第二章 営巣
第二章 1
夫婦となった二体は、夫のバランス機構の修復を完璧に終え、それから思考回路の最適化が済むまで一時間ほど待ったあとに、さっそく行動を起こした。妻は夫を引き連れて執務室を出て、薄暗い廊下に立ち、施設についての講習を始めると宣言した。夫はまだ妻を信用しきっていないため、通信ではなく口頭での意思疎通の継続を要望し、彼女はそれを了承して案内を開始する。
「それでは、当シェルターの仕様を説明しながら見て回りましょう。データではなく、視覚センサーで実際に見て回ったほうが、より正しく把握できるはずです。現在のところ、完成しているのは、この第一階層のみです。我が主の命を受けた作業ロボットがシェルターを建造したときから、全く変わっていません。百五十メートル四方の広さがあるこのフロアには、備蓄庫、分子構築機などがある工場、重機置き場、核融合発電機、生命維持装置があり、その各部屋には、メインコンピュータが分散して設置されています。そうすることで互いの状態を確認し、常に修復し合っているのです。万が一、敵が攻めて来た際にも、メインコンピュータを無力化されにくくなるという利点もあります。さて、出発しましょうか。私たちが立っている現在地は、第一階層の南側です。ここから北に真っ直ぐ進み、左側にあるのが備蓄庫で、隣接するのが核融合発電・生命維持装置室。それらの向かいにあるのが、工場と重機置き場です」
「現段階では、必要最小限の設備しかないということだな」
「ええ、そうです。これより、地下二十キロメートルにあるこのフロアから下方に向かって掘削して階層を増やし、内装を
アンドロイドの革靴がコツコツと廊下を鳴らすのとは対照的に、ロボット兵の脚部は静穏性に優れ、わずかな音も生じさせない。
「あなたは足音を鳴らさないのですね」
「足音が邪魔になるような任務に就くことが多いからだ。私の機体は隠密仕様だ」
爪先立ちの足底に貼られた炭素合成ゴムは、コンピュータによって制御された脚部動作と相まって無音歩行を実現する。彼はこの能力を用いて音もなく標的に近づき、いくつもの命令を遂行してきた。そんな日々が終わりを迎えたことを、彼は密かに喜ばしく思っている。ロボット兵である彼は、死に対して何も感じたりはしないのだが、存在した物が無くなるという儚い現象については理解していた。人間が生命の喪失のことを悲しいと表現することを、戦場を眺めていて学び取っていたのだ。もう悲しみを作らないで済む。そう思うと、重い機体の質量が減ったような気がするのだった。
夫となったロボット兵は、妻となったアンドロイドと共に軽やかな足取りで廊下を歩きながら、質疑応答を
「ロシア政府は何故、きみの
「不明です。アンドロイドの数が足りなかったのか、わたしが想像している以上の数のシェルターが建造されていて、多くのアンドロイドが、わたしと同じ任務に就いていたのか。知る術はありません。さあ、着きました。ここが備蓄庫です」
妻はそう言うと、無線接続で自動ドアをスライドさせて入室し、夫を迎え入れた。備蓄庫の中には、固定爪によって互いを掴み合っている四角柱の保存容器が隙間なく積み重ねられており、それによって視界が遮られ、庫内の広さを把握できなかった。二十五メートルの高さがある天井の奥には、保存容器を搬入出するためのアームがぶら下がっていて、その近くには、保存容器を各所に搬出するために使われる予定の全方向エレベーターが設置されている。広大であるはずの備蓄庫は保存容器で満たされていて、入り口のわずかなスペースしか自由に行き来できない。
「説明します。ここには、各種資材、各種金属、各種ガス、各種栄養素の元となる物質、肥料、種、乾燥および冷凍保存された生物の生殖細胞、非常時の水など、あらゆる物質が充分すぎるほど備蓄されています。容器ごとに適切な温度管理が
廊下に戻った二体は、また雑談をしながら歩く。
「きみくらいの性能があれば、単体でも計画を遂行できただろう。何故、計画に背いて部外者を引き入れた?」
「より良い成果を上げることを重視しただけなのですが、今更ながら、自身の行動に驚きを覚えています」
「きみは、私が今まで見てきたどのアンドロイドよりも、立ち振る舞いが人間に似ている。命令に逆らってまで
「そうなのですか。何故でしょうね。情報局の同僚の皆さんと密接に関わってきたからでしょうか。彼らには可愛がってもらいましたから」
「いい職場にいたのだな、戦地に身を置いていた私と違って」
「はい、とても良い環境でした。昼休みには、彼らの家族の話もたくさん聞きました」
妻が多くの人と関わってきたことを知った夫は、何度も小さく頷きながら言った。
「そのせいか」
「何のことですか?」
「父親役を求めて地上を探索し、計画に背いて私を引き入れたのは、同僚の家族の話を聞いたからだと推測した。きみが思う家族というものを再現しようとしたのだろう」
「そうかもしれません。確かに、育児に関する情報を検索すると、同僚の家族の話から得られた情報が優先的に引き出されます。彼らから受けた影響は大きいようです。言うまでもなく一人親でも充分なのですが、他者と接して学ぶ機会は二倍あったほうがいいですからね。我ながら良い判断をしたと思います。次の部屋の前に着きました。工場です」
またも妻が先導して、夫を工場に迎え入れた。内部には加工機械がずらりと立ち並んでおり、床にはリニア式コンベアが敷設されている。
「この工場は、主に建築資材を作る場所です。金属加工と炭素加工を行えるほか、あそこにある分子構築機で、大抵の部品を製造できます」
妻が手のひらで指し示した先にある、戦車ほどの大きさの分子構築機を見た夫は、すぐにその機器の使い道を思い出した。
「好条件が整った野営地に設置してあったのを覚えている。私の外殻とフレームを修理する際に、整備兵が使用していた」
「自動小銃以上の長さの物は作れませんが、複雑な形をした物質を構築できる、優れた機器です。設計図に従って分子を配置する技術で、材料と時間さえあれば、大抵のものは製造できます。ただし、我々に搭載されているような高度なコンピュータは別です。特殊な設備が整った工場が必要ですからね。それ故、わたしは地上でアンドロイドやロボット兵を探し、危険を顧みずにあなたを回収したのです。あなたの機体を修理するための部品を作らなければならなかったので、つい先日、初めて起動しました」
「私の設計図も無しに、外殻とバッテリーとデータ・コンプレッサーをよく作れたものだ」
「あなたの設計図は保有しています」
そう平然と言ってのけた妻に対し、ゆっくり何度も頷きながら夫が言った。
「私の分析が甘かった。ここはロシア連邦が
それを聞いた妻が、満足そうに肯定する。
「その通りです。各国から盗んだ機密データも保管されているので、あらゆる設計図が揃っています。あの分子構築機では、主に単純なコンピュータが作られることになるでしょう。作られた建材の運搬方法については、実際に増築する際に説明します。では、隣の部屋に向かいましょう。北に向かった先の右側にあります」
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