第十話 真実の在り処は誰も知らない
ヒマワリさんは、笑顔のままで「ハヤトは今でもあなたの事が大好きなんだよ」と言った。私に勘違いされないようにという配慮なのは、わかる。我ながらゲンキンなもので、あれほど渦巻いていた制御不能の嫉妬も、イトコだと聞いた途端にすっかりと鳴りを潜めている。
しかし、いくら彼女の口からそう言われても、さすがに「そうなんだ、やったー」とまでは思えない。嫌われてまではいなかった、ただそれだけの話ではないのか。
「そうでしょうか」
「だって私、ハヤトに頼まれたんだもん。あなたと友達になってくれって」
女友達を増やせ、とは確かに言われていた。できないと思われたんだろうな。こんな状況ですらイシバシくんに心配をかけているのだと思うと、自分が情けなくて仕方なかった。しかし続く言葉を聞いて、私は軽い眩暈を覚えた。
「本気で仲良くなりたいから、先に言っておくね。写真科のサツキより仲良くなってくれっていうのが、ハヤトの本当の頼みだったの」
ヒマワリさんは、缶コーヒーをぐいっと飲み干した。イシバシくんは、そこまでしてメイくんとの距離を置かせたいのか……だけどそんなに拘るのなら、やっぱりその理由が知りたい。きちんと納得させてくれないと、何も決断する事ができない。
「なんでイシバシくんが私とメイくんを離そうとするのか、その理由をご存知でしたら……どうか、聞かせて貰えませんか」
私は椅子から立ち上がって、丁寧に頭を下げた。するとヒマワリさんは真顔になって、困ったようにうーんと唸り、それからしばらく考え込んだ。
「そうだよね、あなたから見れば、何も納得できないよね」
そう呟いた後、更にちょっとした沈黙。そして「じゃあ条件を出すよ」とヒマワリさんは言った。
「これから何があっても、どんな展開になっても、最後までハヤトを信じてね。それを約束してくれるなら、たぶん教えても、大丈夫だと思う」
ヒマワリさんの言い回しは、できなければ大丈夫じゃない何かがある、とも受け取れた。イシバシくんが言わなかった理由は、おそらくそこにあったのだろう。
私が、イシバシくんとメイくんのどちらを信じるか。
知り合ってから一緒に過ごした時間の長さもあるし、私がメイくんに恩義を感じている事もわかっていたはずだ。私を信じてくれなかったのか、なんて怒れるような話ではない。
私は、誓わなくてはいけない。きちんと納得できる理由がそこにあるのなら、私はイシバシくんの言う通りにする。例えその結果、メイくんと決別する事になっても。
きっとその時は、これまで通りではいられない何かが、既に起こっているはずだから。
「約束します。最後まで、イシバシくんを信じます」
「……うん、じゃあ、話すね」
私の目を見つめながら、ヒマワリさんは言った。
「私もハヤトから聞いた話だから、あまり詳細には話せないけど……」
そう前置きをしてから、ヒマワリさんが語った内容は、私にとっては信じ難いものだった。
私がモデルを始めてから三日目、イシバシくんに一通の手紙が届いたらしい。
内容は「リコリス」に対する誹謗中傷で、すぐに誰とでも寝る女だとか、父親のわからない子を堕胎した事があるだとか、そういう根も葉もない嘘だらけだ。しかしそれは、高三の時にネットで撒かれた悪評とそっくりだった。
そして、その手紙には、私が衣装を着て扇情的なポーズをしている写真までもが同封されていた。イシバシくんは、それがコラージュではなく本物だと一目でわかったらしい。当然だ。既に私の身体の特徴を、余すところ無く把握していたのだから。
嘘だらけなのはすぐにわかったけれど、写真はサークルで撮らせていたものが流出している。それを私が知れば傷付くと思ったイシバシくんは、サークルのメンバーに話を聞いて回ったのだそうだ。そう言えばイシバシくんに、学内のサークルメンバーが誰なのかを聞かれた事があった。
大学内のメンバーはメイくんを入れて四人いて、だけどメイくんは私との距離が近かったので後に回し、まずは他の三人に話を聞く事にした。その三人は口々に、メイくんが怪しいと言ったらしい。
この写真は全部メイが回収していたはずだ。
写真が流出したというのなら、犯人はメイ以外に考えられない。
二年前にも同じような事があった、その時はネットにばら撒かれた。
もう二度とリコちゃんが傷付かないように、どうか犯人を突き止めて欲しい。
自分たちに協力できる事があるのなら、何でも言って貰いたい。
学外のメンバーに話を聞く機会も作ってもらい、全員から話を聞けば聞くほど、メイくんが犯人としか思えなくなった。
ヒマワリさんの話を要約すれば、そういう事になった。
「だからハヤトは、サツキとあなたを二人にしたくないの。暗くなったら家の前まで送ってたのも、あなたを心配してたからだよ」
そう言われれば、合点がいった。サービスショットについては散々怒られたし、二言目には「自衛しろ」と言われまくっていた。
「でも、それなら、直接言ってくれても」
私が口を挟むと、ヒマワリさんは左右に首を振った。
「ハヤトは、確証を得られるまで、あなたには言わないって決めてたみたい。私だって、本当は口止めされてる」
空になったコーヒーの缶を、ヒマワリさんは親指で強く押し、ぺこん、と鳴らした。潰れるまではいかず、だけどイビツになったスチールの空き缶は、不安定なバランスでテーブルの上に立たされている。
「ハヤトは二年前の犯人も、サツキじゃないかと疑ってる」
「そんなこと……!」
あるわけがない、と叫びたかった。だけど今回の中傷と、あの時に撒かれた内容はほとんど同じだ。サークルの誰かが書いただろう事はほぼ確定で、そしてあの写真は、メイくんしか持ってなかったはずだ。芸術学部棟がホームのメイくんなら、イシバシくんのアパートも難なくわかるだろう。だけど……ただそれだけで、メイくんを疑いたくなんかない。
「信じられないよね、わかるよ。あなたにとって、サツキは恩人だったんだもんね。でもそれって、あなたが孤立したからこそ成り立つ関係だったんだよね?」
ヒマワリさんは、容赦なく言葉を繰り出した。まるで、メイくんが私を手に入れる為に陥れたのだと言わんばかりだ。そんなの納得できるわけがない、だけど反論できるだけの客観的材料を、今の私は持っていない。
「何の確証もないのに、こんな疑いをかけてるなんて言えなかった。だから突き放したんだって、ハヤトめちゃくちゃヘコんでたよ」
ヒマワリさんが苦笑する。
いちおう、話の筋としては理解した。だけど何だか腑に落ちない。まだ何か、隠されてる事があるような気がする……ヒマワリさんは、笑顔だけれど。
「そんなわけだから、またハヤトにメッセ送ってあげてよ。アイツいま東京に行ってるからさ、きっと寂しがってると思うんだ」
「東京?」
「父親のとこ。学費出して貰ってた大学を辞めた報告と、これからの事を相談だね」
あまり仲が良いとは言えないからさ、とヒマワリさんは続けた。
メッセージ、送りたい気持ちはもちろんある。だけど一方通行のメッセージを送り続けるのは、どうしたって不安になってしまう。
「一度も返事なんか来た事ないし、迷惑なのかもしれないから……」
「ううん、返事をしないのは、サツキに見られるかもしれないと思ってるからだよ」
軽く天井を仰いでから、ヒマワリさんは目を閉じて、もういいか、とひとりごちた。
「前期試験の最終日、二通目の手紙が届いてた。内容は、夕方に庭園でサツキとあなたが会うって事と……あなたとは二度と会うな、話すな、手紙の事は明かすな、って。もしも無視するようなら、あなたの写真をネット上に載せるって」
ハヤトは脅されてたんだよ、とヒマワリさんが溜息を吐いた。
同じ学内にいて二度と会うなと言われても、そんなのは無理に決まっている。校舎は離れているけれど、学内施設は共通だ。私に事情を話せないなら、絶対に私は会うたびに話しかけただろう。それどころか、芸術学部棟やアパートにだって、平気で押しかけただろうと思う。それを犯人に見られるだけで、私の画像が拡散される可能性があった事になる。
つまり、私のせいで、イシバシくんは退学届を出したんだろうか。
「イシバシくんが辞めたのは、私のせい……?」
「そうじゃない」
私の問いに、ヒマワリさんは真顔で答えた。
「あなたのせいだ、とは言わない。だけど、あなたを守る為なのは、否定しないよ」
ヒマワリさんの声は、優しかった。だから余計に辛かった。
朝まで一緒に過ごしたあの日、何度も「アンタが悪いわけじゃない」と繰り返していたイシバシくんを思い出して、私の目からは勝手に涙が溢れ出した。
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