s1 ep13-12

「絶対、ただの兄弟分じゃなかったよね?」

 坂上にそう尋ねたのは、丑三つ時もとっくに回った深夜のことだ。

 何しろ、たっぷり一時間は戻らなかった長風呂の同居人と母が交代し、最後に中野が入って出てきたら、リビングでは何を思ったか二人が銃の手入れなんか始めちまってた。

 中野がバスルームに向かう時点で、既に日付が変わろうとしてたっていうのに、だ。

 しかも、これがまた専門用語満載の応酬とともに没頭するもんだから、門外漢の入り込む余地なんかあるはずもない。挙げ句にロシア語が飛び交い始めたとくれば、もはやお手上げ状態だった。

 で、仕方なく中野はテーブルの片隅を陣取って、ひとりでボトルビールを傾けつつテレビの海外ドラマを眺め、やがて眠気に見舞われてベッドに潜り込んだ──

 と、ここまでなら、まだいい。

 ところがウトウトしかけた矢先、今度は射撃部屋でぶっ放す音に叩き起こされた。

 これにはさすがの中野もベッドを抜け出し、眉間の縦皺を引っ提げて抗議しに行かざるを得なくなった。

「あのさ、二人とも。お楽しみのところ水を差すようで悪いけど、俺が朝から仕事だって知ってる?」

 ──こんな具合に。

 そこで彼らは初めて中野の存在に気づいたかのような顔で、メンテナンスという名の遊びを終えて物騒な玩具たちを片付けにかかった。全く、こんなことなら目白のセーフハウスに泊まったほうがマシだったかもしれない。

 ようやく母が二階に引き上げると、ベッドに滑り込んできた坂上がボソボソと謝罪した。

「悪かった……つい」

「つい、で済むなら警察は要らないね」

 それこそ、つい素っ気なく返した途端、同居人の面構えがコミュ障っぽい色を孕むのを見て、我ながら子供じみた意地悪だったと反省した。

 中野だって気持ちがわからないわけじゃない。

 これまでの彼の人生において唯一、平穏で幸せだった幼少のほんの一時期、優しく世話を焼いてくれた隣家の母親──それも、てっきり死んだものだと思ってた相手に再会できたとなれば、ついつい浮かれるのも無理からぬことだとは思う。例えその発露が、ともに鉄砲をぶっ放すという形で顕れようとも。

 だから今夜の無礼講はもう水に流すことにして、代わりに口にしたのが冒頭の質問というわけだった。

 絶対ただの兄弟分じゃなかったよね? と。

「あぁ……?」

 前置きを端折った唐突な問いに、坂上が微かに眉を寄せた。

「だから、あのお兄さん。マックスだっけ?」

「──」

「大体さ、あんなとこに俺を一時保管するところからして、端からあんたをおびき出すつもりだったとしか思えないよね。そうじゃなきゃ、最初からどこへなりと連れていけば良かったことなんだから」

「クルマの乗り換えが必要だったんじゃねぇのか」

「でもあらかじめ置いとかないってのは、ちょっとあり得ない不手際じゃない? 迎えが来るって言い出すまでも、やけにタイムラグがあったし」

「想定外の事態ってのはいつでも起こり得るからな」

「なんでそうやって彼のヘマをフォローするようなことばっかり言うわけ?」

「フォローなんかしてない。可能性を言ってるだけだ」

「ていうか、着いたら計画通りって感じで地下に連れてかれたんだから、想定外ではないと思うよ? それに、あそこに着くまでに発信器を全部ダメにされたと思ってたけど、実は一個くらい残してたんじゃないのかな。あんたがちゃんと来てくれるようにね。どう?」

 そのシグナルを追って、難なく地下室に辿り着いたんじゃないのか。そう含みを持たせて尋ねると、無言の眼差しがややぎこちなく逸れていった。沈黙は少なくとも否定じゃない。

「過ぎたことをどうこう言うつもりはないから正直に言ってみなよ。やっぱり何かあったんじゃないの、同僚時代にさ」

「だから、ねぇって」

 坂上は低く吐き捨て、こう続けた。

「男はあんただけだって、何度言ったらわかるんだ?」

 全く──コミュ障のくせに、妙なところでサラリとこんな言葉を投げて寄越すんだから始末に負えない。

 それから訥々と語り始めた坂上によれば、こうだ。

 養成施設で一定の年齢層ごとにグループ分けされていた所謂『同期』のうち、彼が所属するユニットを率いていたのがマックス──マクシム・レプキンだった。

 凄腕のチームリーダーは、確かに坂上に目を掛けてはいた。それは周知の事実でもあったし、周りから言われるまでもなく常々実感してもいた。

 が、ユニットのメンバーという以上の何かを疑う出来事は皆無だったと、普段通りの素っ気ない口ぶりで坂上は断言するけど、果たして本当だろうか? 鈍感過ぎただけなんじゃないのか?

 もしくは、当時はマックス自身も抑え込んでいた、あるいは自覚してなかった偏愛の念が、坂上が反旗を翻し、行方をくらましたことで露出したのかもしれない。

 いずれにしても、どんな角度からどう見たって、あの男は間違いなく坂上に性的な執着を抱えてた。それも、かなり根の深そうなヤツを。

「本っ当に何もなかった?」

「何なんだ、あんた。しつけぇよ」

「昔はピンと来てなかったとしても、思い返してみたら射撃訓練のとき、やけにピッタリ背後に貼りつかれてたとか、手を握られたりしてたとかさ。格闘訓練のときにやたら抱きつかれて股間を擦りつけられたとか、首や頬に無精髭をジョリジョリされたとか。何かなかった? 気がついたら、洗濯したはずのパンツがなくなってたなんてことは?」

「そんなの──」

 顔面に不快を掃いた坂上が、何かを反芻するように宙に目を遣る。

 その唇が半開きのまま数秒固まるのを見て、中野は人差し指を立てた。

「ほら、やっぱり何かあったんだ」

「違う」

「思い当たることがあるんだよね?」

「だから別に大したことじゃねぇし、あんたがそんな風に言うからウロ覚えの記憶を深読みしちまうだけだ」

「知らぬは本人ばかりなり、だよ。で? 何されてたわけ? パンツは何枚盗られた?」

「パンツなんか盗られてない」

「その言い方だと、パンツ以外の心当たりはあるみたいだね」

「どうでもいい」

 眉間に刻んだ不愉快をますます深めた坂上は、そんなことより──と、枕に頬を埋めて強引に話の軌道を曲げた。

「あんた、あんなデカい声が出せるんだな」

「うん? あぁ……地下室でのあれ?」

 小さな頷きが返る。

「はは、自分でもビックリしたよ」

 母親がうっかり十発もぶっ放す誘因となった大声は、実は何を叫んだのかよく覚えてない。

 ただ、ボリュームもさることながら生まれて初めての感情に驚き、戸惑った。

 瞬く間に膨れ上がった、憤慨、焦燥──ほとんど殺意とも言える、ヒステリックな情動。

 自分の中に潜む全ての感情が、一斉に同じ方向を向いた。

 いつもなら即座に物陰に隠れて狸寝入りを決め込むソイツらが束になり、総立ちになって騒ぎ立てた。まるで、ひと蹴りでレッドゾーンまで吹け上がったエンジンみたいに、神経の針が一瞬で振り切れた。最大トルクで腹の底から押し出された何かの塊が、猛然とせり上がってきて口から噴き出した。

 中野は、ほんの少し目を閉じてひらいた。と同時に坂上の目とぶつかり、考えるよりも先に言葉が口を衝いていた。

「頼みがあるんだけど」

 いつになく声に籠った熱を嗅ぎ取りでもしたのか、見返してくる同居人の顔面が怪訝な色を孕む。

「頼み?」

「うん。次に俺に危険が迫ったときには、もう助けないで欲しい」

 これを聞いた坂上の顔ときたら──

 もしも手元に鉄砲があったなら、中野は即座に額を撃ち抜かれていたかもしれない。そう妄想させるに足る形相だった。

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