#301(7週目月曜日・番外編・ツバサ)

「く~ぅ、終わった終わった~」

「この後どうする? 空いてたら呑みにいかない?」

「いいね~。みんなはどうだ?」


 夜。場所は駅から徒歩10分の高層ビルのエントランス。外を見れば仕事帰りのサラリーマンが駅…、ではなく、路地裏へと吸い込まれていく。まぁ、まず間違いなくお酒だろう。この時間になると昼間は閑散としている裏通りが一斉に賑やかになる。


「たまには羽島ちゃんもどうよ?」


 漠然と外の様子を眺めていると、クラスメイトに声をかけられた。主語のない抽象的な誘いだが、手を傾ける動きから直ぐにお酒だと理解できる。


「えっと、すみません…」

「はは、いいじゃないか。それに呑めなくても普通に食事するのだってありなんだから。おじさん、驕っちゃうよ~」


 クラスメイトと言っても歳はひと回り以上離れている。年齢も性別もバラバラ。それが夜間学校だ。


「こら! またそうやって若い子にチョッカイかけて。今のは、奥さんに連絡しておきますから」

「ちょちょちょ! そりゃないよ~」

「「ハハハハハァ」」


 周囲が笑いに包まれる。このやり取りは微妙な変化こそされど、ほぼ毎日おこなっているお約束だったりする。


「えっと、それじゃあ私はここで」

「おつかれさま。夜道には気をつけてね」

「おつかれさまでした」

「「おつかれ~」」


 皆に別れを告げると、入れ替わりで先生が合流する。これもいつもの流れ。


 私が通っている鳳総合学園は、医療から芸能まで様々な分野を一挙に手掛ける技術系専門学校だ。普段(昼間)は、主に高卒者を対象に3年かけて各種専門資格の取得を目指す場となっている。一応、学校なので目標の資格を取れたら終わりと言う訳ではない。基本的には資格試験も含めてエレベーター方式で10割に近い確率で目標の資格を習得して、そのまま対応した企業に就職する流れとなる。


 そんな鳳学園は夜間にも力を入れており、18時からは生徒が入れ替わり、21時まで夜間学校として私のような中卒者や、一度社会に出た人が転職や定年後を見据えて資格習得を目指す場となっている。


 因みに、先生も夜間が終われば仕事から解放されるので、連日のように生徒と呑み歩きに出かけている。まぁ、教師と生徒と言っても、大半は同年代か生徒の方が年上なので、そう言う部分も含めて昼間とは全く違う雰囲気になっている。


「あの! そ、その、羽島さん、これから帰りですよね…」

「え、あぁ、はい」

「その、よかったら一緒にかえり、じゃなかった、その、よかったら晩御飯でも、じゃなくって…、しょ、食事は済ませていますか!?」


 そこに声をかけてきたのは穂積ほづみさん、何を隠そう、この人が私が強引に言い寄られているところを助けた女生徒だ。まぁ"助けた"という表現があっているかは微妙なところだが…。


 1年前、私たちは特に志すものもなく、学力レベルに見合った近場の高校に進学した何処にでもいる女子高生だった。しかし、ある日の放課後、穂積さんは校舎裏で3年の先輩に強引に言い寄られていた。私はたまたまそこに通りがかり、勢いで正義感を振りかざしアッサリその先輩を負かしてしまった。ここだけ聞けば美談だったのだが…、現実は小説よりも複雑なりで、結末はとても苦い結果に終わった。(#173参照)


「えっと、ちょっと小腹が空いているので、よかったら駅前のファミレスでも行きますか?」

「あ、はい! おごります!!」

「ぷっ」


 ちょっと笑ってしまった。穂積さんは引っ込み思案で、自分から知らない人に話しかける事が出来ない人だ。そんな彼女が、私に話しかけるために数多くのシミュレートを脳内で重ねている姿を想像してしまった。私と穂積さんの関係は、今はただの知り合い。同じ学園といっても学部からして違うので接点はなく、別れが苦いものであったこともあり、気まずさからお互いに距離をおいていた。


 ともあれ、私としては既に折り合いがついているので、誘いにのって話し合いに応じる事にした。





「 …それで、ラブレターは友達が出したもので、わ、私としては春日先輩は確かに憧れだったんですけど、その、あくまで憧れと言うか、むしろ妄想でいつもお世話になっている定番のカップリングって言うか!」

「はぁ…」


 ファミレスに移動して、1時間ほどたっただろうか。穂積さんもようやく慣れてきたのか口が回るようになってきた。ところどころでよくわからない表現が混じるので理解しにくい部分こそあるものの、ウヤムヤになっていた穂積さんの置かれていた状況も概ね聞くことができた。


「あ、その、すいません。私ばっかり喋っちゃって。私、いつもそうなんです。普段は全然喋れないのに、スイッチが入ると…」

「それはいいんですけど…。なんで今更? いや、悪い意味じゃなくって、純粋になんでかなって」

「えっと…、まぁ大したことは無いんですけど、あれから1年以上たったわけですし、私も将来のことについて色々と固まってきたので、その前に過去を清算しなくっちゃって。その、羽島さんには、ほんと~に、迷惑ばかりかけてしまって!!」

「それは、もういいですから」


 事の発端は春日先輩で、悪いのも彼だ。確かに穂積さんも上手く断れなかったとか、友達の厚意?を無下にできずに流されてしまったとか落ち度はあるものの、それを言い出せば私だってやりすぎて事を事件と呼べるほど大きくしてしまった。


 だから私には穂積さんを責める気はないし、何よりそのことは何度もお互い謝りあっている。本当に今更だ。


「私、辞めようと思っているんです…」

「え!? もしかして、学園をやめるんですか?」


 穂積さんはファッションデザインを専攻している。ようは服作りであり、夜間学校に通ってまでソレを勉強してきたわけだ。まぁ、合わなかったって事なんだろうけど、それはそれで人生を迷走させてしまって私としても申し訳ない。


「いや、その、学部を変えるだけなので学園はやめないんですけど」

「あ、あぁ、そうだったんですね」


 話を聞けば、どうやら穂積さんの本当の夢は『漫画家』だったらしく、最近ようやく親を説得できたそうだ。学部変更で単位のとり直しは発生するものの、これは大きな前進といっていいだろう。穂積さんの画力が如何ほどのものかは知らないが、漫画は単純な画力で決まる世界ではない。私はごく一部の漫画しか読まないのでアドバイスとかはできないけど、漫画なら、穂積さんの価値観や人生経験が活かせる可能性は高い。いや、そう言ったものを活かすなら、むしろコレしかないと言えるくらいだ。


「それで、私が言うのもなんだけど、羽島さんはどうなのかって…」

「え、あぁ、それは…」


 思わず言葉に詰まる。事件のことは乗りこえたものの、肝心の自分の将来が疎かになっていた。穂積さんは年上だってのもあるけど、そう言う部分は私の方が遅れているようだ。




「ごめんなさい。こんな時間までつき合わせちゃって」

「また謝ってますよ」

「あっ」

「「ふふふっ」」


 結局、終電まで話し込んでしまった。1年越し、本当に今更だけど…、改めて考えれば、むしろ『今だからこそ』と思えてしまう。個人的には、物事を後回しにして時間に解決を委ねるのは、あまり好きじゃないけど、時には時間も必要なんだと素直に実感できた。穂積さんとは、これからますます学園での接点は無くなるけど、今後は良い話相手としてお互いに胸の内を語りあえる相手になれそうだ。




 そんなこんなで、私は晴れやかな気持ちで家路に…。


「あ、漫画で思いだした。まだ、本屋さんやっているかな…」


 こうして、無駄に遅くまで営業している本屋さんに感謝しつつも、私は『漫画版 嫌な顔されながら踏まれたい』の新刊を手に、晴れやかな気持ちで家路についた。

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