第八十五話 未来への一歩を踏み出せ

 駅前の書店にいたチガヤちゃんと合流して、三人でシグマさん行き付けの小料理屋に行った。あまり人通りのない路地にあるそのお店は外観から品が良く、どうしても緊張する。メイくんの誘いで豆花園へ行く時と同じだ。こういうお店は、自分が場違いのような気がして仕方がない。

 掘りごたつ式の個室へ通されて、シグマさんが「ゆるっとしてちょーだい☆」と軽い調子で言った。オーダーを入れるシグマさんを眺めながら、さっきはどんな話だったの、とチガヤちゃんが聞いてくる。

 この席で、まずはチガヤちゃんへ決意を打ち明けることに決めていた。また反対されるような気がして、親に言うより緊張するかもしれない。


「シグマさんと一緒に、お仕事をしようと思うの。うちの親やハヤトくんには、帰ってから話すんだけどね」


 どう切り出せばいいかわからず、思いつくまま口にすると、シグマさんが「俺が誘っちゃった☆」と会話を引き取ってくれた。


「ロケの時にさ、俺の隣にリコちゃんがいたら楽しそうじゃない?」

「ロケ? モデルじゃないの?」


 不思議そうに問うチガヤちゃんへ、シグマさんは「俺、この子を相棒にしたいの」と言って笑った。


「リコ、本当にそれでいいの?」


 案の定、チガヤちゃんは眉間に皺が寄った。どう見ても否定的だ。


「そりゃね、シグマさんが一緒なら心配はしないわよ? 仕事中は守護神を連れ歩いてるようなものだし……だけどそれじゃ、コスプレできなくなっちゃうじゃないの!」


 チガヤちゃんが悲鳴のような声をあげ、一緒にコスしたかったのに、と泣きそうな顔をした。

 そう言ってくれるのは、嬉しかった。私も「ショウカ」とコスしてみたい。おそらく私はコスイベや即売会に出られなくなるだろうけど、コスプレイヤー「リコリス」がいなくなるわけじゃない。


「コスプレはやめないよ、サークル活動として続けるつもり。チガヤちゃんもうちのサークルに入れば、一緒にできるよ?」

「そ、それはお願いしたいけど……ねぇ、なんでそんなに覚悟が決まってるの? いまシグマさんに言われたばっかりなんでしょう?」


 チガヤちゃんは一瞬だけパッと明るくなった表情を引き締めてから、盛大に溜息を吐いた。


「そう言えば、ハヤトにモデルを頼まれた時も、二つ返事で脱いだんだっけ……」

「あっ、うん……」


 まさかこの場でその話が出てくるとは思わず、つい視線を背けた。シグマさんは「脱いだ」というワードに反応したのか、顔を赤くしながら「度胸あるなぁ」と呟いていた。

 ハヤトくんにヌードモデルを頼まれた時、既に「露出狂」だの「クソビッチ」だのと悪態を吐かれまくった後だったのに、私は迷うことなく引き受けてしまった。

 まだ彼のことは何も知らなかったし、私のことが心底嫌いなのだと思っていた。それでもしっかりと、彼の本気は伝わってきた。真剣に作品と向き合っている彼が、私に価値を認めてくれた。それが本当に嬉しくて、誇らしくて……全力で応えたいと、そう思ったのだ。

 今の私は、あの時と同じくらい高揚している。さっきシグマさんが、私を「仕事に使いたい」と言ったのは、彼が私に価値を認めたことの証左だ。

 


「後悔したくないの。これが自分の夢だって言えるものと、ようやく出会えたような気がするから」


 私の言葉を聞いて、チガヤちゃんはそっか、と目を閉じた。


「仕方ないのね……ねぇ、メイドはまだ続けるのよね? グローイングのカフェに移っちゃダメよ? リコ姫は、私が守るって決めてるんだから!」


 微笑んだチガヤちゃんは、どこかの王子様みたいだった。思わず照れた私を見て、二人が笑う。


「チガヤちゃんは、リコちゃんの騎士ナイトだったの?」

「そうよ、この子の親友に頼まれてるの。掲示板の書き込みのせいで、嫌がらせされたりするんじゃないかって、あの子ずっと心配してるんだから」


 それを聞いて、目頭が熱くなった。ヒマちゃん、そんなこと頼んでたんだ……嬉しさで胸がいっぱいになった私に、チガヤちゃんが「大好きなのよ」と追撃をした。私だって、ヒマちゃんが大好きだ!


「ああ、その書き込みのことだけどさ!」


 喜んでいたところに、いきなりシグマさんが強い口調で反応したので、思わずびくんと肩が震えた。


「おそらく弁護士入れて消させることになるけど、書き込んだ相手を訴えることもできると思うよ。どうしたいのか、考えておいてくれる?」


 わかりましたと返事をしながら、私はシノくんの提案を思い出していた。書き込んだやつに制裁を加えることができる――あの時、シノくんはそう言った。

 私はどうしたいのだろう?

 書き込みが消えて、噂が広まらなくなれば、それだけでいいのか。自分の名誉を回復できれば、それでお終いにできるのか。それとも私は、何か仕返しをしたいと思っているのだろうか。

 別にお金が欲しいわけではないし、上辺だけの謝罪も欲しくはない。他に何か、求めるものがあるだろうか。相手を不幸にしたところで、特に得られるものはないような気がする。

 本気の謝罪なら欲しいけれど、それは訴えて得られるものではないような気がした。

 それに、もしも犯人がミキちゃんだったら、私はどう思うのだろう。制裁だなんて大それたものを、私は願えるのだろうか。


「チガヤちゃん。今度のコスイベ、いつ?」


 今のミキちゃんと、話をしてみたくなった。コスプレイベントになら、きっとあの子は参加するはずだ。メッセはブロックされているし、きっと電話も出ないだろうし、自宅まで押しかける勇気もないけど……イベント会場ならば、お互いに逃げ場はない。

 あの子と会うのは怖いけど、踏み出す前に、全てをはっきりさせておきたい。


「春分の日。ミライと話すのなら、私も一緒に行くわ」


 このタイミングで尋ねた意味を、チガヤちゃんは理解した様子だった。もちろんバイトが入ってるから、誰かに休みを代わって貰わなくてはいけない。


「お休みが取れたら、だけどね」

「休みなんかいくらでも取れるわよ。ううん、絶対に取らせてあげる! ねぇ、リコもコスするんでしょう? 合わせましょうよ!」


 チガヤちゃんは一気に上機嫌になって、私の手をぎゅっと握り締めた。


「さすがに作る時間は無いわね、私がメグからハロウィンの衣装を借りてくる。サツキくんも誘いなさいよ、主人公エヴェンが絶対に似合うわ。リコはヒロインサリエット一択、私はライバルルベラスをやるわね! ハヤトも引き込んじゃいなさいよ、兄弟子ノーモスなんかピッタリじゃない?」

「ええ、やるかなぁ……?」

「やらせるの! サークルの人たちも呼ぶといいわ、ずっと活動してなかったんでしょう? リコリスもショウカもまだ消えてなんかないって、みんなに見せ付けてやりましょうよ!」


 すっかりハイテンションのチガヤちゃんを見て、シグマさんが「青春だねぇ☆」と微笑んでいた。


「今の二人を見てたらさ、大切な趣味を取り上げたくないって思っちゃうよね。俺にとってのお笑いみたいなもんでしょ?」


 シグマさんにとってのお笑いとは、たぶん、自分のかなめだ。ずっとタレント活動ばかりしているけれど、この人の本業はお笑い芸人なのだ――私にとってのコスプレを、そんな風に言って貰えただけで、私は本当に嬉しかった。

 だけどチガヤちゃんは、それだけでは終わらなかった。


「シグマさんが誘っちゃったんだから、そこは責任を持って何とかしてよ?」

「えー、チガヤちゃん、それマジで言ってる?」

「当たり前でしょ大マジよっ、私たちのリコリスなんだからっ!」


 我が娘も同然の女の子から容赦ない不満をぶつけられ、シグマさんがううううんと盛大に唸り声を上げた。腕を組み眉間に皺を寄せ、難しい顔で考え込んでいる。この人でもあからさまにこんな表情をするんだ、などと失礼なことを考えた。


「あー、じゃあいっそ、売りにしちゃう? 福海発コスプレアイドル、みたいな……」


 語尾は細く途切れていき、それとなく視線を逸らされた。苦し紛れの思いつきで言いました、と言わんばかりだ。それに気付いているのかいないのか、チガヤちゃんは真顔で「プライベートに口出すなっつってんのよっ」と容赦ない言葉を投げ付けた。


「わかった、わかりました、シャチョーに説明しときます……」


 すっかりタジタジになったシグマさんに、チガヤちゃんが「返事はイエスしかいらないのよっ」と痛烈な台詞を吐いた。この福海で宮路シグマにこんなことを言えるのは、もしかしてチガヤちゃんくらいなのではないだろうか……いや、娘さんも言うのかもしれないけど。


「まぁ、今日はせっかくのお食事会だし、これで勘弁してあげるわ!」


 ようやくグラスを手に取ったチガヤちゃんを見て、しょーがないなぁ、とシグマさんが楽しげに笑った。


 筑原ちくばる駅前で二人と別れて、私は電車に乗ろうとしていた。これからハヤトくんを迎えに行くと終電に間に合わないので、自宅の最寄駅で待ち合わせをしている。

 それなのに、改札口の前にハヤトくんがいた。どこにいるかは連絡していたけれど、ここは下りの終着駅だ。まさか迎えに来るとは思わなかった。


「ハヤトくん! 来てくれたの?」

「どうせ待つのなら、ここでもいいかと思ってな」

「嬉しい! ありがとー!」


 私は彼に抱き付いた。ここは通っていた高校の最寄駅で、同級生に見られていてもおかしくはない。だけどもう、人目なんかどうだって良かった。


「あのね、私とメイくん、この近くの高校に通ってたの!」

「ああ、知ってる。だから来てみたんだ。リコが見てたものを、俺も見てみたくなってな」


 そう言いながら、ハヤトくんは耳まで赤い。その照れる姿が、何だかとても可愛く見えた。


「ね、お散歩していこ? 高校、丘の上にあるんだよ!」


 そっと手を握ると、そうだなと彼が微笑んだ。そのまま手を繋ぎ、二人並んで歩き出す。

 私がメイくんと歩いた景色を、大切な記憶の欠片を、彼にも見せてあげたかった。

 はるか遠い世界へと、この人が飛び立ってしまう前に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る