s1 ep11-3

「血で言語が操れるなら、そんなに便利なことはないだろうね」

「自分のルーツに興味を持ったりはしなかったわけ?」

「しないなぁ」

 中野は肩を竦めてみせた。

 ところで、あっちってどこ? と尋ねてみようかとも思ったけど、さほど知りたいわけでもないし知ったところでどうということもない。

「ルーツが何だろうが俺は俺。知らなきゃ生存不可能とかいうわけでもない限り、そんな些細なことには興味も湧かないね」

「だけど今は少しくらい興味があるんじゃない?」

「興味っていうか、自分の知らないところで変な名前を付けられてるのは気に入らないかな」

「じゃあ、その名前は気に入ってるのかしら? 中野湊さん」

「まぁ、ノーリよりは?」

「それは残念ね、ノゥリ」

 女は笑顔を浮かべて小首を傾げ、シルバーのクラッチバッグから取り出した拳銃をこちらに向けた。

 その小振りのバッグには、拳銃しか入ってなかったんじゃないだろうか。サイズ的にジャストフィットで、つまり拳銃を入れてしまえば他には何ひとつ入りそうにない。是非とも、この手荷物で婚活イベントに乗り込んでみて欲しいところだ。

「さて。おしゃべりはこれくらいにして、そろそろ行きましょうか」

「行くってどこに?」

「それは興味があるの?」

「まぁ、遺伝子の話とは別次元だからね」

「前もって教えないほうが多分あなたのためだと思うわ、ノゥリ」

「いちいちその名前を繰り返すのやめてくんないかな。ていうかエレベータ止まってんのに、どうすんの?」

「安心して、私が合図を送れば動きだすから」

 と掲げてみせたスマホには、メッセージツールの入力画面が表示されていた。それでどこかに連絡すれば、誰かがエレベータを再稼働させるというわけらしい。

「だけど、その前に」

 不意に女の声が不穏な艶を孕んだ。

 スマホをバッグに突っ込んでこちらに一歩近づいたかと思うと、躊躇いもなく中野の股間に触れた。

「密閉されたエレベータって興奮しない? こんな緊迫した状況下だと特に。ねぇ中野さん?」

「俺はそうでもないかな」

 押しつけがましい力加減で妖しく這う五指はしかし、さりげなく躱すと深追いしてはこなかった。

「あなただって、これが人生最後のお楽しみだと思えば乗っておいて損はないはずよ」

「うーん、それもどうかな」

「本当は私、銃を突きつけながら上に乗るのが一番興奮するんだけど、気に入ったから特別に乗せてあげようかしら」

「いや……」

 断りかけるのを遮るように銃口が腹に押し込まれ、さぁ脱いで──と期待に染まった声が中野の首筋を撫で上げた。

「俺、脱がされるほうが好きなんだよね」

「気が合うわね、私も乱暴に剥ぎ取るほうが好き。だけど今は、その楽しい作業に気を取られて隙を作るわけにはいかないの。ついでに打ち明けるなら、終わった直後に男の額を撃ち抜く瞬間が何よりも一番興奮するの。でも、あなたは生きたまま連れて行かなきゃならないから、イッた途端に命を落とすデスゲームのスリルを味わってもらうことができなくて、本当に残念だわ」

 その瞬間のエクスタシィと、ここでそれを実行できないフラストレーションが綯い交ぜになった表情を、中野は数秒眺めた。そうやって彼女を真に満足させた男ってのが、これまで何人くらいいたんだろうか?

 だけど中野が口をひらいたのは、彼女の興奮が頂点に達した回数を問うためじゃなかった。

「生きたまま連れてかなきゃならないってのは、どこにどういう理由で? 俺を撃とうとしてウチの同居人に始末されたヤツらと何が違うわけ?」

「あなたを殺しに行ったヤツら?」

「それが目的かどうかは知らないけどね」

 ロイヤル・ハウスホールドの女はどうだか知らないけど、前のアパートに侵入したヤツらは少なくとも中野を生け捕りにする気はなかったと思う。

「あぁ……それは別口ね」

 目の前のドS女が宙に目を投げて鼻で笑った。

「別口?」

「私の雇い主は、あなたを拉致したい側。そのお姉さんは、け──」

 単なる憶測だけど、彼女が言いかけた単語は『K』だった気がする。

 だけど上から降ってきた突然の物音にセリフは途切れ、質す間もないまま永遠に有耶無耶となった。

 ガツンと頭上で音が響き、中野と女は同時に顔を向けてどちらもそのまま無言になった。

 蓋が開いた天井の救出用ハッチ。四角く切り取られた暗がりに、中野の同居人の無表情が覗いていた。

 だけど見上げた二人が沈黙した主な理由は、彼がそんなルートでアプローチしてきたことに度肝を抜かれたからじゃなかった。

 よほど急いでたのか、袖を通して羽織っただけのバスローブの内側は布切れひとつ身に着けていなかったからだ。しかも片膝を立ててしゃがんでるものだから、下からの眺めは絶景と言わずして何だろう?

「あら──K」

 呟いた女の顔面いっぱいに広がったのは、男の額を撃ち抜く快感を語ったときと酷似した甘美の色合いだった。

 きっと彼女は人生最後の瞬間に、最高の眺めを目にしたことだろう。

 今回ばかりは組み敷いた男ではなく自身の額に風穴を開けた女が、一拍ののちに崩れ落ちる光景を、中野はどこかおぼえのある感覚とともに傍らで見守った。

 あれだ。

 出がけに見ていた海外ドラマの、無意味なセックスシーン。

 男に跨がって死の恐怖を与えながら性交を強要し、挙げ句に額を撃ち抜くことを至上の快楽とする女が、よりによって坂上の剥き出しの股間に恍惚としながら散っていく死に様なんて、中野にしてみれば無駄な濡れ場以上に不要な珍場面でしかなかった。

「あんた、その格好でここまで来る間に、誰かに会ったりしなかった?」

 降りてくる身体を下で抱き止めながら溜め息を吐くと、坂上は淡々と答えた。

「しない」

「でも、前閉めるくらい大した手間じゃなくない?」

「いま、こだわることか?」

 坂上が眉間に浅く皺を刻み、床に落ちていたバッグを拾ってスマホを出した。女の手を取って指紋認証でロック解除したあと、現れたメッセンジャの画面からメッセージを送信し、エレベータが生き返るのを待ってひとつ上の階と最上階のボタンを押す。

「一番上に何の用?」

「後始末だ」

「上に何があんの?」

 それ以上の答えはなく、宿泊階で降ろされた中野は部屋に戻って言われた通りにU字ロックまで施錠した。誰かがその気で襲撃してくればドアの鍵なんか易々と突破するだろうけど、そのときのためにと坂上から銃を渡されていた。ついさっきくたばった女の拳銃だ。

 こんなもの渡されてもなぁ──?

 デスクの上に鉄砲を置いてから、中野は壁に貼りつく鏡を見た。シャツに小さな赤い染みが見えるのは女の血だろうか。

 で、風呂に入ることにした。どうせ坂上が帰ってくるまですることもないし、他にもどこかに血が跳ねてるかもしれないと思ったら不快だった。

 部屋の照明を落とし、仕切り窓のスクリーンを上げてバスルームに入ると、ベッドとソファを越えた向こうに夜景が望めた。ただし見えるのは周囲のビルの窓明かりばかりだから、絶景というわけでもない。

 シャワーを使う間に湯張りしておいたバスタブに、窓のほうを向いて身体を沈める。

 坂上がどこへ何をしに行ったのか、気にならないと言えば嘘になる。

 でも考え出したらキリがないから努めて考えないようにしていたら、前触れもなくバスルームのドアが開いた。

「銃を持ってろって言っただろ、なんで向こうに置きっぱなしなんだ」

 現れるなりそう言った坂上のバスローブは、今はちゃんと閉じてあった。

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