理系編

第15話 【天文】五連星のスピカ

三年間は球を投げられない、と言われた時はさすがに冗談だと思っていた。


いつも通りの痛みで病院に来て、いつも通りの診断を受けて、いつも通りに医師の説明を待っていたのだから、あとはいつも通り主治医が俺の肩の酷使をたしなめるだけだ。


「いつも通り」の歯車が狂ったのは、いつも以上に長く待たされてからのことだろう。見慣れた主治医の顔に似合わない深刻な表情で、彼は俺の今後の説明を始めた。


難しい漢字の羅列の末尾に「障害」の二文字を飾ったいかにも不健康そうな病名が、俺の現状を表す全てのようだ。その症状は見た目通り残酷無比にヒトを蝕む。他人事のようにすんなりと自分の身体の状態を納得出来た一方で、そのことが他人事にしか思えない自分がいた。


30分以上に渡る切迫した説明を受けたあと、親に入院手続きをしてもらい、まだ夕方にもかかわらずさっさと病床について眠る。


これが夢であるようにと祈りながら。


しかし、寝覚めたところでこの悪夢は冷めなかった。なぜならば、これが現実以外の何物でもないからだ。現実と向き合うべく、仕方なく俺は考えを巡らせる。野球を取り上げられた俺に、果たして居場所などあるのだろうか。生きている意味など、あるのだろうか。


15歳の狭い価値観の中では、自分を肯定する材料がすぐに見つかる分、自分を否定する材料だってすぐに見つかる。だから、案外簡単に死の存在は肥大化するものなのだ。こうして暗い病室を抜け出し、窓のある待合室へ向かった。



「こんにちは!あなたも入院なの?」



そこには愛想良く挨拶をする病衣の少女がいた。彼女に見覚えはあったのだが、今は誰かと会話する余裕なんて無い。俺は質問を無視して、10畳ほどの待合室にある大きな窓の前に立った。


確かここは大学病院の7階に位置する部屋だ。カーテンを開けて下を除けば国道に沿った車の往来が良く見える。落ちたら痛いのだろうなと、呆れながらに思う。これもまた、他人事みたいに。生憎、試しに開けようとした窓は半分しか開かない上、窓の向こうの下半分に転落防止用のサッシが付けてあるが、その気になれば簡単な話だ。


なるほど、自分にはこういう選択肢も選べるんだな。そう納得して、俺は窓を閉めた。何を選ぶかは自分次第だが、自分を殺す決心をしたのならまたここに来よう。



「わあ!今日の空はすごく綺麗だな」


振り返ると、先ほどの彼女はいなかった。

代わりに、俺の右横に立って窓の向こうに広がる夜空を見ている。


「ねえ、この方角おとめ座がくっきり見えるよ!」


彼女が興奮しながら俺の肩を掴み、天空を指差した。先ほどまで気づかなかったが、たしかに綺麗な夜空だった。俺は窓越しの夜空を素直に見つめていた。そんな俺を見て、隣にいた少女も微笑む。


「おとめ座の一等星はスピカっていうんだけど、この星は一筋縄じゃなくってね」


「...なんだよ」


「5つ子の星なんだよ。主星があって、その周りに伴星が4つ回っているの。でも、主星はそれぞれの伴星の重力によってすり減らされちゃうんだ。でもでも、そうやってぼろぼろになっても261光年離れた地球にこんなに綺麗な光を届けてくれるんだよ!」


彼女は少し息を吸い込んで、僕の方へ視線を向けた。





「なんだか、必死に生きてるって感じがしない?」





俺はその時、初めて彼女の目を直視して、驚いた。今の自分とは大違いで、目の前に広がる夜空の星々に負けじと輝いていたのだ。彼女の台詞に相槌も打たぬまま、勝手に涙が溢れ出して頰を伝った。


「どど、どうしたの!私悪いことしちゃった?」


このようにして、あわあわと慌てふためく少女を横に、俺は泣き崩れてしまった。






こんな情けない出会いによって俺の人生は理系色に染まっていったのだが、もっと著しく色が変わるのは、まだ先の話だ。

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