s1 ep13-13
だけど幸い、枕の下に鉄砲は仕込まれてないし、それどころか意外にもこんな呟きすら返ってきた。
「わかった」
射殺しそうな目を向けてるくせに、やけにあっさり納得したな──?
と思ったら拍子抜けする間もあらばこそ、坂上は吐き捨てるようにこう続けた。
「なんて答えるとでも思ってんのか?」
「え、あれ?」
「もし本気で言ったんなら俺にも考えがある」
「どんな考えか、参考までに訊いてもいい?」
「誰にも手出しができないところに、あんたを幽閉する。もちろん仕事も辞めてもらう」
本気か否か掴みかねる、いつも通りの抑えた口ぶり。
そりゃまぁ、隠れ家には事欠かない坂上だ。中野の意志にかかわりなく、その気になれば世間から隔離することなんて造作もないだろう。
「それって窓はあるところ?」
「窓があると狙撃されかねないだろ」
「今だって家から一歩出れば狙撃し放題だけど、とりあえず大丈夫だよ? やっぱりほら、本人確認ルールもあるからなのかな?」
「今までがそうだったからって、これからも同じだとは思わないほうがいい」
「まぁ、そうかもしんないけどさ。でも俺がいなくなったとしても、最初からいなかったものと思えばいいんじゃないかな」
「あんたは」
咄嗟に跳ね上がりかけたトーンが不意に掻き消えた。
そのまま沈黙した坂上が緩慢な動作で枕の下に両手を突っ込んだのは、今度こそ銃が欲しかったわけでもないらしい。肘を突いた俯せの姿勢でグレイのピロウケースに額を埋めると、白いTシャツの肩はピクリとも動かなくなった。
待つこと数十秒──やがて、伏せた顔の下から低く抑えた声が漏れ出してきた。
「あんたは、そう思えるのか」
「うん?」
「俺がいなくなったら、初めからいなかったことにしちまうのか」
「無理だね」
中野は即答し、こう付け足した。
「正直言えば、何カ月か前までならそうできたかもしれない。かもしれないっていうか、多分できたと思うよ」
嘘を吐いたって意味はないし、取り繕ったところで簡単に嗅ぎ取られてしまうだろう。何しろ中野がどれほど他人を顧みず、興味も持たない男か──早くも過去形にするほど厚かましくはない──この同居人はよく知ってる。
だったらマイナス面に触れなきゃいいようなものだけど、敢えて露悪的な前置きをしたのにはもちろん理由がある。過去と比較することで、現在を強調するためだ。
つまり、一種のネガティヴ・キャンペーンとでも言おうか?
その効果を上げるべく、中野はタイミングを計って噛んで含めるように次の言葉を口にした。
「だけど、今はもうできない」
坂上がゆっくりと枕から顔を上げる。
「だから俺のために命を懸けるのはやめてくれないかな」
「──」
眼差しの奥底にチラつく苛立ちが、僅かに揺らいだように見えた。
「あんた……どんだけ自分勝手なこと言ってるかわかってんのか?」
「わからないって答えるつもりはないけど、とりあえず聞いてくれる?」
答えはない。
が、無言は否定じゃないはずだ。
どうしても聞きたくなければ耳を塞ぐかベッドを出ていくか、あるいは鉄砲を手に戻ってきて中野を撃つだろう。
「あんたがいなかったことになんてもうできない、っていう俺の個人的な都合は一旦置いとくとしてもさ。客観的に考えても、どっちかの命を優先するとしたら断然あんたであるべきだと思うよ?」
ここで坂上が眉間に刻んだ不可解の意味は、きっとこうだ──どこがどんな風に客観的で、あんたの都合と何が違うんだ?
だけど何も言わないから、構わず続けた。
「あんたが死ぬのは、これまで奪われ続けてきた人生を取り返してからであるべきだ。生まれてきたからには、生まれて良かったって腹の底から実感できるような何かを、最低でもひとつぐらいは知らなきゃならない。だから少なくとも今じゃない。もし、あんたがそれを達成しないまま死んじまったら、俺は残りの人生をすごく残念な感じで過ごさなきゃならなくなるよ。あんたのもとに行く瞬間まで、ずっとね」
まったく、自分が本気で誰かにこんなセリフを吐く日が来ようとは、半年前までなら思いも寄らなかった天変地異だ。
だからこそ余計に、この主張を受け容れて欲しい。
じゃなきゃ、奇跡みたいに生まれたこの気持ちは一体何だったんだってことになっちまう。
「俺はね、愛だの何のだっていう感情がよくわからない。だから、あんたって人間が俺にとって何なのか、まだ腑に落ちるような表現は見つかってない。けど、ただひとつ確実なのは、大事にしたいって思った相手は坂上、あんたが初めてだってことだよ。母さんですら大事ってのとはちょっと違うから、他人も肉親も引っくるめた全てにおいて、唯一あんたひとりってことになるね」
言いながら手を伸ばして、沈黙する頬を指先で辿った。
パーツの形や配置は整然としてるのに、印象の薄い坂上の面構え。だけど、もはや他の全員の顔を忘れたとしても彼だけは覚えていられる、あるいは思い出せる自信がある。
「俺を助けるために必要なのは、あんたの命じゃない。そんなもの投げ出されて生き延びたって、結局は死んだも同然になるよ、俺は」
だから頼むから、あんたは生きて幸せになってくれ。
初めて他人に対して抱く中野の願いが、同居人の臓腑の細胞ひとつひとつに染み込むように。
しかし答えはなく、代わりに急かすような息遣いが首筋を舐めた。
中野の腰を滑った手のひらが、Tシャツの裾から潜ってたくし上げる。もどかしげな手つきに促されるままソイツを脱ぎ捨て、同じくらい性急に坂上の衣服を剥ぎ取る。
「はやく──……」
それから身体を繋げて互いに達するまでの間、意味のある言葉は坂上のそのひとことだけだった。
「あんたの、ケイって名前の漢字はさ」
中野は枕の上で頬杖を突いて、隣に横たわる同居人へと目を落とした。
「たくさんの何か……人から与えられるものでもいいし、宗教的な発想は好きじゃないけど天の恵みとかでもいいよ、この際。とにかく、あんたが何かいいものにたくさん恵まれますように、っていう願いを込めて付けた名前だよね、きっと。少なくとも、そう考えるのが順当だよね? 安直かもしれないけどさ」
「安直だな」
まるで興味のない声音で坂上は言った。
「ていうか、いいものって何だよ」
「そんなのわかんないけど、まぁ、よくないものの反対かな」
「どうだっていいし、名前にも由来にも興味はねぇ」
「あんたが興味あるかどうかは問題じゃないんだよな。要は、俺も同じように望んでるってこと」
何もコウセイの相棒を真似て、坂上の名前に意味を持たせようなんて思ったわけじゃない。
だけど、もしも自分が彼──アダムだったとしたら、名前が表す通りの本来のコウセイでいて欲しいと願うだろう。そしてそれは、自分たち二人に置き換えても全く同じことが言える。
「俺も、あんたが目一杯いろんなことに恵まれればいいと思うし、あんたには幸せになって欲しい。言っとくけど、名付けたどっかの誰かより俺の方がもっとそう願ってると思うよ? だから、さっきの頼みは冗談で言ったわけじゃない。俺のために命を落とすくらいなら助けないで欲しい」
「どんな状況だろうと、あんたを助けないなんて選択肢は俺にはない」
坂上は即答して、熱の籠もらない面構えで目に落ちかかっていた前髪を掻き上げ、こう続けた。
「それに、たくさんなんかいらない」
「うん……?」
「あんたの言う、名前に込められた意味ってヤツだ。もしあんたの言うとおりだったとしても、もらえるものはひとつでいい。それに、生まれてきて良かったっていう実感なら、とっくにしてる」
普段と変わらず抑揚に欠ける、迷いのない語調。
「あんたと再会して、どっちも手に入れた。これ以上持たされたら、いまあるものまで零れちまう。だから」
もういらない──同居人は小さく呟いて目を伏せた。
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