滑り込んできた人物が知らないヤツだってことに、すぐには気づかなかった。

 むしろ冨賀自身、何か忘れてる約束でもあったっけ? と予定を反芻したほどだ。それくらい、あまりにも当然のような振る舞いだった。

 しかしナビシートに収まった人物をどれだけ眺めても、記憶にあるどの顔とも一致しない。というより一致するのか否かがわからない。

 知ってる顔なのか、知らない顔なのか。

 おかしなことに、それだけのことがはっきりしない。

 特徴に欠ける目鼻立ちのせいだろうか? かと言って、パーツの造作がシンプルすぎるわけでもないし、それどころか顔面偏差値としては平均を超えてると思う。にもかかわらず、何故か目の前から消えた途端に忘れてしまいそうな謎の面構え。

 年齢は多分、二十代。ただし前半か後半かの予想は難しい。

 これくらいの歳のヤツなら国内にごまんといそうな中背、痩躯。癖のない黒髪は極めて平凡な長さ。ファッションは無地の黒いパーカーにブラックジーンズで、足元はグレーのコンバース 。

 脳内を飛び交う疑問符の中から、やがてひとつの答えが浮かび上がってきた。

 こんなにも憶えられそうにないヤツと知り合った記憶はない、という確信だ。

 ──誰だお前?

 ようやくその質問をするために口を開いたとき、冨賀は男の脇腹あたりからこちらを狙う黒っぽい鉄の穴に気づいた。物慣れた構えで向けて寄越すソイツは、何かの間違いでない限り拳銃の形をしていた。

 本物か。モデルガンか。眺めたところで見分けられる知識もないのについ凝視していると、外観の印象以上に起伏のない声が淡々とこう告げた。

「先週、女の情報を売ったな」

「あぁ……?」

「先週、女の情報を売ったよな?」

 イエスと答えたらどうするつもりなのか。

 冨賀は黒い穴を見つめて思案した。逆に、ノーと吐いたら?

 数秒経過する間に男がひとつ瞬いた。印象の希薄さに反して、不思議と目を惹く動作だった。

「まさか日本語がわからねぇのか」

「いや──」

「だよな。もう一度訊いたほうがいいか? 俺の忍耐が続くうちは、いくらでも質問を繰り返してやる」

「売ったって言ったら何なんだよ?」

 冨賀は素早く開き直った。

 前触れもなく忍耐が切れていきなり弾かれるよりは、今のうちに観念したほうがまだマシな気がしたからだ。

「あんたは何なんだ、その子の兄貴か? 彼氏か? それとも彼氏気取りの勘違い野郎か?」

「どれでもない赤の他人だ」

「赤の他人が何の用事でそんな物騒なモン持って乗り込んでくんだよ」

「その女がどうなったか知ってるか?」

「タイムリーな質問だな、ついさっきテレビで知ったよ。でも言っとくけど殺されちまったのは俺の責任じゃねぇ。俺はな、その子が詐欺グループのカネを持ち逃げしたって聞いてたんだぜ? で、彼氏が探し回ってるってな? ストーカーだの何だの、ンなのひとことも知らされてなかったんだからしょうがねぇだろ」

「その真偽まで調べるのが情報屋じゃねぇのか。お前の半端な仕事が罪もない女ひとりを死に追い遣ったことについて、どう思ってんだ」

「悪かったと思ってるよ」

 言った途端こめかみに銃口を捩じ込まれ、勢いで反対側のこめかみをドアガラスにぶつけそうになった。

 頬のそばで平坦な声が囁いた。

「お前も死んでみるか」

「おい──」

「何なら彼女が刺された回数と同じ、三十八発ブチ込んでやろうか? けど安心しろ。簡単には死なねぇ場所だけを狙ってやるから、死んでいく気分をゆっくり味わえばいい」

 どこまで本気なのか。言動とは裏腹に、助手席の野郎は一切の殺気も纏わない。それどころか、これだけの至近距離にもかかわらず体温も匂いも息づかいも、何ひとつ伝わってこない。

 冨賀の前に死をチラつかせながら自分のほうこそ生というものを感じさせない男に、脳味噌と心臓が初めて寒気を覚えた。

 コイツは本当に生きてる人間なのか?

 脳裏を掠めた疑念の馬鹿馬鹿しさがわかっていても、笑える気はちっとも湧かなかった。

「待てって……あんた赤の他人だろ?」

「だったら何だ?」

「何の関係もねぇのに、情報を売っただけの俺まで探り出して復讐みてぇな真似しにくるとか正義の味方気取りかよ?」

「仕事だ」

「仕事?」

「何驚いてんだ、お前の情報提供も仕事だろ?」

「どこのどいつが俺を殺れなんて依頼したんだよ」

「ターゲットは女を殺したストーカーで、お前じゃない。ソイツを始末するときに仲介役の存在を聞いて、次にその男からお前のことを聞いた。つまりお前を殺るのは単なるオプションサービスだと思え」

 返ってきたのは質問への回答じゃなかったが、重ねて問う気は起きなかった。

 仲介役ってのは冨賀が情報を売った相手のことだろう。顔も本名も知らない知人がどうなったかについては、正直大して興味もない。大事なのは我が身だった。

「待てよ、俺の先にも情報源が何人か繋がってんだぜ? まさか全員始末して回るつもりかよ?」

「カネが動いたのはお前のところが最後だよな」

「──」

「お前から先のヤツらに罪はない。単体では意味を成さない細切れの情報を、そうとは知らずに引き出されただけだろ」

 けど、世間話に乗じて掻き集めたピースを繋ぎ合わせて、カネに換えたお前はどうなんだ?

 そう尋ねて寄越した語尾の、微妙な呼吸の抜けかたとでも言うべきか。ほんの僅かな変化を感じ取った本能が、会話が終わろうとしている気配を察知した。

 何でもいいから続けないと、このまま引き金を引かれて終わっちまう。

 騙されて売っ払った情報のために、単なるオプションサービスとかいう馬鹿げた理由で弾をブチ込まれてたまるかよ──

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